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沖縄ベタニヤチャーチの山内牧師のブログです。毎週更新しています。

2020年9月6日 牧師のつぶやき

先週吹き荒れた台風9号に続き、またまた10号が沖縄、九州に近づいている。自然の脅威を味わうのはあまりいい気分ではない。人間にはどうしようもないのが自然の力だ。被害が少なくなるように祈るのがクリスチャンだろう。
イエス様は暴風を叱り、「静まれ」と命じた。(マルコ4:39)すると、暴風はおとなしくなった。私達も台風を叱る必要がある。「叱る」「叱られる」という言葉はあまり好きではないが、人間の社会にはつきものだ。「叱る」の言葉は人を育てたり生かしたりもするが、成長を止めたり殺したりもする。「叱る」ことは非常に難しいものである。私がイエス様を信じてない時は、当たり前に汚い言葉で周りの人々を叱ったものだ。会社を経営している時は日常茶飯事にこの言葉を口から出していた。叱るのが仕事であった。当時は「叱り方」「上手に叱る方法」等の本がよく売れていたが別に気にもしなかった。叱って当たり前、叱られて当たり前の世界だったから。
牧師になって初めて「叱る」ことの大切さが分かった。又、叱られる人の気持ちも分かったような気がする。私自身、子供の頃にはよく親から叱られた。中学生、高校生の時にはよく先生から叱られた。サラリーマン時代には上司や社長から叱られた。しかし、叱られたら「なにくそー、今に見ておれー!」と自分に言い聞かせて発奮したものだ。「いい仕事をして見せてやる!」の根性を発揮した。だからいい仕事が出来たと思っている。叱られたことのない人はかわいそうだ。安倍さんが辞任を表明した。病気だそうだ。彼を叱る人はいなかった。だから善悪の判断が出来なかったのだ。特に権力を握ってからは非情の世界の中に座っていた。嘘の世界の中心だった。森友学園、加計学園、桜を見る会問題…等々、すべてが嘘のかたまりだった。イスラエルの王様達はほとんどが自分勝手だった。国民の事なんか少しも考えなかった。だから国は混迷し、正義が失われ、王の側近や金持ち達が横行した。彼らは親からほとんど叱られたことが無かった。サムエルやダビデも子供達を教育できなかった。時に応じて叱らなかったからだ。イエス様はどうだったか。神殿で商売をしている人々を叱り飛ばした。ペテロをよく叱った。十字架に架かる前のゲッセマネの園で、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人が祈れなかったので叱った。(マルコ14:37)叱って教育しているのが分かる。イエス様が弟子達を褒めている箇所はほとんど見当たらない。私もよく兄弟姉妹の皆さんを叱るが、それは愛の鞭だと理解してほしい。

2020年8月29日 牧師のつぶやき

ついに安倍総理が辞任表明をした。病気を持っていたようだ。遅すぎた感があるが少しは溜飲が下がった。
巷でよく聞く言葉がある。「身も心も魂も健康であることが大事だ」と。アーメンであるが、一つ大事なことが抜けている。「霊も」である。つまり四つの大事な事があるのだ。「身、心、魂、霊」である。
●その中で一番大事なものは「霊の健康」であろう。
聖書は言う。天の父なる神は霊だ。イエス・キリストも霊だ。聖霊も字のごとく霊だ。霊なる三位一体の神様だ。だから私達に「霊的になれ」と言うのである。「さて、幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に出現する日まで荒野にいた。(ルカ1:80)」バプテスマのヨハネの霊は強くされた。だから霊的な活動が出来たのである。もう一つ示そう。「主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。(Ⅰテサロニケ5:23)」しかし、あぁ!悲しいかな。なんと知識のクリスチャンが多い事よ。あなたは霊的なクリスチャンか?それとも知識のクリスチャンか?
●二番目に大事なものは「身の健康」であろう。どんな賜物を持っていても、又、どんなに名誉ある地位についていても、どんなに金持ちであっても、健康を害したならば、強く健康を願わずにはいられないだろう。聖書は言う。「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。(箴言17:22)」健康な体を持つことは神の御心である。だから健康には最大の注意を払うべきだと思う。
次は問題である。「心」と「魂」の違いを見つけることは至難の業だ。しかし、あえて分けて見よう。私達の日頃の言葉使いで判断すると、
●三番目に大事なものは「心の健康」であろう。「心から」と言う言葉は日常的に様々な場面で使う。たとえば「心から愛しているよ」「心から尊敬しています」等々。これを「魂から愛しているよ」と言うと感動を与えないし、相手の心をつかむことは出来ないだろう。 ●四番目に大事なものは「魂の健康」であろう。この言葉もよく使っている。
「一球入魂」 これは、「魂を込めて励め」という意味である。仕事をする時も「魂を込めてしなさい」とよく言う。以上四つの言葉を紹介したが、あなたはどのように聖書の教えを考えているだろうか?この四つの言葉に真剣に向き合ってみようではないか。最後に私の大好きな聖書のことばを紹介しよう。
「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。(Ⅲヨハネ1:2)」アーメン。

2020年8月23日 牧師のつぶやき

「負けず嫌い」の人がいる。私もそうであるが、あなたはどうだろうか?
誰もがその精神を持っていると思う。それが無ければ向上心は生まれないだろう。誰でも人から褒められたいはずだ。その為に、何かをする時、一生懸命やりとげようとするのである。将棋の世界に「藤井聡太少年(18歳)」が登場して大活躍している。多くの記録を塗り替え、ついに将棋界の7つのタイトルのひとつである「王位」を獲得した。負けた木村一基王位(47歳)は、「中年の星」と言われ人気者である。彼は46歳で初めて「王位」のタイトルを獲得し、大いに日本中を騒がして中年のアイドルになった。そして今回、18歳の若者の挑戦を受けたのである。誰もが木村王位が勝つと信じていたが、藤井があっさりと4連勝して王位をもぎ取ってしまった。将棋に興味のない方々には申し訳ないが、こらえて読んでほしい。私は中学生の頃から将棋を指している。高校生になってからは、同級生達と将棋クラブを作ったほど没頭し楽しんだ。将棋は負けると非常にみじめになる。眠れないくらい悔しい思いをする。たかが将棋と思うのだが不思議である。他のスポーツ(ゴルフ等)では負けてもそんなにみじめな気持になることはなかったのだが…。負けず嫌いな人にはとても辛い世界だ。しかも投了の時には、対戦相手に頭を下げて「負けました」と言わなければならない。それも非常な屈辱である。だから今は一切将棋を指さなくなった。負けると相手が嫌いになるし、憎むことになるからだ。私とて普通の人間なのだ!
聖書に12弟子達が登場する。彼らは負けず嫌いの集まりだった。いつも、誰が一番イエス様に愛されているかを競い合った。だから仲は良くなかった。しかも、イエス様もよくペテロ、ヨハネ、ヤコブを特別扱いして(マルコ5:37)弟子達の「競争」を煽っている節がある。又、教育ママまで出てきて、2人の息子たちの出世を懇願した(マタイ20:21)。これらは2000年前の出来事であるが、今も昔も変わらない人間の世界なのだ。負けず嫌いもいいのだが、度を越えると人生を破壊することになる。聖書の中には、人間社会で「競争」と縁がなかった2人の人物が登場する。「バプテスマのヨハネ」と「イエス様」である。2人は非常にへりくだっていた。自分の目的だけを見つめていた。だから常に真理と平安の中にいたのだ。2人のように、無我の境地に入りたいものだが、私の心は中々そこに入って行けない。隣の教会ばかりを気にしている。
あぁ!情けない!

2020年8月16日 牧師のつぶやき

新しい教会の工事が順調に進んでいる。15~16人の方々が熱中症と戦いながら、それぞれの仕事を全うしている。本当に感謝だ。特に最大の難関の「はつり」がほぼ終わり、いよいよ、その「ガラ」の搬出も今日(14日)で終了となる。この3日間は毎朝5時出勤だった。隣のうどん屋さんの駐車場を借り、開店前の10時までに「ガラ」の搬出をしなければならなかった為である。4時起きで身支度をし、5時30分には現場に着かなくてはならない。朝の4時起きはとても辛いことだが、皆、良く頑張ってくれた。「ガラ」出しの3日目の今朝、とんでもないことが起こった。それは現場に着くとすぐに目についた。先に着いていたメンバーもそれを見て、目をまん丸くしていた。1階の休憩所の側に、真っ赤なソファーベッドがツインで置かれているではないか。夜中に誰かがこっそりと捨てたのだ。粗大ごみである。処分には金がかかる。だから誰もいない夜中に置いていったのだろう。腹が立った。私達もお金を払って処分しているのだ。今は、産業ゴミほど高いものはないと思うほどに処分料金が高くなっている。又、処分するにも色々と規則があって簡単ではない。だから腹が立つのだ。確かに工事現場だから色々な産業ゴミがころがっている。しかし、だからといってゴミ捨て場ではない。この件について、ちょっと考えてみた。「ソファーの色からして若い夫婦だろう」とか、「コロナによって収入が減ったので、処分料金をおしんで仕方なく工事現場に置いて行ったのだろう」とか、「このソファーベッドはかなり重いので、若い夫婦が運ぶにはきつかっただろう」とか、「夜中にこっそりと悪いことをするには、かなりの覚悟がいったはずだ」とか…etc.だから、諸事情を考慮して赦すことにした。ハレルヤ!
自己中心の時代、人を赦すことには、かなりの信仰と勇気がいる。私は牧師なので色々な人から相談を受けるが、「人が赦せない」という相談は断トツだ。私は、聖書にある通りに良きアドバイスをしているつもりだ。「誰でも、いつでも、どんなことでも赦しなさい」これはあくまでも相談者へのアドバイスである。しかし、自分が当事者になると事情が違ってくる。自分が被害者になるとそう簡単には行かない。謝るまで、弁償するまで赦さないのである。これが本心である。私も自己中心の感情の人間だ。普通の人間だ。しかし、天の父を恐れているので、聖書に従い、赦すことに全力を注いでいるのだ。

2020年8月9日 牧師のつぶやき

聖書は素晴らしい。次のようなことが書いてある。Ⅰコリント15章21節「また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。」聖書は良く考えることを勧めている。良く考えて信じたのなら救われるのでいいのだが、もしよく考えることをしないで信じたならそれはむなしくなると教える。が、あなたはどうか。
大阪府の知事さんが机の上に「うがい薬」をずらっと並べて、コロナにうがいが良く効くと記者会見をした。この会見からわずか二時間位で薬局にうがい薬を買う人たちが押し寄せたそうだ。良く考えないで「うがい薬」を買いに走ったのであろう。しかし人騒がせな浅はかな知事さんだ。少し前は人気が高く、よくテレビに登場していた。のぼせあがったのだろう。その後、言い訳に追いやられている。政治家は良く考えて話をしないといけない。なぜなら人々に大きな影響を与えるからだ。特に今の時代は考えない時代と言われている。少し前には「一億総白雉」の言葉も流行った。オレオレ詐欺が流行って10年になるそうだ。お年寄りの方がよく騙された。長年働いて貯めてきたお金が電話一本で持っていかれる。少しだけ、ほんの少しだけ考えてもよさそうだが・・・。
冒頭に書いたように聖書には、物事は良く考えるようにと至る所で勧めている。
もう一つ良い言葉を紹介しよう。Ⅰコリント13章11節 「私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。」
子ども時は子供として考え、話し、論じたが、おとなになったので子供の考えは卒業しました。これが正常ですね。大人になれるか、子供のままでいるか。これはクリスチャンには耳の痛い教えです。
では、大人とはどんな人の事を言うのか。難しいことだけど、避けては通れないから話そう。「常識を持ち合わせている人」とある人は言った。しかしこの常識はくせ者で、基準がない。だから時と場所と人によって違うのである。大きく言えば国同士でも大きな違いがある。また社会の常識はキリストの常識と大きくかけ離れていることがある。幸いにも私達は聖書と言う素晴らしい基準を持っている。聖書が常識とは何かを明確に教える。クリスチャンのあなたは聖書の言う常識派か。また良く考える人になろう。アーメン。

