週報

2018年9月23日週報 「牧師 一口メモ」より

先週の3泊4日の韓国訪問の報告をする。

今回は5人での旅行となったが、おおむね目的は達成され大変良かったと思っている。
今回の旅行は、韓国のツイン教会(ヤン牧師)とゆいまーる教会(長尾牧師)の交流によって実現し、ツイン教会でのメッセージと刑務所伝道の奉仕が伴う旅行であった。
また、もう一つの大きな目的として、韓国料理を沖縄に取り入れるための調査もしたかったので、私と奈良蓮兄、ミスチーさんの3人は、2日間ソウルに滞在したのである。

滞在中、太田(デジュン・人口150万人)という大都市で、一つの教会を見学することが出来た。
ここは、大都市の一番の中心地に6000坪の土地を持っている大きな教会であった。
なんと、会員が約8000人所属しており、牧師が30人もおり、年間の総予算が13億円(ほとんどが献金!)。
沖縄で言うと、県庁前のパレット久茂地のような場所に教会があり、しかも規模はパレットの3倍に当たる敷地を所有しているという。
この敷地内には、小学校中学校があり、そのほかに体育館も2つあり、ここはコンサートホールとしても利用される事もあり、もちろん一般にも開放している。
また、素敵な喫茶店が2つあり、ここも一般に開放していた。
とにかく羨ましい限りであった。
一等地に大きな教会が建っていて、十字架が天に向かって大きくそびえ立っている。
この状況を羨ましいと思うのと同時に、腹がたった。
「神様、どうして沖縄・日本にも、韓国みたいなリバイバルを起さないのか」と、神様に文句を言うしかなかった…。

もう一つ、とても大事なことを報告する。
ヤン牧師の教会の会員で、看護士会の会長をしている方と食事をする機会があった。
チャンスとばかりに「太田(デジュン)には精神病院はいくつありますか」と質問した。
なんと、その答えは「2つの病院で患者数は約500人です」。
とても驚いた。
太田(テジュン)は、沖縄の人口(約144万人)とおなじ位の規模であるが、それだけの人口を擁しながらたった2つの精神病院しかないとは…。
改めて、クリスチャン人口約1800万人といわれている韓国・クリスチャン国の凄さを見せられた。
つまり、この国は霊が守られていて、きれいなのである。
それに比べて、沖縄はと言うと…。
患者を200人以上収容できる大きな病院が約30以上あり、入院している患者の数は約1万人程度といわれている。
この落差に唖然とした。
これが、仏壇や拝所の偶像ばかり拝んでいる国と、イエス・キリストを神としている国との大きな違いである。

韓国は空気も霊的にも澄んでいて、そこに住んでみたいと思ったほどである。
しかし、同時に「私達教職者には、大きな責任がある」とも思った。
もっと霊的な働きを推し進めることが大事なことであると、改めて感じた。
アーメン。  ~この続きは、また来週へ ~

2018年9月16日週報 「牧師 一口メモ」より

先週の中城村議会議員選挙で、新垣博正執事が見事に4期目の当選を果たした。
皆さんの応援に心から感謝する。
特に、ウグイス嬢として連日連夜ご協力して下さった女性群に、心から敬意を表する。

沖縄では、知事選が告示された。
保守系から佐喜眞淳氏が、革新系から玉城デニー氏が立候補している。
佐喜眞氏は基地賛成派であり、政府に直結の方である。
つまり、政府の言うことにすべて従う方である。
当然予算は多く貰えるであろうが、お金をもらうと政府から都合のいいように扱われることになる。
おそらくだが、政府は目的が達成されると、徐々にお金も締め付けてくるだろう。
今までの政府のやり方として考えると、新辺野古基地に対しても、(おそらく)30%程度工事が進むと「もうお金をあげなくてもいい」と都合よく判断されてしまい、予算は当然厳しくなってくるのではないか…。

本来、政治家は短期・中期・長期に渡って政策を考えるべきであろうが、残念ながら、目先のことだけにとらわれているのが、現在の沖縄における保守系の政治家達である。
また、国の予算をあてにする政治は誰にも出来る。
そうではなく、いかに自己財源の捻出に力と知恵を絞り、無駄なものを取り除く勇気を持てるのか。
そして、弱い者に対してどのような支援をすべきかを考えるのが、良き政治家であろう。
昔の日本には、そのようなモデルになる政治家がいたのだが…(上杉鷹山 等々)

対して、玉城デニー氏の場合はどうか。
彼とは、長い付き合いがあるので、かなり詳しく述べることが出来るのだが、人柄はとても信用できる。
また、筋を通す人である。
なぜなら、超悪党と言われてきた自由党の党首:小沢一郎にずっとついてきたからである。
小沢氏には色々な問題があり、多くの側近が逃げていく中、彼は最後まで残り続けている唯一の人なのである。
私は、ある政治パーティーでその事をデニー氏に直接問うたことがある。
彼は「政治家になってから、いろいろな面で小沢一郎に教えられてきた。だから、自分の都合で離れるわけにはいかないのだ」と答えてくれた。
その時に私は、彼は損得で判断する政治家ではないと確信をした。
私は政治に興味があるから、日本の政治は良く知っているつもりだ。
デニー氏のような、義理堅い政治家は今の日本・沖縄には少ない。
だからこそ、今まで彼を応援してきたのである。
彼は、期待できる政治家であり、県民に尽くす人になるであろう。
チームをまとめるリーダーの人間性は、もの凄く大事である。

では、この事をイエス・キリストの立場から見たらどうなるであろう。
私たちクリスチャンにとって最も大切なことは、「イエス様ならどうしたか」と考える事である。
誰に投票すべきか 、又、何を持って判断する事になるのか…。

人間が絶対にしてはならないのは「戦争」である。
戦争はすべてを破壊する。
人間の命も、動物の命も、自然も完璧に破壊し尽くす。
だから、「基地に反対する人が良い」と、私は断言する。

投票先を決めるには、これだけで充分であろう。
「平和を作る者は幸いである。
その人は神の子供と呼ばれるから」
(マタイ5:9)

アーメン。

2018年9月9日週報 「牧師 一口メモ」より

恐ろしいまでの自然災害がこの日本に起こっている。
台風が発生するメカニズムが完全に狂って、日本近海で起こるようになった。
以前は、はるか南のフィリピンの近海で発生し、ゆっくりと沖縄や台湾に近づいて北上していた。
しかし、今は日本近海で起こり、ほとんどが日本本土への直撃になった。
先週は台風が大阪に上陸して甚大な被害をもたらし、関西空港が閉鎖に追い込まれた。
空港で働く方々や乗客合わせて1万人が足止めを食らった。
またここに来て、大阪の震度6以上の地震が6月に発生したばかりなのに、北海道で9月7日に震度7以上の大地震が起こった。
これらのことから、政府がいかに無能なのかが分かった。
今さらでもないが、やっぱり自然の災害よりもこの国は指導者達による人災が一番大きいと確信できた。理由は「想定内」を考えていないことだ。
人間が造ったものは何でも必ず故障し壊れると言うことは想定するべきである。
20年前に発生した神戸淡路地震から、残念ながら何も学んでいない。
6000人が死亡した大震災だったにも係わらず、教訓を生かしていない。
それから、2011年に東日本大震災が起こった。
未曾有の大震災で、想定外の被害をもたらした。
福島原発の放射能漏れである。
これらの大災害を経験し、指導者達や国民は何を学んだのだろうか。
一極集中していると、災害時の対応が遅れるなどダメージが大きく、いかにもろいのかという事は、ゲリラ豪雨や台風で何度も体験しているはずだが、残念ながら改善されていない。
今回の北海道の地震でも、停電が北海道全域に広がり、なかなか停電が解消されなかった。
それは、震度7以上といわれている厚真地区に、北海道の電力供給の約半分を賄う発電所があり、そこが故障したからだ。
それが影響し、北海道全域に長期の停電を引き起こしてしまい、道民の生活に甚大な影響を与えてしまった。
おそらく、発電所を分散していればそのようなことは起きなかっただろう…。