2020年8月1日 牧師のつぶやき

全国でコロナウイルスが暴れている。予想通りに第2波が来たのである。ブログ人口比による感染者の数は、東京、大阪に次いで沖縄が第3位になるそうだ。沖縄は1日の感染者が71人に上った。連日記録を更新している。このコロナで、各県知事や国の指導者達の評価が現れるそうだ。一番の人気が、大阪の吉村知事だそうだ。若くてメリハリが効く政策を打ち出しているとのことだ。又、青森県むつ市の市長も人気が高い。先の連休に彼は、コロナの怖さを打ち出し、観光施設をすべて閉鎖して、徹底的に観光客を排除した。では、我らが玉城デニー知事はどうか。いまいち評価が低い。「コロナ政策が後手後手に回っているふしが見える。感染者を多く出している米軍基地への対応も感心出来ないし、県民の大方が不満を持っている」とタイムスが厳しく批判している。
私はデニー知事とは10年来の付き合いだ。彼はとても人情家だ。政治家には珍しいタイプである。だから友人達には絶大な人気がある。しかし、人情家に付きまとう優柔不断の性格もある。今回はそれが前面に出た格好だ。コロナも怖い。しかし、県の産業は観光がメインだ。「観光客に来ないで」と言いたいのだが、観光業の方々のことを考えると言えない。二者択一が出来ない。これが彼の性格だ。人情味あふれる性格の欠点がここに来て現れてしまったのだ。人気取りの本土の無責任なリーダー達とは違う。可哀想に…。がんばれ!我が友デニーよ。祈っているよ。
性格は私達の人生を大きく左右する。大体大きく分けると次の3つのタイプに分かれる。
①肯定派(「出来る」と言う前向きな心を持つ人)
②どうでもいいよ派(人に流され自分の意見を持たない人)
③否定派(最初に出てくる言葉が「出来ない」の心を持つ人)
あなたはどのタイプか?私はどちらかと言うと肯定派だ。クリスチャンになってからは、より一層肯定派になった。何しろ「生きておられる神、何でも出来る神」を父に持つようになったからだ。だから私は、クリスチャン人生をとても楽しく生きている。イスラエルで「ヤロブアム」が王になった。彼を12部族の内、10部族が支持した。(Ⅰ列王記12:20)普通、王様は絶大な権力を持ち、何でも出来るはずだ。しかし彼は、王様になったのに否定的な考えを持つようになった。(Ⅰ列王記12:26~)この心が彼を滅ぼしていくことになる。彼はイスラエルの神様を信じていたのに……。私はこれまで多くの否定的なクリスチャン達を見てきた。あなたはどうか?下を見て歩くクリスチャンではないか?
ハレルヤ!と天に向かって叫んでみろ!上を見上げよ!と天の父は言っているぞ!アーメン。

2020年7月26日 牧師 一口メモ

私が信じている神様は非常にユニークだ。あまりにもユニーク過ぎて怒りが来る時がある。何故なら、いつも聖書を通して「神の義」を教えているにもかかわらず、「これが正義か?」と思う時があるからだ…。
例えば、旧約聖書に登場するアハブ王について見てみよう。彼は非情な王で、誰よりも最悪の王だったと言っている。(Ⅰ列王記16:30~31)「彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。(Ⅰ列王16:31)」又、自分の宮殿の隣のブドウ畑が欲しくなって、持ち主(ナボテ)に売買の交渉をした。しかし、持ち主は、先祖からの大事なブドウ畑なので「売らない」と断った。それでアハブ王は、へそを曲げ、食事もしないで落ち込んで、ベッドで寝たきりになってしまった。王の立場も忘れてしまって、仕事もしないでいた。これが一国の王たるものかと思うのだが…。しかし、悪妻イゼベルの謀略によって、ブドウ畑を手に入れてしまった。当然、神様は怒った。そして、預言者エリヤを遣わした。エリヤから忠告を受けたアハブ王は、悔い改めた。その悔い改めによって許された。だが、殺されて財産を奪われたナボテはどうなるのだ。これが「神の義か?」と思うのだ。又、神様は、預言者エリヤを大いに用いて、数々の不思議、奇跡を行った。そのひとつに、神様がエリヤを、烏(カラス)を使って養った話しがある。数羽のカラスが、エリヤの所に、朝と夕、パンと肉を持って来たのだ。鳩でなくカラスだ。何故にカラスなのだ。(Ⅰ列王17:2~6)又、敵との厳しい戦いが続く中、エリヤは連戦連勝だったが、疲れ果てて、うつ状態になり、死にたいと引きこもってしまった。(Ⅰ列王19:4)しかし神様は御使いを使って、エリヤにパンと水を与えた。今度はカラスではなく御使いだった。カラスを使ったり、御使いを使ったりと、神様のみ心を知るのは中々難しい。あわれみ深い神様だが、非常におもしろい手を使うユニークな神様ではないか。だから聖書を読むのは楽しいのだ。悪人でも忍耐を持って使い続ける神様だ。日本の政治のリーダー達を見ると、正にアハブ王だ。特に安倍さんはそっくりだ。国民は自分達をいじめ続けている安倍さんを選んでいる。コロナの第2波が来ているのに「GO TOキャンペーン」で、全国にコロナをまき散らす政策しか出来ない。東京をはじめ、都市では感染者が増え続けている。沖縄も1日で10人の感染者が出た。米軍関係者も感染者が増え続けている。ただ単に自粛だけが先行し、事業者への補償は何も打ち出せないでいる。しかし、日本の国民はそんな安倍さんを信用している。おかしなことだ。この沖縄に、そして日本に、エリヤが登場するのを待つしかないのかもね。アキサミヨ-!!だよ。

2020年7月19日 牧師 一口メモ

ここ2~3日腹が立ってしょうがない。怒りでいっぱいだ。米軍基地の中でコロナ感染が蔓延している。今日(17日)までに5つの基地で138人が感染している。最初は人数も公表しなかった。県が幾ら要請しても断り続けていた。しかも官房長官の「菅さん」は、米軍の対応は正しいと言ったのである。沖縄を馬鹿にし過ぎている。いつもアメリカの言いなりだ。
秋田県のイージス・アショアの配備は、県民の反対に遭って配備を中止した。河野防衛大臣が直接謝罪までしている。しかし、沖縄の新基地建設は当たり前だと言う。辺野古は県民の6割が反対を唱え続けているのに、無視して工事を続けている。それは一兆円近くまで予算が膨らむそうだ。完成までいくらかかるのか、何年かかるのか誰も分からない。アメリカでもこの場所を疑問視している人が増えてきたそうだ。何しろ軟弱地盤だから。震度2~3でも崩壊するというデータもある。それでも基地建設を強行している。バカにするのもいい加減にしろ!と怒りがこみ上げてくる。明らかに沖縄差別だ。又、政府の言いなりになり、金をばらまかれ、奴隷にされても何も言えず、自民党の県議さん達に投票した、情けない自己中心の沖縄県民も…。
聖書にもそのような人々の記述がある。
「実際あなたがたは、だれかに奴隷にされても、食い尽くされても、強奪されても、いばられても、顔をたたかれても、我慢しています。(Ⅱコリント11:4 、11:20)」
物言えないクリスチャンにはなってほしくない。聖書は言う。「ハイはハイ。ノーはノー」だ。反対する勇気と断る勇気は人にとってとても大事だ。コリントの教会は完全に腐っていた。自己中心のクリスチャン達が集まっていたのだ。彼らは聖書を知らなかった。又、必要としていなかった。なぜか高慢と無知が彼らを支配していたからだ。このようなクリスチャンは現代でも教会にウヨウヨいる。
私達は「無知の知」を座右の銘にしたいものだ。私達は聖書の全てを知ることは出来ないし、神の御心の全てを知ることも出来ない。だが、聖書の教えは完全だ。だから常に聖書を頼って生きた方が良い。又、無から有を生み出す神を頼って生きること。これが最高の人生だ。アーメン。

2020年06月28日 牧師 一口メモ

やがて新しい会堂が誕生する。今回、天の父が下さったものは、南風原町にある築約30年の5階建ての建物だ。4階部分を教会にする為、毎日、多くの兄弟姉妹達と共にリフォーム作業をしている。この建物は30年近く「温浴施設&レストラン」を営業していた為、あまりにも物が多すぎて選別作業が大変だ。ほとんど捨てる物ばかりである。皆が汗と埃にまみれながら作業をしている。私は色々と指示をしながら、ここはああしよう…、ここはこうしよう…、と完成を想像したりして楽しんでいる。全面的に改装するので大変な工事ではあるが、色々な特技を持った人達が集まっているので、工事が早く進む。何でも出来る素敵なプロの集団だ。「よくぞ、こんなにも素晴らしい兄弟姉妹達を集めて下さったものだ」と天の父に感謝している。ハレルヤ!
当教会の移転はこれで3度目である。1999年11月に浦添市大平の会堂からスタートした。その時も、教会員皆でリフォームした。それから5年後、同じ浦添市の宮城に引っ越した。そこも古い建物だったが、皆で頑張ってリフォームして、とてもいい会堂に仕上げた。しかし、その又3年後、現在の所(那覇市曙)に引っ越すことになった。7階建の大きなホテル跡を買い取ったからである。その1階部分をリフォームして会堂にした。移って来て約10年、やっと落ち着いてきたなと思っていたら、最近になって頭を悩まされる問題が起こってきた。ここは築50年の古い建物なので、かなり老朽化が進み、色々と壊れてきているのである。台風の時には大変だった。雨漏りも日常茶飯事である。修理しても、修理しても、次から次へと色々な所が壊れてくる。だから、「新しい場所を下さい。もう古い建物はたくさんです。新しい建物を下さい…」と必死になって祈ってきた。そして、やっと祈りは聞かれ、天の父からのプレゼントが与えられたのである。今回も古い建物ではあるが利点が大きい。車の往来が激しい目立つ場所にあるので、教会にはもってこいである。又、なんと80台も収容できる駐車場がある。このような素晴らしい場所に引っ越せることを心から感謝している。作業現場を歩き回りながら、新会堂の完成を心のキャンバスに描いて、ワクワクした毎日を送っている。ハレルヤ!
聖書によると会堂の歴史は、神の幕屋からはじまり、ソロモンの神殿、そしてシナゴーグと続く。そこに人々が集まって神様に礼拝を捧げていたのである。教会は建物ではあるが、霊的にはイエス様の御体である。「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。(エペソ1:23)」、「私の家は祈りの家と呼ばれる。(マタイ21:13)」だから、新会堂は出来るだけ綺麗にし、清潔感を出したいと思っている。 完成まで今しばらく祈りつつお持ちください。乞うご期待!アーメン。

2020年06月21日 牧師 一口メモ

「天国と地獄」(1963)という映画があった。黒沢明監督の映画である。貧しい家庭で育った主人公は、必死に頑張って製靴会社の役員にまで出世する。そして丘の上に豪邸を建てて優雅な生活を送っていた。ある時、子供が誘拐される。しかし、その子供はお抱え運転手の子供だった。誘拐犯人が間違えてしまったのだ。これから人間の業が展開していく…。という内容だ。
ついに連日報道されていた国会議員の夫婦が逮捕された。河井前法務大臣と参議院議員である奥さんの案里氏だ。2人とも国会議員になった。しかも夫の克行氏は去年、法務大臣に就任した。夫婦で満面の笑みをもって自慢げにTVのインタービューに応じていた。しかしその後、奥さんの選挙違反が報じられ、夫が辞任に追い込まれてしまった。わずか1か月ほどの法務大臣だった。その後2人は国会にも出席せずに逃げ回り、国民の前に姿を見せることはなかった。当然、説明責任も果たすことなく、ひたすら隠れ続けるしかなかった。しかし、ついに選挙違反で2人同時に逮捕されたのである。
今、拘置所の中で、夫婦して「地獄に落ちた」と思っているだろうと推測する。正に「天国と地獄」である。このような人生を歩む人は多いのではないかと思う。私自身もその一人だ。過去に死にたいと思うほどの苦しみを体験した。それは正に地獄だった。各々感覚は違うと思うが、ほとんどのクリスチャンが、程度の差はあれ、地獄のような苦しみを体験したのではないかと思う。このような証しはクリスチャンの世界ではごく当たり前のことで、誰もがすんなりと救われたとは思えない。
詩篇119:71 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」この詩篇の御言葉どおり、クリスチャンになってはじめて、失敗や挫折の体験が真理を悟る道へと続いていることを知るのである。私達が神様から与えられた「特権」は霊的なことである。この世の一時的な楽しみ、苦しみとは比べることができない。イエス様を自分の救い主として信じることによって、死後に「永遠の天国」に住むことになるのである。これこそが神様からの大いなる祝福なのである。ハレルヤ! 恐ろしいのは「永遠の地獄」に入れられることである。願わくは、河井夫妻が拘置所の中でイエス様に出会いますように…。
伝道者の書7:14 「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。」
この御言葉が生きて働きますように。アーメン。