何はともあれ、自然の災害の規模がどんどん大きくなってきている。
いつか沖縄にも来るかもしれない。
政府や行政は頼れないから、自分で備えることが大事であろう。
聖書から今の現状を見ると、幾つかのことが分かってくる。
一つは完全に神様の裁きに入っていることである。
しかし、これでもクリスチャンが目を覚まさなければ、もっと大きな裁きが来ることが分かる。
だからこそ、私達は何をすべきかを祈って考えるべきであろう。
ヤコブの手紙5章9節には、こう書かれている。
「兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。」
隣人の為に祈る者になりたいものだ。
アーメン。

2018年9月2日週報 「牧師 一口メモ」より

9月は選挙の月である。

日本では、総理大臣の椅子を争うであろう、自民党の総裁選挙がある。
また、沖縄では知事選があり、那覇市、宜野湾市、豊見城市等々の市長選に加え、地方の議員選もある。
我が沖縄ベタニヤチャーチからも、新垣博正執事が中城村の議員選挙に4期目の挑戦をしており、教会の女性群が一週間に渡って、選挙カーのウグイス嬢として運動することになっている。
是非、教会をあげて応援し、4回目の当選を果たしたいものだ。

皆さんには知り合いを捜して選挙の協力を願いたい。
しっかり考えれば必ず誰かがいると思う。
また、祈りもとても大事である。
是非とも、新垣執事をイエス・キリストの証人として、中城村議会に送ろうではないか。
アーメン。

「人の命は地球よりも重い」と言う言葉がある。
おそらく、金に変えられないほどの価値があるという事で、地球を持ち出したと思うのだが、この「重い」はお金に換算するとどの位になるのか…。

聖書には信じがたいお金の話が出てくる。
マタイの福音書では、6000デナリ(約六千億円相当)を赦された人が登場する。
このお金の単位は、大きすぎていまいちピンとこない。
※参考までに、本年度の沖縄県の総務省からの予算は三千百億円である

ベタニヤという村に、イエス様を慕っていた一人の女性がいた。
彼女は売春をして家計を助けていた。
そんな彼女は、多くの人々の前でコツコツと貯めて買ったナルドの香油(香水)を、惜しみなく一滴も残さずイエス様の頭からかけた。
それは、彼女の全財産であった。
全財産をかけるほどの価値をイエス様に見出したのだ。

それと対照的なのが、12弟子の一人 ユダと言う男である。
イエス様から信頼されて会計を任されていたが、彼はイエス様に絶望して銀貨30枚(約120万円)で売ることにした。
彼がイエス様を計った価値は、たった銀貨30枚だったのである。
彼は、祭司長たちのところに行き、「イエスをあなた方に売るとしたら幾らくれるか」と聞いた問いかけに対し、彼らは「銀貨30枚」と答えた。
祭司長たちも、イエス様を銀貨30枚の価値としか見てなかったのである。

あなたは、イエス様に幾らの価値をつけているのかを考えて見る必要がある。
また、天の父は私達に幾らの価値をつけたのか。
おそらくは、地球にある物では価値を見つけることが出来なかったと思う。
だから、ひとり子のイエス様の命を代わりとしたのである。
ハレルヤ!

あなたに、天の父は大きな計画を持っている。
「すべてを捨てて従いまつらん」という、素晴らしい聖歌がある。
天にある全てを捨てて、私達の為に十字架にかかってくださったイエス様を、もう少し真剣に考えてみたいものだ。
アーメン。

2018年8月26日週報 「牧師 一口メモ」より

自分で言うのもなんだが、牧師一口メモのファンは多いと聞いている。
また、直接私に「大変恵まれています」と話してくださる人もいる。
嬉しい限りである。
また、ある時には素直に意見を言ってくださる方もいる。
厳しい意見の時もあるが、たいていは一口メモに賛同してくれる。
ハレルヤ!

教会の週報は様々なスタイルがある。
どちらがいい・悪いとかの問題ではなく、教会ごとのカラーがあって興味深いという事である。
先月、久しぶりに母教会のベタニヤチャーチを訪問した。
その際に週報を手にしてみたが、昔から変わらないスタイルだったので、ちょっと意外でもあった。
このスタイルは、牧師があまり関係しないから悩む必要がない。
しかし、私が書いている一口メモのスタイルはかなり悩むことになる。
正直、一口メモの題材を捜すのが大変なのだが、信徒の皆さんの信仰の成長を願って、毎週必死に一口メモの題材を探している。
この内容は、信仰に繫がらなければ役に立たないし、御言葉が伴っていなければそれこそ意味がない…。
なので、苦労をしながら題材を集め、文章を作成している。

今回は、沖縄の政治について話をしたい。
昔から、政治に興味を失っている人や、最初から興味がなかった人もいるのであろう。
特に、若者と女性が政治に弱い傾向が見受けられるのだが、地方の首長選挙の投票率が40%を切り、平均は37~38%といわれている。
これは非常に危険なことであるが、この事に気が付かない人が多い。

歴史を紐解くと、昔から悪い政治家が登場すると、国民は苦労することになっている。
聖書の歴史を見てもわかるように、良い王が登場すると国が良くなり、国民も安心して暮らしてきた。
しかし、悪い王が登場すると、国は疲弊し、国民は高い税金を負わされ、戦に夫や子供を駆り出され、そこで多くの命が失われ、人生の最大の悲劇を体験することになる。
聖書には多くの王が登場しているが、イエス様がほめた王様はホンの数人しかいない。
ほとんどの王は悪い事ばかり行って、神様の怒りを引き起こしてきた。
その度に、国民は辛い思いをしてきている。

今の日本・沖縄は、政治に興味がない人達が大幅に増えてきた。
この事は、今の政権を執る者達にとって、大変都合がいい状況といえるであろう。
なぜなら、悪いことや嘘をついても、多くの国民には「関係のない事」としてかたずけられるからだ。
しかし、いくら様々な形で語っても、聞いた人々の考えにインパクトを与えるのは難しい。
マラキ書は、幸いと呪いを明確に示している。

今度、沖縄では知事選挙が行われる。
私達は聖書に基づいた正しい判断力を持って、しっかりと良い政治家を選ぶようにしたいものだ。
なぜならば、クリスチャンは平和を作る国民だからである。
アーメン。

2018年8月19日週報 「牧師 一口メモ」より

聖書のなかでは、賜物(たまもの)について大きく取り扱っている個所がある。
この「賜物」という言葉は、クリスチャンになって初めて知った言葉で、クリスチャンがよく使う表現・用語と言っても差しつかえないと思うが、賜物には様々なものがある。
本来、イエス様は信じる者みんなに賜物を与えておられるのだが、「この賜物はあなたには与えられているが私には与えられていません」という言い訳にも使われる事があるので、気をつけなければならない。

先週は、ある姉妹の問題の解決の為に東京に行った。
一人の姉妹の為に奉仕を振り切って行くのはどうかと思う・・・との意見も当然あるだろう。
しかし、苦しむ羊の為に良き牧者は行かねばならないと、私は考えている。 

また、こういう場合、「イエス様だったらどうしただろうか?」という事を基準として考える。 苦しんでいる羊のもとに行かず、奉仕を優先しただろうか…。
それとも…。

答えは見つからないが、実はこのようなことは初めてではなく、これまでも常に起こってきたことである。
ある時は、家族の要望によって、福島の会津若松まで三度ほど問題児を迎えに行った。
ある時はとても寒い2月、体験したことがない寒さに震えながら連れ帰って来た。
別件で、島根刑務所に迎えに行ったこともある。
この時もみぞれ交じりの雨が降って、とても寒い時だった。
又、ある兄弟は、自立すると東京に帰ったのだが、仕事をクビになり、アパートの家賃が払えなくなって追い出されたので、
家賃の滞納分と清掃費用を持って迎えに行った。
もちろん彼の飛行機のチケットも持って…。

ある時は、他の教会の女性から息子の助けを頼まれた。
彼女にはヤクザになった息子がおり、ヘタをうってしまい組に迷惑をかけたので、大阪に逃げたそうだ。
しかし、逃亡資金が底をつき、ホームレスになっているので助けに行ってほしいとの事だった。

今までに、このような出張レスキュ-を数多くこなしてきた。
いや、これは過去の事ではなく、現在進行形として今も続いている。
多くの場合、本人も家族も資金が乏しいので、ほとんどが自費で行くことになり、「自費のレスキュ-は当たり前」という状況であった。
しかし、イエス様はこのようなことに使う資金も常に満たしてくれた。
ハレルヤ!