2020年06月14日 牧師 一口メモ

キリスト教の基本的な教理は「愛」である。そのシンボルが十字架だ。各教会には必ず十字架がそびえ立っているはずだ。つまり私達は「愛」を掲げるクリスチャンなのだ。このような宗教は他にはない。神様は天地万物を私達人間の為に完璧に創造して「愛」を見せて下さった。又、人間の罪を赦す為に独り子イエスを十字架にかけて下さった。この事によって全ての人間にご自身の「愛」を示して下さったのである。神様は私達に「互いに愛し合いなさい(ヨハネ15章)」と3度も命じられた。ですから愛の人になることが私達の目標である。
私は毎日「私を愛の人にしてください。愛の人になりたいのです。」と強く祈り続けている。ややもすると、日々の生活の中でいとも簡単にこの「愛」がどこかに吹っ飛んで行く。不思議なことに何か問題が起こると「怒り」が「愛」を吹き飛ばしてしまう。
私はクリスチャンになって31年、牧師になって21年、必死に愛の人になりたいと思い、祈り続けてきた。自分の性格についても「口が悪いので私の言語中枢に働いて下さい…」と必死に祈っているのだが、短気な性格は一向に直る気配がない。何故にすぐに怒るのだろうか。穏やかに話しが出来ないのだろうか。優しく諭し、戒めることが出来ないのだろうか。
「自分はどのようなとき怒るのだろうか?」と考えてみた。あれこれ色々な事業をやっているとスタッフと話す機会が多い。彼らの仕事のミスを発見すると瞬時に怒りが湧いてくるのである。
聖書は教える。ぶどうの木の枝が豊かな実を結ぶには、管理することが重要である。つまり管理者が必要になるのである。私達が良い実を結ぶための管理者はイエス様である。イエス様は直接語らないし、注意しない。聖書を通して注意し、戒めるのである。あるいは人を使って「愛のむち」を振うのである。
ぶどうの木は時期が来たら枝の刈り込みをする。(ヨハネ15:2)その時には、ぶどうの枝は痛い思いをしなければならない。この事は後に多くの実を結ぶために必要な事なのである。何の管理も受けない野生のぶどうの枝は豊かな実を結ぶことは出来ない。
私達クリスチャンが豊かな実を実らせるためには「刈り込み」という訓練が必要である。きれいに管理されてはじめて豊かな実を結ぶことになる。イエス様に管理されて「愛の実」を結びたいものだ。アーメン。

2020年06月7日 牧師 一口メモ

世界中がコロナウイルス恐慌に陥っている最中、アメリカにおいて、警察官に よる人種差別的な行為で黒人男性が死亡した。このような出来事は今回に限っ たことではない。何度も何度も起こってきたことだ。その度に抗議行動が起こ った。しかし、なかなかアメリカの警察が改まることはなく、今も尚、起こり 続けている。私は22歳時(1971年)、初めてアメリカのロサンゼルスに行った 。その時、1968年に起こった暴動(キング牧師暗殺)で破壊された現場の後を 見た。沖縄のコザ暴動とは桁違いの悲惨な状況だった。何キロにもわたって、 焼かれている車が放置されていた。又、焼き討ちに遭った商店街がそのまま残 っていた。それらを見た時、長年差別され、虐げられ、痛めつけられてきた黒人 の怒りを痛切に感じ、私の胸を強く締め付けた。48年前のこれらの光景を今も 鮮明に覚えている。今回の抗議運動は、何時治まるのか分からない。大きな怒 りがうねりとなって全州に広がっている。又、略奪行為も今までになかったほ どの大きな被害を起こしている。一日も早く収束することを願っている。
「差別」は大昔から人間の社会に存在してきた。そしてそれは人間の心を蝕ん できた。沖縄と日本本土を見ればよく分かる。コザ暴動に参加した先輩の話を 聞いたことがあった。車を焼いている時に、道を歩いていた白人を手当たり次 第に皆で殴りつけたそうだ。しかし黒人には手を出さないようにとの暗黙の了 解が芽生え、黒人は殴らなかったそうだ。「うちなーんちゅ」の心を見たよう だった。それが白人に支配され、差別されていた沖縄の心だったのだろう。
人間社会は一つの組織である。集合体である。当然そこには支配者がいて、支 配されるものが出る。それは、組織や社会がうまく機能して、人々を幸せにし 、平和をつくる為に必要であるはずだ。しかし、問題も大きな壁となって人の 間に立ちはだかる。聖書は次のように教える。一つ目は、黒人(シェバ、エチ オピア)のユダヤ人がいたことだ。クレネ人がそうだ。マルコ15:21、ローマ 16:13にも登場する。しかも、彼らはとても仲良く暮らしていて、イエスを信 じていた。そこには差別はなかった。もう一つは、使徒の働き8章。ピリポが エチオピアの宦官に洗礼を授ける話がある。この宦官は黒人である。弟子達の 愛の深さが良く理解できる場面ではないか。ピリポは黒人を差別しなかった。 又、使徒の働き6章では、差別されているやもめたちがいた。その解決の為に 使徒たちは動いた。どんな問題にも必ず解決の策がある。使徒達はいつも聖霊 に従っていたのだ。だからすぐに動いて解決できた。しかも最高の解決策であ った。そのような聖書の教えには、ただただ驚嘆するのみだ。ハレルヤ!

2020年05月31日 牧師 一口メモ

牧師一口メモは、金曜日の夜から書きはじめ土曜日の朝に出来上がる。それは、愛する妻との大きな愛の合作である。下書きは私が作るが、仕上げは妻の役目である。私は大体1時間位で書き上げる。社会の話題と聖書をかみ合わせて、それを日曜日のメッセージにつなげることにしている。妻はそれを1時間以上かけて丁寧に仕上げていく。漢字の使い方や言葉のつづり方、文章の流れ等々にかなり気を配って修正していく。だから妻が参加してからは、以前とは比べられないくらい読みやすい「一口メモ」になっていると思う。夫婦で一つの仕事をこなすことは、とてもいいことだと思う。
今、私は、旧約聖書「Ⅰサムエル記」、新約聖書「ローマ書」を読んでいる。毎日、旧約と新約の両方を読むように心掛けている。「Ⅰサムエル記」は、ダビデがサウル王に代わってイスラエルの王になる物語である。その中に非常に興味がある場面を見つけた。遭遇したといった方が良いだろう。今まで何度も読んできたが全然気に留めなかった箇所だ。これによって聖書の不思議を体験した。Ⅰサムエル記30:26~31で、ダビデはアマレク人との戦いに勝利して、多くの戦利品を獲得し、それをイスラエルの人々に分け与えた。その前の箇所では、疲れて戦いに参加できなかった戦士達に戦利品を分け与えている。戦いに参加した勇者達は、脱落した仲間達に戦利品を分け与えることに反対する。しかしダビデは、戦いに参加した勇者たちを説得して、脱落した戦士達にも同じように分け与えるのである。しかも、戦争に関係しなかったイスラエルの長老達や民にも贈り物をした。ダビデの真骨頂が伺える。彼は常に与える人だった。又、部下や仲間に対して、とても大らかで思いやりがあった。ケチることは一切しなかったし、非常に義理堅い人だった。ダビデの生涯を見ればそれがよく分かる。アブラハムと同じことをしている。(創世記13:9-11)だからダビデにアブラハムの祝福が臨んだと思う。前王のサウル王とはすべてが正反対だ。
私達の人生はクリスチャンになっても多くの訓練を受ける。つまり問題や悩みの中を歩んで行くのである。特に対人関係は非常に大きな悩みだ。それは、私達が、主の教える最大の戒めを守る為である。
①あなたの神を愛せよ。(ダビデは常に主の戒めを一番にした。敵となったサウル王を殺すチャンスがあったのに赦した。)
②あなたの隣人を愛せよ。(戦利品を同胞に送ったのは愛があるからであろう。)クリスチャンは神から様々な訓練を受ける。その訓練を早く終わらせるためには、この2つを生活の中で実行できるようになるべきだと思う。常に自分を捨てて、神の命令に従い行うことに力を注ごうではないか
アーメン。

2020年05月24日 牧師 一口メモ

コロナウイルスに振り回され、生活に大混乱をきたしてきたが、やっと落ち着きそうだ。礼拝も以前と同じように、皆で一緒に手を取り合って捧げることが出来る。非常に嬉しいことだ。やっぱり正常な形での礼拝が一番だ。アーメン。
この2カ月間の苦しみを通して、平和に勝るものはないとつくづく感じさせられた。お金を始め、仕事や車、家や家族等の全てを持っていても、平安、自由がないのは大変なことだ。この体験は非常に貴重である。イエス様が甦って後、弟子達に現れて放った第一声は「平安があるように」だった。又、クリスチャンとして色々な制限をかけられることも嫌なものであると体験した。信仰を保つには教会が必要だし、兄弟姉妹達との交わりも必要だ。これらがいかに大事であるかを知った。だから、今回のコロナウイルスの嵐は、私達クリスチャンに大きな教訓をもたらしたと思っている。まだまだ油断禁物ではあるが…。
しばらくはマスク生活を強いられそうだ。しかし何よりも、今日から普通の当たり前のスタイルで礼拝を捧げることが出来る。こんな嬉しいことはない。イエス様に感謝である。とにもかくにも、私達の祈りこそが勝利となったと信じている。これからも祈りを絶やさず、心一つにして教会に集まろう。ハレルヤ!
イエス様は常に祈るお方であった。朝早くから祈り、夕にも祈り、夜を明かして祈られた。そして弟子達に「主の祈り」を教えられた。又、ヨハネの17章では、十字架にかかる前夜、長い祈りを天の父に捧げている。その前に、祈りの極意を弟子達に語っておられる。イエス様は過ぎ越しの食事をした後、弟子達に長々と時間をかけて色々なことを教えられた。ヨハネ16:33 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」①平安がある。②艱難があるが勇敢であれ。③世に勝った。これらはまだ起こってはいなかった。しかし既に受け取ったような言葉である。まさに「マルコ11:24」の祈りの教えではないか。「祈って求める者は何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」イエス様は、ヨハネ17章で「父よ」と何度も呼びかけている。1節、5節、21節、24節では「父よ」と、25節では「正しい父よ」と、とても親しく呼びかけている。正に親子の関係を強く表していると思う。私達の神は、とても優しい父なる神である。だから、「アバ!父よ!(マルコ14:34)」と呼んで祈ろうではないか。アーメン。

2020年05月17日 牧師 一口メモ

コロナウイルスの感染が全国的に減って、だいぶ落ち着いてきたようだ。沖縄も「緊急事態宣言」が解除された。やれやれと言ったところだが、手放しで喜べるものではなさそうだ。引き続き警戒は必要だろう。私達の礼拝も、5月24日からは通常通りにやれそうだ。ハレルヤ! 礼拝は皆が一つ所に集まってやるのが一番だと思う。詩篇133:1 「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう」。この聖句は、主の宮での礼拝を表している。正にその通りで、神の家族が主の宮に集まり、心一つにして捧げる礼拝はとても楽しい。時には厳しいメッセージによって心砕かれることもあるが。
今回のコロナウイルスのことで、神様は、私達クリスチャンに何を教えておられるのだろうか。祈ってみた。考えてみた。しかし、なかなか確信のある答えを得ることは出来なかった。日本においては、アメリカ、ロシア、ヨーロッパ等と比べると、感染者数、死者数も非常に少ない(5/16現在)。予想に反して、短期間で「緊急措置」が、8都道府県を除いて解除された。沖縄も解除された。どうして日本は強制措置が伴わないのに、自粛要請のみでコロナウイルスを抑え込むことが出来たのか。国民性の違いかとも思うのだが…。何しろ日本人は非常にまじめな性質を持っている。勤勉でもあるし、盗みをしない。大地震が来ても略奪しない。暴れない。聖書の「使徒の働き」を見ると、イスラエルの人々が、いかに激しやすい感情を持っているかが分かる。「イエスを殺せ」と言ってユダヤの群衆は騒いだ。ステパノの時もそうだ。「直ぐに殺せ、除け」と叫び、行動に移す。パウロの時もそうだった。それらと比べると、いかに日本人が、感情を抑えるすべを知っているかが分かる。そのことは、自動販売機を見るとよく分かる。全国の至る所に置かれているが、壊されたり盗まれたりすることが無い。無傷でそのまま置かれている。先進国アメリカでは考えられないことだ。世界一治安の良い国に住めて本当に感謝している。この性質は世界に誇れるものだ。これは神様が与えてくださった賜物だと思っている。そして、一つだけ確信が持てたのは、「クリスチャンの祈り」だった。日本人のクリスチャンはよく祈る。日本の教会は世界一祈る教会だが、今迄、一つの問題の為に、心合わせて祈ったことはなかったのではないかと思う。全ての教会、全てのクリスチャン達が、自分の家で祈り続けてきた結果が現れたのだ。祈りの力が神の御手を動かしたのだ。このコロナウイルスの件が、日本のリバイバルのカギとなるかもしれないと感じた。とにかく祈り続けようではないか。アーメン。

2020年05月09日 牧師 一口メモ

人間の一生は困難と艱難との戦いである。又、様々な事故事件や災害等々に、いつ何時遭うか分からないのも人生であろう。一寸先は誰にも分からない。ゴスペルソングにあるように「明日はどんな日か知らない」。だからといって希望を失っているわけではない。大きな希望があるのも人生だ。
聖書においてイエス・キリストは、私達に希望の約束をしておられる。
ヨシュア記1:9「私はあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行く所どこででも、あなたの神、主があなたと共におられるのだから」。すごい約束ではないか。このような約束は、私達に絶大な希望を与える。何しろ「生きておられる神で、何でも出来る神」が聖書の御言葉を持って約束しておられるのだから。
又、詩篇23:4「たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたが、共におられますから」。私達の一生には様々な問題が常に起こる。特に人間関係は、複雑に絡んできて私達を悩ます。時には死を考えることもある。私も40歳の頃に、死を考えるほどの大きな問題に襲われた。しかし、イエス様に出会ってからは、死を免れて、今、生きている。
詩篇91:15「彼がわたしを呼び求めれば、わたしは彼に答える。わたしは苦しみの時に彼とともにいて、彼を救い、彼に誉れを与える」。私は、聖書の約束通りに、溢れんばかりの恵みをいただいた。ハレルヤ! あわれみ深いイエス様は、「いつもあなたと一緒だよ」と約束して下さった。又、「どんな災いからも守る」とも…。
詩篇121:3「主は、あなたの足をよろけさせず、あなたを守る方はまどろむこともない」。このような約束は枚挙にいとまがないくらい溢れている。
詩篇91:10~12「 わざわいは、あなたにふりかからず、疫病も、あなたの天幕に近づかない。まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする」。
イエス様は、天使をも使って私達を守ると言う。なんという素晴らしい愛だろうか。コロナウイルスが世界中を席捲している中で、私達に大きな守りの約束が与えられている。信じて祈りつつ日常生活を送ろうではないか。しかし、だからといって無茶な信仰には気をつける必要がある。信仰と御言葉の適用は慎重に行わなければならない。敵は常に目を光らせていることも忘れないで。
Ⅰペテロ5:8~9「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい」アーメン。

2020年05月02日 牧師 一口メモ

コロナウイルスの「緊急宣言」が5月いっぱいまで延長になりそうだ。いつになったら落ち着くのだろうか。いつまで続くのか…。どんよりと漂う嫌な気分の毎日だ。確かに道路は車が少なくて走りやすくはなったが、だんだんと変な感じを持ってしまう。しかし、この嫌な思いをなんとか吹き飛ばそうと、聖書を読み、祈りで心を静めている。今は、ほとんどの人が不幸の中にいるのではないだろうか。
今日は「成功と不幸」について記したいと思っている。生きている神様は、人間が幸せに生きるようにと願って天地万物を創られた。そして創り終えた時に、すべてをご覧になって「良かった」と言われた。人間にとって最高の環境が与えられた。又、動物、植物もすべてが良い物だった。アダムとエバが罪を犯してエデンから追放されて以降は、生まれて、生きて、枯れて、死ぬ。これが、神様が自然に与えた循環作用だった。春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る。当たり前だが非常に大切な自然の作用だ。しかし、サタンに騙され、このサイクルが狂い始めた。人間が勝手に自分達の欲望の為に、神様が創られた最高の自然のサイクルを狂わせてしまったのだ。これが人類の大きな不幸のはじまりであった。文明が発達して便利にはなったが、心は段々と難しくなり、不幸感が優先になった。生まれる前から競争の中に入れられてきたからだと思う。人はよく次のように言い、教える。「生まれてきたからには成功するのだよ」と。「成功」「幸せ」とはいったい何なのだ。深く考えたことがないかもしれない。私自身、イエス様を知る前の答えは非常に簡単だった。偉くなり、金持ちになり、外車に乗り、豪邸を持つことだった。しかし、イエス様を知ってからは、「成功と幸せ」に関する考え方が根底から変わった。幸せの定義の一番目は「イエス様を知る」ということだ。つまり、人には「救い」が備えられているということだ。二番目に「罪を知った」ことである。「犯罪の罪」は良く知っている。しかし、「イエス様が言う罪」は知らなかった。本当はこの罪が罪なのだ。三番目に「天国と地獄がある」ということを知ったことだ。人間は死んだら終わりだと思っていた。しかし、後の世界があったのだ。いくら財産を持ち、有名になり、偉くなっても、これらのことを知らなければ、成功とは言えないし、幸せともいえないと思う。マタイ16:26 「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」クリスチャンはこの言葉がよく分かる。だから最高の成功者であり幸せ者なのだ。アーメン。

2020年04月19日 牧師 一口メモ

コロナウイルスが登場してから、クリスチャンの世界では色々なことがささやかれ、ネットを賑わしている。「神の声を聞いた」、「神を見た」、「天上会議を見た」等々。又、「悲惨な出来事を見せられた」等の夢や幻が行きかっているようだ。確かにこれらのことを体験したりする人はたくさんいるだろう。しかし、このような時こそ検証や吟味が必要であろう。そして、次のように聞くのも忘れないでおこう。「なぜ私に見せるのですか?」、「なぜ私を選んだのですか?」…と。この謙遜さを持っている人は心配ないだろう。
又、「神の声を聞いた」と言う人や、夢、幻を見た人達が言う。「もうすぐ主は迎えに来られる」と。とてもすばらしいことだ。しかし…と考えざるを得ない私がいる。今、主が迎えに来られたら非常に困る。なぜなら1億人の日本人が地獄に行くからだ。私の姉や弟もまだ信じていない。伝道しているのだが、なかなかイエス様を信じようとしない。又、多くの友人達もまだ信じようとしない。だからもう少し時間が必要だ。本当は「マラナ・タ」と叫びたいところだ。しかし、「イエス様、今はあなたの来る時ではありません。一生懸命に伝道しますから、もう少し時間を下さい」と祈るべきであろう。そして、このような時に気をつけなければならないのは、惑わされない(騙されない)ことだ。サタンも御使いに変装するのだから。(Ⅱコリント11:14~15)
先週、「復活の喜び」のメッセージをしたばかりなのに、又コロナの話しか…と嫌になっている方もいると思う。危惧するのは、沖縄も非常事態宣言の枠に入り、神の家族が集まって礼拝することが出来なくなりそうなことだ。もう100人を超える感染者が出ている。ある調査では、沖縄の約半分の教会が礼拝を中止しているそうだ。教会とて、国が発令した自粛要請には応えなければならないと思っている。これこそ信仰の問題だ。教会は世の光だ。いたずらに世に反発することは異端のすることだと思っている。だから、私達の教会もこの事態に対処する為に、インタ―ネット礼拝を準備することにした。スマートフォンやパソコン等々を駆使して、各自の家庭礼拝が可能になるようにしたいと思う。私達クリスチャンは、主にあっての人生だから何も恐れるものはない。「主にあって」とは、とても良い言葉だ。ヨハネ16:33で、「私にあって平安を保つためだ」とある。「主にあって」と日常の口癖にしようではないか。又、ローマ8:28はすごく励まされる御言葉だ。「主にあってすべてが益に変わる」という約束だ。この艱難(かんなん)も、必ず私達にとって「益」に変わるはずだ。これこそ信仰ではないか。とにかくすべてが「主にあって」だ。ハレルヤ!

2020年04月12日 牧師 一口メモ

今年も「復活祭」がやって。通常「イースター」と呼ばれているのだが、当教会はあえて「復活祭」と呼んでいる。理由は2つある。1つ目は日本語で呼びたいからだ。立派な日本語がある。聖書も「復活」と言っている。最近ではコロナウイルスの件で、日本の政治家達が英語を連発していた。政治家だけではない。一番ひどいのがマスコミであろう。本当に嫌になる。このような方はけっこうクリスチャンの指導者にもいる。例を示そう。「リマインダー、ジャーナル、アジェンダ、ファシリテーター、グリーフワーク、デボ―ション、ミニストリー等々」。果たしてあなたは幾つ理解できるだろうか。
知識はとっても大事だが、聞いている人が分からない言葉を使っては何の役にも立たない。だからこんな知識は要らない。日本人は外国語に弱いから、英語を使えば知識人と思われているが、果たしてそうだろうか。東京都の小池知事がコロナウイルスの会見で英語を連発した。「パンデミック、オーバーシュート、ロックダウン等々」。さすがに批判の嵐に遭い、次第に日本語を使うようになったが…。
2つ目の理由は言葉の意味である。「イースター」の語源のことだ。これも何度も礼拝で話したが、もう一度詳しく記すことにする。この言葉の語源は、アッシリヤで、愛、快楽、豊穣、多産の神として拝まれていた女神「アシュタル」にある。旧約聖書の士師記2:13では「イシュタロテ」、Ⅱ列王記3:7では「アシェラ像」、エレミヤ7:18では「天の女王イシュタル」として登場する。いずれも同様な意味を持つ女神である。このア(イ)シュタロテが「イースター」の語源である。それでもあなたは一番大切な「主の復活」を、「イースター」と呼びたいか。主が恐ろしい十字架の苦しみを経て復活したことを、平気で「イースター」と言えるだろうか。私には考えられないことである。
私達は人が聞いて分かるような言葉を正しく使いたいものだ。クリスチャンの世界はあまりにも追従の社会でもある。例えばクリスマスの誕生劇に「東方の博士達」を登場させている。しかも昔からこの劇を行っている。聖書はそのようには記してないにも関わらず、今でも「博士達」を登場させている。又、牧師は「先生」、「牧師先生」と呼ばれている。政治家みたいに「先生」と呼ばれるのがあたりまえになり好きになってはいないか。立派な「牧師」という肩書が与えられているのに。あまりにも無頓着であると思う。
パウロはコリントで最も大切な教えとして「甦り、復活」を上げている。「復活」という言葉を使いたいものだ。アーメン。

2020年03月21日 牧師 一口メモ

クリスチャンになると色々な教えの中に入っていく。例えば、「日曜日は礼拝に参加する事」等々。クリスチャンになる前と後では、全然違った生活を送ることになる。又、「世の中の法律をしっかりと守るように」とも教えられる。だから、当然生き方が変わるのである。今迄の私の生き方は、「人が見ていないから、人に知られていないから、ばれないから少しくらいはいいだろう」だった。しかし、「生きている神様は、天から私達すべての人を見ておられる」と教えられてからは、「人が見ていなくても、天の父なる神様はいつもすべてをお見通しなのだ」と思うようになった。そして、「全能なる神様」であることも知り、恐れを抱くようになった。ただの恐怖とは違う。聖なる恐れだ。「あなたこそは、私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。(詩篇139:2)」これこそが全能なる神様の御姿だ。
クリスチャンになってから私が変えられた事の一つは、お金の使い方であった。今迄は、自分で稼いだ金なのだから、自分の為だけに使うのは至極当然のことだと思っていた。しかし、救われてから、お金の正しい使い方を教えられたのだ。これが教会の凄さだと思った。つまり、教会が、私のお金に関しての意識を変えてくれたのである。まず、「十分の一献金」に関する教えがあった。「この世のすべての物は神様の物である。だから、あなたの持ち物すべては神様が与えてくれたのだよ…」それを聞いて怪訝そうな顔をする私に、牧師がその意義を丁寧に教えてくれた。「月、星、太陽、水、空気、動植物…等々は、神様が、全ての人が楽しく生きられるようにと造って下さった。これらの物を利用してあなたはお金を稼ぐことが出来ているのだ。だから、あなたが稼いだ内の、十分の一を神様にお返しするのだよ」と。(マタイ5:45参照)私は納得した。それ以来、十分の一献金を欠かしたことは無い。その次に教えられたことは、「稼いだお金は、貧しい人や困っている人の為に使う」という事である。「あなたの神、【主】があなたに与えようとしておられる地で、あなたのどの町囲みのうちででも、あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。(申命記15:7~)」
この聖書箇所により、当然、私のお金に対する考え方が変わった。伝道活動で出会った苦しんでいる方々に、持ち物をよくあげたものである。ウォークマン、時計、TV等々。当然、お金も…。そのことにより、神様は、聖書の約束通りに私を祝福して下さったのである。半端な祝福ではない。ゆすり入れるほどの祝福を下さっているのである。(ルカ6:8)お金は魔物である。祝福にもなるし呪いにもなる。だからとても気をつけて扱ってほしい。アーメン。