一人一人を大事に出来なくては、働きも賜物も意味がないと思う。
そのような素敵な働きの賜物が、私に与えられているので喜びに絶えない。

私の牧会の信条の基本は聖書にある。
それはクリスチャンとして当然であるが、常に具体的にこのことを言葉に出してきた。
つまり「貧しい人、苦しんでいる人、悩んでる人、虐げられている人の為に働きます」と。
しかし、そのことは私を長い間苦しめてもきた。
何よりも恐れたのが、この働きに自分は向いていないのではないかと言う囁きだった。

だが、主イエスに不可能なことはひとつも無い。
だから今がある。
アーメン。

2018年8月12日週報 「牧師 一口メモ」より

翁長知事が膵臓がんで逝去した。
非常に残念である。
沖縄の長い歴史のなかで、県民の立場で政府と対峙した政治家であった。
今までの沖縄県の政治家批評では、このように政府と対峙した政治家は瀬長亀次郎と二人だけであるといわれている。
瀬長亀次郎は、アメリカ軍との土地の強制収容の戦いに命を懸けて、ブルドーザーの前に立ちはだかった。
県民の土地を守る為に東奔西走し、那覇市長時代にはアメリカ軍政府とアメリカに頭を下げる県民の政治家達と対等に戦って、県民の意識を改革した。
一方、翁長知事も保守の政治家でありながら、県民の命と財産を守る為に日本政府と戦った。
特に、辺野古の新基地反対においては、壮絶な戦いとなった。
巡り巡って左派勢力と言われる社民党、社大党、共産党の政治勢力との協力関係に入り、さながら左派の政治家か?!と思うほどに、多くの方々から支持を得た。

その翁長氏と、8年前に遺骨収集で面会をした事がある。
時間にして30分くらいだったが、当時、選挙に落選した国場幸之助さん(現衆議員)を通して面会の段取りができたので、彼にも同行してもらった。
その時、国場幸之助さんに対し、翁長市長(当時)
は「何で君がいるの?」「落選したらただの人だよ」と言い放ったのだ。
その言葉を聞き、小さくなっている国場さんへ「次回は頑張れよ」と言葉をかけている姿を思い出した。
市長の貫録と凄みをみた瞬間だった。

巨大な怪物の現政府(安倍政権)と戦い続けてきた3年半もの間、私達県民に大きな勇気を与えた立派な政治家であった。
イデオロギー思想よりも、県民を守ることを優先した政治信条は、最後まで揺るぐことは無かった。
願わくば、翁長知事の死を通して、政府にしか顔を向けない県民の政治家達の目が覚めることを願う。

神の経綸は非常に早くなっているように思う。
やがて日本にリバイバルが起こるのであろうが、私達クリスチャンも、翁長知事に倣って信仰が揺るぐことなく神様に喜ばれる働きをしたいものである。
聖書にも書かれているように、いつの日か大迫害と大災害が見舞うことになるだろう。
その時に、私達の信仰は成長して大きな働きをしていると信じたい。
そして、どんなことがあっても一歩たりとも退くことなく、揺るがない信仰を持っていたい。
とにかく、天の父に願うことは、この沖縄にリバイバルを起こして、基地の島から福音の島に変わるように…
と、毎日必死に祈っている。
ベタニヤチャーチは、二度とこの島で戦争の悲劇が起こらないよう、祈りと伝道に励むことを信条にしている。