2020年03月14日 牧師 一口メモ

聖書を学ぶ学校をつくる事にした。牧師・伝道師の肩書を与えるのが目的ではない学校である。とにかく聖書だけを学んでほしい学校だ。私がクリスチャンになって31年目になる。その間、強烈に感じてきたことは、多くのクリスチャン達が聖書を軽く見ている事だった。又、あまり聖書を読んでいないことがわかった。それは彼らと聖書の話しをする時によく感じた。特に、聖書に登場する有名人物は知っているが、他の人の事はほとんど知らない。聖書を読まないのは、ただ単に書物が好きとか、嫌いとかの問題ではないと思っている。クリスチャンである以上、聖書は、日々、霊の日用の糧として読まなければならないものである。例えば「モルデカイやアビガイル」が、どのような人物か、又、聖書のどの場面に出て来るのか知っているだろうか。おそらくはほとんどの方々が知らないだろう。クリスチャン達が聖書を読まないこと、知らないことに関して、私は非常に危機感を持っている。幸いにも私は、クリスチャンになってすぐに聖書の幾つかの感動した場面に出合った。「銀行」と「屋上の手すり」の出てくる場面等々である。(詳しくはメッセージで)それらの箇所を読んだ時に、私は聖書の凄さに感動し、毎日読み続けることが楽しみとなったのである。だから、今こそ、多くのクリスチャン達に、聖書の素晴らしさ、読む楽しさを教えなければと思って学校を開くことにした。今までも何回か神学校を開設しようとしたが、道は開けなかった。最近になって私は考えが変わった。「神学校も良いけど、もっと皆に聖書を詳しく教えるのが先ではないか…」と思うようになったのである。ですから、これから開設する学校名を「ナオス・バイブルスクール」にした。皆さんに発表した「沖縄ナオス聖書学院大学」の名称は当分お預けにすることにする。とにかくクリスチャンになったのだから、聖書が私達にとって命と同じ重さであることを学んでほしいのだ。又、聖書は、私達のクリスチャン人生を幸せに導く「神様から与えられた唯一の書物」であると知って欲しい。 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩篇119:105)」
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です(Ⅱテモテ3:16 )」
「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。(ローマ15:4 )」
私は、聖書をどのように人生の中に、又、生活の中に入れるのかを教えたいのだ。そしてこの事を学べば、私達は楽しみが溢れる勝利に満ちたクリスチャン人生を送ることになる。これを約束する。だから皆が「ナオス・バイブルスクール」に入って欲しい。あなたに希望を与えます。幸せを与えます。アーメン。

2020年03月06日 牧師 一口メモ

コロナウイルスの話題が収まりそうにない。TVはこのニュースを連日一番に取り上げている。日本でも日に日に感染者が誕生する。だからニュースになるのだろう。いつ収まるか分からない非常に厄介なものだ。
疫病が聖書に登場するのは出エジプト記(紀元前1440)が最初である。「見よ、【主】の手は、野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に下り、非常に激しい疫病が起こる。(出エジプト9:3)」つまり今から3460年前の出来事である。この疫病は何故に起こるのか。沖縄では先月(2月)に豚コレラが発生した。
これらの疫病の原因は3つある。
1.衛生面が悪い時。だから生活面をいつも清潔に保つ必要がある。住宅はもちろん、社会も常にきれいにすることである。日本は世界の中でも非常に清潔感のある国であろう。私は、これまでアメリカ、中国、台湾、韓国、グアム、アルゼンチン、イスラエル、カナダへ行ったことがあるが、日本ほどきれいで清潔な国はなかった。衛生面が特に酷い国は中国だった。今回も中国から発生したことにはある程度うなずけるところがある。
2.神様は食べて良い動物と食べてはならない動物を教えた。レビ記11章では、細かく動物の名前を上げて指図し、警告を与え、厳しく命じている。私が30年前に中国に行った時に、困ったことが2つあった。1つはトイレであった。2つ目は、ゲテモノ料理である。よく町の政治家達と会食をした際、サソリや猿の脳みそ等々のゲテモノ料理を勧められたが、私は全然手を付けることが出来なかった。コウモリを勧められたかどうかは覚えていないが…。しかし彼らは「珍味」と言って平気で食べていた。
3.神に対する反抗。出エジプト記7章~12章では、神に反抗した時に民はサタンに引き渡されたのである。サタンは喜んで疫病を使うのだ。
4.クリスチャンを迫害する時。預言者や牧師達を批判したり迫害したりすると恐いことになる。「わたしの油そそがれた者たちに触れるな。わたしの預言者たちに危害を加えるな。(詩篇105:15)」
ゼカリヤ書には「私の油注がれた者に触れる者は、私のひとみに触れるものだ」とある。現在、中国はクリスチャンを迫害している。教会が破壊され、牧師達が逮捕された。サーズも中国が起源だった。今回のコロナウイルスは全世界にまたがっている。これは霊的な大きな意味があるのだろう。一国の力では解決できないことは確かだ。アメリカ、ロシア、中国といった大国だけでも解決できない。全世界を支配する獣の登場も早くなりそうだ。礼拝が守られる様に祈ろう。アーメン。

2020年02月29日 牧師 一口メモ

コロナウイルスが一段と暴れまくっている。死者の数も徐々に増えつつある。そのような中で遂に安倍政権が小学校、中学校、高校の休校を発表した。何の準備も無く突然の政策発動だ。日本中を大混乱に陥れている。何か手を打たなければ批判は止むことが無いと判断したのだろう。しかし、行きあたりばったりの政策が功を奏することは無く、国民に受け入れられるわけがない。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の時から何の手立ても出来なかった。危機管理がなされていなかったのだ。何事にもアメリカを頼ってきたつけが今頃になって露呈したのだと思う。しかし哀れなのは国民であろう。そんな安倍政権を選んでしまったのだから…。
今朝、早天の帰りにスーパーに買い物に行ってみると、トイレットペーパーの棚が空っぽなのに気付いた。ネットのデマに惑わされた方々が買い込んで行ったのだろう。又、ネットショッピングでは、トイレットペーパーが3~5倍の値段で売られているらしい。他にも色々な商品が売り切れているそうだ。日本中が惑わしの世界に完全に陥っている。これらの事はイエス様がちゃんと教えているので、聖書を正しく読んでいるクリスチャンは惑わされず、慌てることはないはずだ。「そこで、イエスは彼らに答えて言われた。『人に惑わされないように気をつけなさい』マタイ24:4」このような事を聖書は教えている。つくづく聖書の凄さが分かる。私達を狙っている敵、サタンがいることを知っておこう。「にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。マタイ24:24」聖書の示す通りに、これからも色々な自然災害、地震、疫病、戦争等々が起こるだろう。
しかし、一番怖いのは偽物イエスが現れることだ。イエスのそっくりさんが出てくる。(黙示録13:11)彼らは癒しや不思議を行って、クリスチャン達を惑わすだろう。ですから聖書をよく理解することが求められてくる。正確な答えは聖書にしかない。この事をしっかりと信仰をもって握っておこう。福音書ではイエス様が例え話を多く語っている。この例え話をしっかりと理解する必要がある。特にマタイの福音書は詳しく述べている。この例えは奥深い真理を示している。又、私達の日頃の生活を表しているので理解しやすいものでもある。勝利者になる為に聖書をしっかりと勉強しよう。アーメン。

2020年02月23日 牧師 一口メモ

「私には夢がある!」と言い放ったのは、かの有名な「マーティン・ルーサー・キング牧師」だった。とても感動する言葉だ。人に壮大な夢を与え、やる気を与える。大好きな言葉だ。私にも同じように「夢」がある。その一つに神学校の設立がある。初めからその夢を持っていたわけではない。牧師になってからである。クリスチャンになってから現在まで、周りを見渡して見ると、聖書をよく理解している聖徒が少ないことに疑問を持った。又、霊的な深い聖書解釈ができる牧師達を見ることも無かった。威張って言っているのではない。これまで私自身にものすごい影響を与えた霊的な信仰書は、外国人の牧師が書いた書物だった。ウォッチマン・ニ-、ロイド・ジョーンズ、リック・ジョイナー等々。まだまだ沢山いるが、彼らは皆外国人だ。特にこの3名からは霊的に大きなことを学んだ。おかげで聖書を読むのが大好きになった。毎日毎日読み続けた。だから私は神学校を造る夢を持つようになったのである。これまでも何度か挑戦してきたが、いずれも失敗に終わってしまった。その後、省みて失敗の原因を知った。そして、それらを踏み台にして、今年も果敢に挑戦することにしたのだ。私がこれまで学んできた聖書の深い意味と、御言葉の適用の方法を皆に教えたいのだ。今迄いつも他人を頼みとして、あらゆる講師を招いてきたが、今回からは勇気を持って思い切って、私自身が中心になってスタートすることにした。私は、今日までメッセージをはじめ聖書勉強会等も、すべて分かりやすく語り、生活に入れることが出来るように教えてきたつもりだ。キリストの社会は常に「上からの一方的な教え」と気付いた。下から質問が出来ない社会だ。だから、溢れるばかりの祝福を受けているクリスチャンが少ないと分かったのだ。本当に残念だと思った。そのようなことがあって、私の心の内に「神学校を造らなければいけない!」という強い決意が生まれたのである。神学校の名前は「沖縄ナオス聖書学院大学」に決めた。ナオスと言う言葉はギリシャ語で「神殿」と言う意味だ。早速、今年の4月からスタートしたい。日時は、毎週木曜日、午後7時30分から10時迄とする。(月4回)授業料は1回1000円にする。月にすると4000円かかるが、出来るだけ多くの方々の入学を希望する。2年目(来年)からは、本格的な聖書大学にするつもりだ。聖書を学んでイエス様に喜ばれるキリスト者になろう。アーメン。

2020年02月08日 牧師 一口メモ

いよいよ、楽しみにしていたマジックショーの伝道集会が始まる。2/8(土)、2/9(日)の2日間、本格的なプロのクリスチャン・マジシャンを招いて行う。手品(マジック)の好きな私にとっては非常に楽しみだ。私が最初に手品を覚えたのは19歳の時だ。バーテンダーとして働いていた店のマスターから、お客さんを楽しませるために強制的に教えられた。その時にはカードマジックが主だった。カウンターに座るお客さんに酒を注ぎながら見せていた。しばらくして、アメリカにいる従弟の叔父さんに呼ばれた。そしてラスベガスに遊びに連れて行かれた。まず、ホテルの大きさに度肝を抜かされた。日本では見たことがなかったのだ。そのホテルの1階フロアがカジノだった。学校の運動場ぐらいの広さで、数えきれないほどの人々でごった返していた。そのカジノは24時間眠ることなく動いていた。翌日は、ホテル内にある大きくて豪華なステージで一流のショーを見た。そのプログラムの一つにマジックショーがあった。初めて見るプロのマジシャンのマジックに驚いた。目玉が落ちるほどにびっくりした。以来、手品が大好きになった。今回は、私がクリスチャンになって、また教会にとって初めての本格的な手品伝道の企画だ。北海道で教会をしている牧師がマジシャンだ。だから期待せずにはおれない。
伝道は先に選ばれて救われた私達の大きな使命だ。伝道には決まった形がなくターゲットも様々だ。伝道の方法もトラクト配りを始め、個人伝道、路傍伝道、ラジオ伝道……と様々だ。日本と沖縄においてクリスチャンが増えない大きな理由は、私達が伝道しないからだ。多くの人は祈ればいいと言う。「祈りに期待している…」と。もちろん祈りほど大事なことは無い。しかし聖書は次のように言う。「 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。(ヤコブの手紙2:14)」当然ですが、祈った後の次には「行い」が求められる。私は30年前に救われた。その当時は多くの教会が、よく伝道をしていた。私もクリスチャン実業家達を集めて、那覇市内で毎週トラクト配りをしていた。各自、所属している教会名が入ったトラクトを配った。とても楽しくて、伝道後はいつも喫茶店に入って遅くまでユンタク(おしゃべり)をした。頻繁に「祈り会」もした。最近は、そのような伝道を見ることが無くなり大変残念に思う。今、私達教会はラジオを中心とした伝道をしている。兄弟姉妹達が3つのFM放送局を使って伝道をしている。時間とお金を主に捧げ、奉仕をしている兄弟姉妹達を心から誇りに思う。アーメン。