絶対にリバイバルは起こる。
その為にも、皆で備えをしたいものだ。
アーメン。

2018年8月5日週報 「牧師 一口メモ」より

日本の国の中で、キリストの教会はとても正常である。
教会は女性が中心であり、非常に珍しい組織形態であるといってもいいだろう。
女性無くして教会は成り立たない。
これは、とても聖書的でもある。

日本の社会は世界でも珍しいくらい男尊女卑である。
40~50年前から経済は一流、政治は三流と言われてきたが、残念ながら今日の社会を見ればまさにその通りである。
現代もそれは変わっていない。
先日、東京歯科医大学が長年に渡って女性受験者の点数を減点していた事が発覚した。よくもバカな教授達がそろっていたものだ。
この事について、誰も何も意見をしていないのがこの組織の恐ろしさを物語っている。
言葉は荒いが、今の日本のすべての組織の指導者達はバカぞろいと言っても良いだろう。
政治家達が嘘つきの集団であり、官僚達は権力者におもねる集団になり、裁判所の裁判官たちは善悪の判断を失って人の命を屁とも思ってない。
検察と警察は正義を捨てて、メンツを重んじる最低の集団になり下がった。
経営者達はひたすら儲けることばかりを考え、人の命なんかくそくらえの集団になっている。
スポーツ団体のリーダー達は、ゴッドファザー気取りの集団である。
もうこの国は、世界の笑いものに成り下がってしまった。

今回の女性受験者の点数減点事件は、もしかすると他の大学でもおこなわれているかもしれない。
この事を、女性たちは大いに怒ってほしいと願う。
何しろ、半数以上の国民が完全な盲目なので、今の政権と自民党を支持しているのである。
これは自浄能力が完全に喪失している証拠ともいえるであろう。
だから、生きている神が日本を裁かれる時が来るのは目に見えている。

しかし、このような乱れた世の中であっても、私達キリストの教会はまだしっかりと律法を守り、罪と必死に戦っている。
また、自浄能力もしっかり持っているので、聖書に出てくるコリントの教会(第Ⅰコリント5:5)とは少し違う(と思っている)。
聖書の「使徒の働き」という個所では、プリスキラとアクラという夫婦が登場する。
この二人は仲のいい夫婦であり、霊的な働きが出来た夫婦であった。
どちらかと言うとプリスキラ(奥さん)の方が主導権を握っている。(使徒18:2)。
また、タビタという女性も聖書にはでてくる。(使徒9:36)
彼女は「やもめ」であったが、女性達のリ-ダ-として、多くの女性達に服や下着やバッグを縫ってプレゼントしていた。
こういった働きは、教会の貴重な宝であった。

このように、聖書はすばらしい女性達の働きを描いている。
キリストの教会が何千年も生き続けているのは、女性達のたゆまぬ働きと祈りのおかげである。
今の日本の社会はキリストの教会に学ぶべきであろう。
教会の男性諸君よ、女性達に尊敬と感謝を忘れぬように。
アーメン。

2018年7月29日週報 「牧師 一口メモ」より

この日本は、何時からおかしくなったのだろうか。

未曾有の災害は起り続けている。
また、人災も起り続けている。
しかも悲惨な事件である。
何もかも狂って来た。
何にもまして、倫理観が完全に狂っているとしか思えない…。

しかも、もっとも怖いのが、何をも恐れぬ国の指導者達である。
恐れぬ心は何を仕出かすか分からない。
彼らは、善悪の判断が欠如して完全に狂っている。
首相はカジノ法案の設立でギャンブル中毒の人を増やそうとするし、働き改革においては働く人を自由に扱えるようにして経営者を喜ばせる提唱をしている。
また、文科省のトップ達は、長年に渡って賄賂で行政を利用し、自分を喜ばしてきた。
裏口入学の賄賂をしていた官僚がいるという事だけでもあきれるが、東京歯科大学の学長がいとも簡単にその話に乗るのだから、恐ろしい。

私は、裏口入学をしたことになってしまった息子の事が心配だ。
おそらく、彼は父が権力と賄賂で「裏口」から入学させたとは、つゆほども思っていなかったであろう。
実力で合格したと思って、学園生活を謳歌していたはずだ…。