2020年02月02日 牧師 一口メモ

コロナウイルスが世界に拡大中だ。私達も気をつけたい。予防は大事だが具 体的にどのように予防しようか。まず、教会の入り口に消毒液を置いた。そし て外出の際にはマスクを勧めたい。出来るだけ良いマスクが良い。マスクはあ まり効目がないと言う専門家もいるが、どうだろうか。私自身、科学者、専門 家、有識者というのは信用しないことにしている。彼らのほとんどが、社会に 自分の説を認めさせて「有名になりたがり屋達」だからだ。専門家というのは一 番信用できない。一つの例を示そう。50年前に「中東の石油は30年後には枯渇 する」と言っていた人達がいた。地質学者の専門家達だ。しかし現在も枯渇ど ころか埋蔵量がいくらあるかも分からないくらいある。こういう類は世界中に 転がっている。何か事故事件が起こったらTVには必ず専門家達が登場するが、 何をもって「専門家」と言うのかがよく分からない。カルロス・ゴーンの時に もコメンテーター達を含めて皆が専門家になったようだった。法律、警備の果 ては楽器の専門家さえ登場した。楽器ケースに隠れて脱出したからだ。しかし なぜ彼が命がけで脱出したのか、その理由をちゃんと述べることのできる方は 一人もいなかった。浅はかな専門家達だった。
聖書にも専門家達が登場する。その筆頭がガマリエルである。しかし彼が本 当に聖書の専門家だっただろうか。救い主イエスがこの世に来たが、彼をメシ アとして見分けることが出来ただろうか。答えはノーだろう。律法学者、祭司 長、パリサイ人達はどうだろうか。イエスはきつい言葉を彼らに放つのだ。「 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々から天の御国を さえぎっているのです。自分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせませ ん。(マタイ23:13)」サンヘドリン(国会議員)の偉い方々はどうだったか。 ある夜、ニコデモ議員が密かにイエスを訪ね問答を交わした。「しかしイエス は彼に言われた。『あなたはイスラエルの教師なのに、これくらいも解らない のですか』(ヨハネ3:10)」
現代でも多くの聖書学者や、専門家、教師達はいるのだが…。イエスによる 癒し、悪霊追い出し、死人の甦り等々は今でも教会で起こっている。あなたは 聖書の全てを信じているか。聖書は神の霊感で書かれていることを信じている か。聖書は霊の命の糧であることを信じているか。聖書の言葉は生きていて力 があると信じているか。聖書はあなたの人生の導き手だと信じているか。なら ば、あなたは本物の聖書の専門家であろう。良き指導者になってほしいものだ 。
アーメン。

2020年01月19日 牧師 一口メモ

クリスチャンとしての人生を謳歌している方々はどれ位いるだろうか。聖書には『幸せ・幸い』と言う言葉が多く登場する。天の父なる神様は、私達が人生を豊かに過ごすことを切に望んでおられる。聖書を読めば天の父の気持ちは察するに余りあるはずだ。放蕩息子の物語(ルカ15:11~24)はその代表ではなかろうか。都会に旅立った息子のことを心配し続けている父の姿を描写している。親というものは、いつの時代も子供のことを心配し続けるのだ。私は19歳の時に東京に行った。両親は仕方なく了解した。東京では仕事をするわけでもなく、友人のアパートに転がり込んでその日暮らしをしていた。持ち金もなくなって日給のアルバイトをした。しかし、きつくて2~3日働いてはやめることの繰り返しであった。ついに母に電報を打った。『帰るから金送れ』と。母は直ぐに書留で送った。しかし私の手元に届かない。なぜなら大家さんが、そのような人いないと送り返していたからだ。それもそのはず、私は大家さんに内緒で、勝手に友人のアパートに居候していたのだから。両親は大変心配して右往左往したそうだ。やっとお金が届いたが、大家さんにばれて追い出されてしまった。両親は大変心配して夜も眠れない日が続いたそうだ。何しろ当時はまだ祖国復帰の前だったから。
天の父はいつも天から地を見下ろしてご覧になっている。(詩篇33:13)
子供達(クリスチャン達)が心配なのだ。この日本、沖縄の社会はとても住みづらくなっている。特に子供達や孫達のことが心配だ。イジメが無くならない。逆に増える一方だ。しかも自殺にまでも追い込む陰湿なイジメだ。そして学校(教員達)も輪を書くように隠ぺい体質のままで一向に改善されない。原因の究明に立ち上がろうとしない。本当に命が軽い日本の社会になっている。又、様々な犯罪が誕生している。特に老人が『いいカモ』になっている。オレオレ詐欺どころではなく、政府自体が年寄りイジメを続けているのだ。段々と年金の支給が遅れてきて、75歳からの支給を始めようとしているらしい。若くても辛い世の中、年を取っても辛い世の中。天の父が心配するのもよく分かる。
しかし、愛なる天の父なる神様は私達に呼びかける。「私を見上げよ」「私を頼れ」「私を呼べ」「私に近づけ」と。その時に私はちゃんと「アーメン!」と応える。
マタイ 28:20『また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』
聖書の御言葉通りに、イエス様がいつも共におられるから「ハレルヤ!ハレルヤ!」とクリスチャン人生を楽しもうではないか。

2020年01月12日 牧師 一口メモ

年末に世界的なニュースが飛び回った。日産自動車元会長のカルロス・ゴーン氏が日本を無断で不正脱出したのだ。半年近く拘留されて、保釈金15億円を積んで釈放された。しかし奥さんとは会えず、友人達ともそう簡単には会えなかった。様々な縛りがある釈放だった。人権なんか何もない生活を強いられていたそうだ。恐らくは不公平な日本の司法制度を、嫌というほど体験したのだと思う。だから日本ではまともな裁判は受けられないと強烈に感じて、脱出を図ったのだ。私は正しい判断だったと思う。なぜなら彼はインタビューに次のように答えている。「釈放後、『妻と何とか会えるようにしてほしい!』と何度も裁判所に陳情した。そして裁判官と面談が出来た。その時に、『何で奥さんに会いたいのか?』と聞かれた。とても信じ難い質問だった。自分の妻に会うにも日本では理由がいるのか?だから命がけで脱出を決意したのだ」と。又、日本のTVコメンテーター達も、裁判官と同じ様なことを言っている。「奥さんに会うのがそんなに大事なことか?」と。気違いだらけなTV出演者達には開いた口がふさがらない。奥さんを大事に思わない君達の方がよっぽどおかしい人間だ。その日は腹が立って「日本のマスコミは滅びろ!」と思わず叫んでしまった。母の日に『母に優しい国』のランキングが発表されたが、日本は32位だった。まさに後進国のたぐいだ。産んで育ててくれた母親を大事に出来ない国民。自分の奥さんにも同じような感覚ではないか。女性蔑視は至る所で起こっている。一昨年は大相撲で『女性は土俵に上がれない』という騒動が起こった。まともな国ではない。『誰がこんな国にした!!』女性達は今こそ怒るべきではないか。聖書は私達に教えている。「創世記2:24 それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」結婚したら夫婦は一心同体だと言うのだ。動物並みの日本人には、聖書を読んでまともな人間になって欲しい。妻は自分と同じくらい大事な方であると知って感謝しよう。「エペソ5:28 そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。」イスラム教・仏教・ヒンズー教は女性を物として扱っている面が所々出てくる。日本も仏教の教えが基礎だから、そのような感覚が今も社会にはびこっている。だからこそ、キリストの教えを、社会に学校に家庭に取り入れるべきだ。今年はクリスチャンが増えて少しはまともな国に変わって欲しいと思う。だから私達は、今年も伝道や証に大胆に挑戦したいものだ。アーメン。

2019年12月29日 牧師 一口メモ

今年最後の一口メモとなった。色々な世相と聖書を照らし合わせて記してきた。今年は天皇の引退によって元号が新しくなり「令和」となった。マスコミが騒いで多くの国民は目をくらまされた。良くても悪くてもマスコミは商売主義だとはっきりわかった。いや、悪の根源だと確信した。金儲けの為には正義なんか吹っ飛んでいく。又、商売主義はうまく権力者に利用される。そしていつも踊らされるのは国民である。しかし残念だが多くの国民はそれに気づいていない。いつの時代も社会に必要な物は「正義」である。つまり「神の義」なのだ。キリストの社会もその「義」を失っていた時期があった。パリサイ人や祭司長達が権力を握っていた時代だ。彼らは神の義よりも先祖からの言い伝えや自分たちの聖書理解を優先させた。そして権力を最大限に行使してユダヤの国民を支配した。そのような時に希望の星イエス様が天から来られた。その時期はまさにローマに支配され、搾取され、それに同調するユダヤの指導者達はやりたい放題だった。そして国は疲弊していた。そのような中で、国民の一部はメシヤを待ち望んでいた。メシヤに希望を託していた。
今の日本、沖縄を見事に表している。この国は年々貧富の格差が広がっている。権力者たちは嘘と欲にまみれて「正義」を捨てている。三権分立(司法・立法・行政)も完全に死んでいる。又、国民も目を閉ざされている。「令和」を発表する時にそう強く感じた。国民はこの令和に大きな期待を持った。しかし現実はどうだ。自然災害は列島を何度も襲い、甚大な被害をもたらした。子供への虐待やいじめは増え続け、死までも招いている。あおり運転は日常的に起こり、年配者による逆走、暴走は後を絶たない。老人施設での虐待も年々増え続けている。特養(特別養護老人施設)の待機者は32万人余に上った。そして少子化はついに悲劇的な数字(80万人台)になった。子供の誕生が年々少なくなっている。いつか、いや近いうち本当に「うばすて山」が来るだろう。
沖縄はどうか。辺野古への基地建設予算が約一兆円近くになったそうだ。当初の3倍に増えた。一番の無駄使いだ。引きこもりは758人いて、その内50代が18%いる。貧困者は増えるばかりなのに消費税も10%になった。ますます生活負担は大きくなった。これらはすべて「令和(今年)」の事だ。国民の皆が夢遊病者に陥っているとしか思えない。しかしキリストの世界は希望でいっぱいだ。日本、沖縄でキリスト者はわずか1%しかいない。だからこそリバイバルが期待できる。「今年こそ、今年こそ…」とすべてに期待して活動している。ある2人の人がアフリカに靴を売りに行ったそうだ。1人は皆が裸足だったので「希望はない」と本社に連絡した。もう1人の人は裸足の人たちを見て、「ヤッター!!みんなが靴を買うようになる」と思った。そして本社に「靴を送れ」と連絡した。今年もリバイバルの夢はかなわなかったが、しかしクリスチャンが1%しかいないからこそ伝道がしやすいのだ。刈り取りは大きいのだ。私には来年も大きな希望がある。魂の刈り取りという素晴らしい希望だ。アーメン。

2019年12月14日 牧師 一口メモ

新聞の気になる記事を切り抜いて、分野別に約12項目分けて保管している。政治、戦争武器、宗教、教育、子供、LGBT等々。特にコラム欄には面白い記事が載っている。毎日切り抜いているから、かなりの量が溜まっている。(タイムス「大弦小弦」、新報「金口木舌」)なぜ切り抜いているのか?理由は、メッセージやラジオ伝道の話題に使えるからである。又、皆さんに正確な情報の提供が出来る。もう一つの理由は、将来、子供達や後輩達に時代の流れを正確に伝え、教えることが出来る。昔はどんな時代だったかがよく分かり、良くても悪くても今の時代と比べることが出来る。そして、これから先はどんな社会になっていくのかが正確に予測や判断ができるためである。50年、60年前よりも今の社会がどれほど恐ろしい社会に変節しているか、新聞の社会面や政治面を読めば一目瞭然である。(人間の記憶は全然あてにならない)
今月はクリスマスの月である。ひと昔前のクリスマスは、社会挙げてイルミネーションが町中に溢れていた。クリスマス商戦も華やかに行われていた。クリスマスにはデート出来る彼女がいないと馬鹿にされたものだ。それくらいクリスマスはロマンチックで夢があった。そう感じていたのは私だけではないだろう。しかし、今はスマホやらネットやらで、外に出て星空を見上げる者はいない。今夜はほぼ満月である。天気もいいから丸い月がとてもきれいに見える。興味ある方は、今夜は空を眺めてみるのもいいと思う。イエス様の誕生を聖書から見て、羊飼い達の心になって天使達の御告げを想像するのもいいと思う。月や星が輝いている時に、ルカ2:9-10(すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそキリストです。」)何だか2000年前にタイムスリップしたようになるかもね。
今の世界情勢や日本、沖縄を見てみると、迎え(再臨)が近いと思わざるを得ない。イエス様はこの世に誕生して新しい社会を作り上げた。しかし世界はなかなか神様の思う通りには変わらない。人間にとって最高の住み家である地球が与えられた。海や山々、自然の木々や花々も感動を与えるものばかりだ。動物だって可愛いものが沢山いる。犬や猫は身近にいて人間を喜ばせるし、心を癒してくれる。しかし人間は、海を埋め立てたり山を削ったりして自然を壊してばかりいる。そのつけが異常気象につながり、台風や豪雨となって人間に襲いかかってきている。来年はもっと大きな災害が来るかもしれない。又、世話がめんどうになり、犬や猫を平気で捨てて行く。救い主の御誕生をお祝いするこのクリスマスの時に、自然や動物のことも考える必要があると思う。

2019年12月8日 牧師 一口メモ

「牧師一口メモ」を読むのが楽しいと言う方が多い。そのような声を聞くのはとても嬉しい。一段と気合が入る。今日から私達のグループはクリスマス会が始まる。今日は西原ベタニヤでのクリスマス礼拝と祝会がある。エデンハウスの皆さんに楽しんでほしいし、沖ベタ、ゆいまーるからも多くの方々が参加してほしい。西ベタの皆さんが一生懸命に教会を飾り、クリスマスの雰囲気を醸し出している。彼らは自分の教会を愛する心が強い。だから教会を盛り上げる為に、しっかり考え、心を込めて一生懸命に奉仕に携わる。何か物事をなす時に完全さを求めることはとても良いことである。どうせやるならしっかりやったほうがいい。自分を満足させ、人々に喜ばれ、褒められることを目指したら良い仕事が出来る。その為には一つ一つ真剣に考えてやることだ。主の祝福がありますように。アーメン。
「中曽根康弘」と言う政治家が亡くなった。101才だった。あだ名は「青年将校」、「風見鶏」だった。60年前の衆院本会議場で、若さにかまけて「われわれは新憲法の元、戦争を放棄した」と、当時の吉田茂首相の姿勢を正したそうだ。「自衛隊の前身の警察予備隊創設」に憲法違反だと批判した。背も高くてかっこいい青年政治家だった。しかし「風見鶏」のあだ名がつくように、変節は激しかった。段々と力がつくと自主憲法制定を掲げるようになった。首相の最高権力を得た後、「英霊が祀られている靖国神社」を参拝した初の首相になった。「風見鶏」の面目躍如の如くに長生きしたが、憲法改正に執念を燃やした「国粋主義」の人生だった。今の日本の社会の右翼化、天皇崇拝強化、ヘイトスピーチの環境の基礎を作った張本人である。今の安倍政権がそれを引き継いだ。そして、嘘とごまかしと忖度の政治家達を作り上げてしまった。そのお蔭で、一部の金持ちたちが支配する国へと変わった。完全に政治家や官僚や司法(裁判官、検事、警察)のトップ、教育やマスコミのトップ達までが狂ってしまった。「桜を見る会」のいい加減さは目に余って泣けてくる。子供に日本刀(刃物)を持たせたようなものだ。それを国民は気付く時に来ている。しかし他人事ではない。聖書にもそのようなリーダー達が登場する。「アモス2:8彼らはすべての祭壇のそばで、質に取った衣服の上に横たわり、罰金で取りたてたぶどう酒を自分達の宮で飲んでいる。」これがイスラエルの指導者達だった。貧しい者を顧みず、自分達のふところを増やし続けた。これが今の日本の姿である。クリスマスの中にあって私達クリスチャンは何を祈ればいいのか、何をなすべきかを祈ろうではないか。主の憐みを求めて。アーメン。

2019年12月1日 牧師 一口メモ

今年の最終月になった。いやはや月日の経つのが早すぎる。もう少し遅く、ゆっくりと地球は回転すればいいのにとつくづく思う。
今月はクリスマスのシーズンです。わずか一月をシーズンと言って良いのか分からないのだが…。とにかく日本のみならず、世界のクリスマスである。このクリスマスほど世界中の人々に愛されている祭りはないだろう。祭りと表した方が良いだろう。イエス様の誕生日を世界中の方々がお祝いしてくれる。クリスチャンはもちろんだが、クリスチャンでない方々も祝ってくれる。又、他の宗教を持っている方々も祝ってくれる。クリスチャンとしてこんな嬉しいことはない。感激する。ハレルヤ!
しかし、ちょっと寂しいものがある。ひと昔前よりも、クリスマス定番のイルミネーションの飾りが街中から減っていることである。以前は、ほとんどの会社やお店にはイルミネーションの飾りがあった。まだ所々で見受けることは有るのだが…。クリスマスはイエス・キリストの誕生日だ。それが、いつの間にか社会では「サンタさんが来る日」に変わってしまった。ほとんどの子供達が「サンタさんの日」と信じている。いや、大人達も本当の意味は分からないのかもしれない。このようなことになったのは、私達クリスチャンの大きな責任だと思う。何しろクリスチャンが少ない。だから残念だが、社会に何ら影響を与えることが出来ていない。きつい言葉で言えば「箸にも棒にもかからない」。ですから、ある面ではクリスマスには一番悔しい思いを抱く。そして、何も出来ない牧師の自分を責める。又、神様を責める。「なぜですか?なぜリバイバルを起こさないのですか?」と文句を言うのである。イエス様を人間の姿にして、一人のユダヤ人の若い女性のお腹を借りて、この世に誕生させた。このことを信じきれるクリスチャンは偉いと思う。考えて見れば、まるで不思議な幻想の世界のように描き出した神様のご計画は、そう簡単に信じきれることではない。だから私は、自分の所に伝道に来た女性を馬鹿にしていた。しかし、伝道されて2年たった頃から教会に行くようになり、いつの間にか私も信じられるようになった。その秘訣は聖書をよく読んだからである。読んでいくうちに聖霊が働き、聖書の言葉が理解できるようになったのである。又、聖霊の存在を知って、聖霊の働きまでも体験するようになった。学校で教える学問の知識がいかに愚かな教えなのかを知った。聖書こそ人間に最も必要な書物だと心から分かったのだ。クリスマスは「我らの救い主の到来だ」これほどの最高の喜びはないと思う。天の父に感謝しよう。

2019年11月9日 牧師 一口メモ

今は首里城の焼けたニュースがマスコミの一番の報道になっている。再建に躍起になる県庁。政府もいつもなら腰が重いのに、珍しいぐらいに早く支援を約束した。しかし再建はそう容易ではない。再建費用が約120億円必要らしい。又、木の材料がない。宮大工がいない。瓦も難しい。マイナスだらけの状況ばかりだ。もっと考えなくてはならないものがある。再建は賛成であるが、消極的な賛成だ。一つ目は龍の神話がまた登場することである。既に龍柱は大丈夫だったと写真付きで報道している。二番目が大きな理由だ。それは沖縄の幾つかの企業がいとも簡単に1000万円単位で寄付をしている。ある企業は5年間で5億円を寄付するそうだ。既に一般の寄付が4億円を超えたらしい。良い事のように思えるが、深く考えてみると手放しで喜ぶことが出来ない。なぜなら貧困の子供達への寄付金は雀の涙ほどである。沖縄は子供の貧困が30%弱で、3人に1人が貧困の家庭だ。残念ながら命よりも朽ちる物への未練が強いようだ。命への取り組みには腰が重く、個人の責任を追及するのが常だ。又、今年も自然災害で多くの国民が被災に遭った。しかし政府の動きは遅く、「国民の命と財産を守る」と公言しながら、いざとなると腰を上げない。自然災害は個人責任には当てはまらないはずだ。このような時こそ政府が被災の個人を助ける時ではないのか。しかし、千葉県では未だ停電の所があるそうだ。避難生活を余儀なくされている方々も多い。何故に政府の動きは遅いのか。もっと分からないのが被災者の方々の考えであり国民の考えである。このような非情で無策な自民党政府を選ぶのである。本当に分からない国民だ。

聖書はどのように私達に教えているのか。国民はどうあるべきか。政府はどうあるべきか。権力者たちはどうあるべきか。一つ考えて見ようではないか。イスラエルの歴史は面白いことを教える。良い王と権力者たちが登場すると、国は栄えるし国民も平安に満たされる。しかし悪い王とその側近者達が権力を握ると社会は悪くなる。そして国民は主に叫ぶ、「助けてくれー!」と。主はなさけ深いから助ける。しかし社会が安定すると、国民は自己中に陥って悪い考えを持つ。そして他国に支配され奴隷になる。又主に叫ぶと主が介入する。これの繰り返しである。私達の信仰がまさにそうではないかと思う。問題が起こると祈る。そして主との交わりに入る。しかし祈りが聞かれるとすぐに祈らなくなる。聖書も読まなくなり、主を悲しませる。エレベター信仰は主を喜ばせることは出来ない。いつでも主が共にいることを確信して(マタイ28:20)、日々主と豊かなる交わりをなし、恵みの信仰を持とう。アーメン。

2019年11月03日 牧師 一口メモ

首里城が燃えた。しかも本殿,南殿、北殿とあわせて6つの建物が全焼した。信じがい難いことが起こった。私は「梨恵姉妹」の解放の祈りで前夜から教会に泊まっていた。早朝5時に電話のベルが鳴ったので何事かと思ったら、「首里城が燃えています」との緊急の知らせだった。まさかと思い「朝日のあたる家」の屋上に上がって東方の首里城あたりを見ようとしたが、ビル群に阻まれて何も見えない。それで、急いで下りて行って車のTVでニュースを見たら、何と首里城が真っ赤な炎に包まれているではないか。しばらく呆然と見ていた。何しろ首里城は沖縄のシンボルだ。この3日間、首里城炎上のニュースで一杯だ。本土でも大きなニュースになっている。今朝の新聞に「体が削られた気分」と市民の声として載っている。また昨日は「心の支え失った」と大きな見出しで掲載されていた。本当にそのように心から感じているのだろうかと少し疑った。首里城はあなたの何だったのかと聞かれたら心からそのように答えるだろうか。確かに450年の長きに渡って沖縄のシンボルで、王府であり政治の中心だっただろう。しかし、県民を心から支えて来たのかと考えると複雑な思いがある。
城を造るのにどれだけ重税が県民に課せられただろうか。貧民からも搾り取っただろう。いつの世もそうだが、はたして国が国民や県民の命や財産を守るだろうか。この「城」が「心の支え」になるのだろうか…。聖書サムエル記に、「王を下さい」と民衆が神に願った箇所がある。神は預言者サムエルを通して、「王は私だけで充分」と答えられた。しかし民衆は引かなかった。「私達には先立つ王が必要です」と。仕方なく神様は答えたが、戒めもした。「願いどおり王を与えるが、あなた方の子孫は苦役に服することになる」と。それがイスラエルの最初の王の誕生の経緯だ。3代目のソロモン王は贅沢の限りを尽くして重税を課して民衆を苦しめた。沖縄戦で日本軍は首里城を本営として兵隊を配置した。そのお蔭でアメリカ軍の空襲を受けて、首里城は歴史上3回目の炎上となった。その後、復帰20周年を記念として復元され、昔の王朝が現代に出現した。私は3回ばかり行ったが、竜の偶像が建てられているのには参った。かつてはイスラエルにも大きな神殿があり、それはイスラエルの誇りでありシンボルでもあった。弟子達はそれを自慢したが、イエスは言った。
(マルコ13:1~2) イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
目に見えるものは何時までも残るものはない。目に見えないが「イエス」こそあなたの人生のシンボルです。アーメン。