おそろしい事件は相次ぐ。
銀行員が妻を殺して実家の庭に埋めた。
しかも、母親が妻の遺体を埋めるのに協力している。
何をかいわんやである。
また、夫を殺してコンクリート詰めにして押し入れに隠していた事件や、両親が5歳の長女に虐待を繰りかえして殺した事件も記憶に新しい。

災害も続く。
今回の西日本一帯を襲った水害は、200人超の命を奪った。
人間の力と知恵をもってしても、防ぐことは出来なかった。
あれもこれも、すべて人間の欲望によって起こったことである。

ただひたすら、経済の発展だけに目を向けていく人間の心に歯止めはかからない。
その根底には競争原理が働いている。
一億総競争社会で勝ち組に入ることだけが人生の目標になった。
その為にはとにかく有名になり、財産を築き、指導者の一員になることだと思っている。

しかし聖書は言う。
テモテ(Ⅰ)6:10金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。
本当の成功者は誰か、本当の幸いな人は誰か、キリストに来る人ではないか。
罪赦されて自由になり、主と共に歩む人ではないか。
そして永遠のいのちを得た人ではないか。
隣人に目を向けて、貧しい人に手を開く人ではないか。
そのようなきっかけを与えられた人は幸いなり。
アーメン。

2018年7月11日週報 「牧師 一口メモ」より

46年前のある日、父の具合がおかしくなったので、直ぐに病院に連れて行った。
医者は父を診察した後に、淡々と「がんです。余命は約3か月です。」と私たちに向かって言い放った。

それから父は入院し、8時間に及ぶ大手術をしたのだが、幸いなことにその手術は成功した。
手術後、しばらくして入院中の父のところに母が来た。
そこで、私の人生最大と言っても良い位、衝撃的な出来事が起こったのだ。
私は父の側にいて看病していたのだが、母が病室に入るや否や、父は母に向かって「直ぐに病室から出て行け、おまえに看病されたくない」と怒鳴り、母を拒否したのである。
戸惑う母と私。
しかし、父は頑強に母を拒否した。

  しかし、何故だ…
  何故、父は母を拒否するのだ。
  長年、辛苦をなめ合って連れ添った仲ではないか。
  これは、長時間に及ぶ手術による後遺症なのか…

私は非常に大きなショックを受けた。
結局、原因は分からず、もやもやした思いのなかで、2年後に父は死んでしまった。
それから、私が一人暮らしの母を訪ねるたびに、がっかりしてけげんそうな様子で病室を後にした母の顔を思い出していた。
とうとう、母の悲しみを知る由もなく、また聞けないまま、4年前に母も天国に行ってしまった。

父に拒否されてから40年間、母は父のことをどのように思っていたのだろうか…。
毎年のお盆の時期に、父の位牌にどんな気持ちで手を合わせていたのだろうか…。
夫婦って何なのか…。
人間の幸せって何なのか…。

一人一人大きく違うとは思うが、結婚ははたして人を幸せにすることが出来るのだろうか…
家庭を持つと幸せになれるのだろうか…
そして、「幸せ」とはどんなものなのだろうか…。

聖書に登場する夫婦は幸せだったのだろうか。
 アブラハムとサラは?
 イサクとリベカは?
 ヤコブとラケルは?
 そして、マリヤとヨセフは?

現代でも、夫婦は喧嘩を繰り返しながら共に生きて行く。
人間の心は本当にまか不思議である。

聖書はおかしなことを言う。
  ①創世記6:6では、神様が人を創ったことを後悔する。
  ②エレミヤ書17:9では、「人の心は何よりも陰険で、それは直らない」。
  ③へブル3:8「いつまで、お前たちはこころをかたくなにするのか」

これらの箇所を読むと、まさに人間の心・感情を神様でさえ持て余しているのが分かる。
しかし、聖書を読み始めてからそのような神様の心と気持ちがよく分かるようになった。
なぜなら、自分自身の心の底を見れるようになったからである。

人の心は最近の天気のようにいつでも変わる。
いや!すぐにも変わる。それも、激しく、ころころと。
 …それが、私であることを知っているから。