2019年10月05日 牧師 一口メモ

政治の話をしょう。今、日本で一番注目を集めている政治家は「れいわ新選組の山本太郎」であろう。なぜ注目を集める様になったのか。彼は参議院の時代から小沢一郎と組んで活躍した異端児であった。国会での質問が歯に衣を着せぬ質問を平気で繰り返して政権を追及していた。その質問も国民の身近なことが中心で非常に解りやすかった。そして、先の参議院選挙で国民の生活に直結する「消費税」を取り上げて、「山本太郎」旋風を巻き起こした。また社会の異端児達を10人集めて戦った。そして2議席を獲得した。当選した2人は、重度の障害を持った方々であったので国会を慌てさせたし、異端児の面目躍如で、社会の目を覚まさせることに成功した。今までの政治家達と非常に異なる考えを持っている。正に庶民の為に登場した政治家である。そして非常に理にかなった政策を挙げて、財務省の役人たちの嘘を暴いている。また政府を始め議員達の無能さを浮かび上がらせた。常に権力に立ち向かい、弱者の為の政治を掲げている。今までこの日本に出現したことのない本物の政治家であろう。日本にやっと期待が見えてきた。そして「光」になろうとしている。今の日本の社会は、勝ち組と負け組に分かれている。勝ち組は政府につく少数の方々と大企業である。彼らはその政府の庇護下にあって、弱者を守るどころか多くの弱者を生み出し続けている。その筆頭が「消費税の10%」政策である。国民の無知ぶりを幸いに、なりふり構わぬ政治を行っている。この国のすべてが正常に機能していないことは明白である。政治家や官僚達を始め、裁判所や検察警察は正義をかなぐり捨てて、政権政治に忖度(そんたく)をするばかりで、国民の命と財産のことは少しも頭にはない。あるのは名誉欲と金銭欲と自己中の生き方である。それに加えて、毎年毎年災害のオンパレードである。神様が何かを示しているようだが・・・誰も気づかない。
日本のキリスト教会はどうだろうか。聖書は私達に平安と将来と希望を約束している。そして日本のクリスチャンの目を覚まそうとしているのだが・・・。牧師か伝道師の異端児の登場を待つしかないと思っている。ユダヤの社会で安穏としていた指導者達やユダヤ教の国民の中に、突如登場したバプテスマのヨハネ、マリヤから生まれたイエス、そして12弟子達やとげの付いた棒を蹴って足を痛めたパウロ(使徒26:14.)。何の代わり映えもしない日本のキリストの教会の世界。それでも安穏としているクリスチャン達。まさにイエスが登場する前のユダヤの世界と一緒ではないか。この異端児たちは強烈な個性を持っていた。いや持たされて変えられたと言った方が良い。彼等はユダヤの世界を変えた。あなたも日本沖縄の異端児になろうではないか。アーメン。

2019年09月29日 牧師 一口メモ

カナダのトロントブレッシングに行ってきた。皆さんのとりなしの祈りに感謝する。お蔭さまで、無事に聖霊の油注ぎを受け、聖霊の火をキャッチしてきた。この聖会のタイトルが「キャッチ・ザ・ファイヤ―」であった。参加者全員が、素晴らしい聖霊体験をしたい!と強い思いを持って参加していたと思う。この聖霊の油注ぎと聖霊の火を皆さんに注ぎたいと願っている。
聖会の前に少し観光もした。世界3大滝の一つ「ナイアガラの滝」を見て来た。スケールの大きさに度肝をぬかさんばかりだった。とにかく大きくて迫力満点で非常に美しい滝だった。巡りながら神様の愛に感謝した。このような美しい滝も人間を喜ばす為に造られたのだと思うと感謝せずにはいられなかった。神様が人間を本当に心から愛しておられるということを強く感じた。是非一度は皆さんも行かれてみたらいいと思う。(旅費は約20万円)
今回の旅行は大きな学びが出来た。まず1つ目は、聖霊の働きの凄さを目の当たりにして、聖霊の働きがいかに大事かを学んだ。2つ目に聖霊の働きを妨げてはならないことを学んだ。人間がする事には限界がある。しかし聖霊の働きは無限である。聖霊が働くと人間はどうしようもなく、一切が聖霊任せになってしまう。立つことも座ることも伏すこともすべて聖霊任せになる。笑いが突然起こる。この笑いも自分で制御できなくなり、止めようにも止まらない。声や奇声を発することも聖霊によるものになる。感情までも支配するお方なのである。又、聖霊との楽しみかたを教えられた。私は自分勝手にこのようなことを「聖霊との遊び」と名付けた。使徒の働きには聖霊の働きがたくさん載っている。(使徒2:1~4)とにかく聖霊なしでは私達は何も良き働きはできないと断言できる。これからは礼拝スタイルや服装も変わることになるだろう。外側だけでなく内側をもっと大切にして行きたい。神様は常に私達礼拝者の内側を見ておられるのだから。(Ⅰサムエル16:7)
神は十字架で人間に対する愛を示したと思っていた。しかし、十字架の愛だけではなく、地球上の大自然や動植物を用いて人間に対して愛を示された。美しい花々、可愛い犬や猫も…。その愛のゆえにすべてを人間の為に造られたのだ。人間が喜ぶ姿を見ることが神の喜びとなったのだ。神様の愛の深さを改めて感じ、只々感謝するのみである。ですから私達もお互いに愛し合うではないか。愛されているのだから。アーメン。

2019年09月15日 牧師 一口メモ

全てのクリスチャンには何らかの使命がある。神様のご計画は私達には分からないが、しかし素晴らしいものであることは間違いない。最高の人生を送る約束である。その準備を怠ってはならいと思っている。それはまず、神様を喜ばすことである。それが私達にとって幸せなことである。
何を準備するか。1番目に聖書を読み勉強することである。聖書を読むことは力をつけることになる。力がないと良いキリストの兵士にはなれない。「キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。(Ⅱテモテ2:3)」
何故に強くならなければいけないか。問題に打ち勝つ為である。「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。(Ⅱテモテ3:1)」困難な時代を迎えることになるという。今はその聖書の言葉の通りだと思う。国際的に多くの国々が争いを起こしている。例えば、仲が良かった隣国の韓国との喧嘩である。しばらくは静まりそうでない。沖縄にもその影響が起こり始めている。韓国からの観光客が減った。武力の衝突にもなれば、戦前の天皇中心の暗黒国家になる恐れが十分にある。また、「不法がはびこり人々の愛は冷えて行く。(マタイ24:12)」これは個人的な問題をも指している。つまり問題、悩み、批判、中傷が増えてくることをも示している。それらに負けてはならない。また生活の窮乏にも打ち勝たなくてはならない。聖書の言葉には力がある。聖書を読んむことは心、魂が強くなることである。「神の言葉には力があり、両刃の剣よりも鋭い」アーメン。だから聖書を読むのである。日々の日課として何よりも聖書を優先してほしい。2番目は祈りである。祈りは2つの方法がある。「個人的な交わりの祈り」と「グループによる祈り」である。イエス様はよく1人で祈っておられた。天の父との交わりをしていた。「朝に夕に…。(マルコ1:35 ルカ6:12)」とても大切なことである。なぜなら天の父との一対一の会話であるからだ。ダビデも詩篇の中で、よく1人で祈っている。(詩篇16:8)叫びながら、怒りながら、絶望の中にありながらも希望を捨てずに。最後は心を注ぎ出して感謝の祈りでいつも締めくくっている。次にグループによる祈りである。使徒の働きではペテロや母マリヤを中心に一カ所に集まって祈っている。(使徒1:14)このグループでの祈りによってリバイバルと数々の奇跡を起こしている。(使徒2:1。12:4~5)水曜日はグループの祈りをする時である。リバイバルの為に集まろうではないか。「主の御言葉は、ますます盛んになり、広まって行った。(使徒12:24)」これが私達の備えである。牧師、伝道師、教師、教会の役員、預言者、執り成しの祈り手、癒し解放の役目、教会の管理者等々様座な役目がある。もうやがて来るであろう。アーメン。

2019年09月01日 牧師 一口メモ

この社会には心理学を始めとして様々な教えがある。しかし、それらの基本はすべて統計学に基づいている。つまり人間を様々な角度から研究し分類して行くのである。例えば企業の社員は4つのタイプに分かれると言う教えがある。①一生懸命に働き会社に貢献するタイプ(30%) ②普通に働いている方々(30%) ③自分の給与の分さえも稼がない人(30%) ④安全に足を引っ張っている方(10%)。このような統計で分類する。又、社会には3つのタイプの人間がいるそうだ。①肯定派 ②否定派 ③どうでもいい無関心派。あなたはどのタイプと思うか? 少し考えてみてもいいと思うが…
聖書は恐ろしいことに、すべてにおいて超肯定的(ポジティブ)な教えに満ちている。神はノアと言う人に舟を作れと命じた。しかも100m級の大型船である。5000年前の話しである。御存知のようにノアは出来ると信じて造った。アブラハムは何処に行くのか分かないが神が命じたとおりに出かけた。そして子供も財産も与えられて最高の人生を送った。ヨシュアとカレブは、神の約束の土地を巡った時に、素晴らしい土地だと知り、実際にはまだ目にしていなかったが、ここはまさに「乳と蜜が流れている」と信じた。他にも多くの先輩の偉人達がそのような超肯定的な信仰を持って生きた。では、私達はどうだろうか。どのような信仰を持っているか。私は天地万物を創られた神、今も生きておられる神、そして何でも出来る神を信じている。だからクリスチャンになってからは、ものすごく愉快な人生を歩んでいる。もしクリスチャンでなければ、そのような楽しくて希望ある人生は送れなかったはずだ。又、将来だけでなく死んだ後にも最大の希望を持つことが出来ている。そう言うとそれこそ気違いと言われるだろうし、ただの口先だけと片づけられるだろう。それでもいい。私の信仰なんだから誰に何と言われようと構わないし、全然気にしない。パウロは信じ難いことを言っている。「私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。(Ⅱコリント5:8)」これこそ気違い信仰だ。死後の世界に希望を持つ大馬鹿がいた。パウロも超ポジティブな信仰を持っていたのだ。問題、悩みを誰よりも多く抱えていたパウロ。しかし彼は天国信仰を持っていたのである。
あなたは何でも出来る神があなたの中に住んでいることを信じるか。ならばもうあなたの辞書には「でも…」「しかし…」はないはずだ。何でも出来る神は、あなたに預言者(モヨ師)を通して未来を示した。信じて素晴らしい人生を送ろうではないか。

2019年08月25日 牧師 一口メモ

北海道にて一口メモを書いています。雄大な大自然に感動している。また、天の父の御業の素晴らしさと日本人をどれだけ愛しているかを知らされている。そして2000年の忍耐をもって今日迄こられている。また赦しの父さんであることを、この自然を見て感じている。松林の中に建てられている三浦綾子記念館を訪問して父の愛の凄さをも知った。今回の伝道旅行は初日から奇跡の連続で神の愛を体験し続けている。ただ感謝のみである。

4日目になるが十字架を見ることが出来ないのが辛く、残念である。お寺は数えきれないくらい見た。いつ日本人は本物の神の愛を知るのだろうか。又、愛は赦し続けることだと知った。なぜなら四季の彩りを通して常に人の心に感動を与えている。これが証拠であろう。

キリスト教のテーマは愛である。しかしイエスの愛は一時的なものでなく、感情的なものでもなく自己中心でもない。2000年にわたってキリストは愛し続け赦し続けてきた。北海道の大自然を見ながら心に強く感じた。そして人の愛と自分の愛を考えてみた。いや考えさせられたと言った方が正確だ。自分の愛は十字架の愛だろうか。感情的な愛を十字架の愛と勘違いしていないか。人に教えながら聖書を説きながら自分の思う通りの人になってほしいと願いながら愛していないだろうか…。

人間は弱いものである。ある人はとても弱い。だから人に甘える。人の目を自分に向けさせようとする。そして人の目から見て悪いことをする。その心の深層は愛されたい、愛してほしいと叫んでいるはず。幼い時から親の愛を知らずに生きてきた。いや逆に叱られ、罵声を浴びせ続けられ、言葉でズタズタに切り裂かれてきた。このような方をどのように受け入れ愛すればいいのか。教会の大きなテーマではないだろうか。そして牧師の一番の役目ではないだろうか。素直でいい子、いい人は愛し易い。誰でも問題を起こさずにいたい。人から嫌われたくない。これは大人も子供も変わらない。だから人の目を気にする。当然なことであると思う。私だって皆さんから好かれたいし、愛されたい。いい牧師と言われたい。これが本音だ。中毒(依存症)の方がいる。人はある程度強弱の差はあれど何かしらの依存性を持っている。その依存している物を奪われたらどうなるだろうか。もちろん悪い依存症は直さないといけない。しかしその依存を何で埋めるか、簡単ではないと思うが。

北海道の大自然の摂理をプログラミングした父の愛を体験しながら…とにかく愛の人になりたい。イエスの十字架の愛を実践できる人になりたい、言いようのない変な感傷を持ちながら書いている。

イザヤ書65章18節「だから、わたしが創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。」
人生を楽しめていることをイエス様に感謝したい。アーメン