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沖縄ベタニヤチャーチの山内牧師のブログです。毎週更新しています。

2019年08月10日 牧師 一口メモ

ジョシュ・モヨ牧師を招いての預言聖会が、溢れんばかりの祝福の内に終わった。メッセージが大変素晴らしく心にグサグサ突き刺さった。また預言によって、励ましと慰めを受けることが出来た。ハレルヤ!

突き詰めれば、「神様からの人間に対するメッセージは1つである」と信じる。聖書は最初からそのことを伝えている。つまり「こころ」の取り扱いである。私達の「こころ」は日々どのように動いているかである。「こころ」は不思議なもので日々時間と共に変化する。朝起きた時から夜寝る時まで何回変化するか分からない。それは誰もが認めることであろう。自分の「こころ」を素直に覗くことが出来る人は、私の意見に賛同できると思う。

まず1番目に、モヨ牧師のメッセージはすべてが「こころ」を扱っていた。
クリスチャンとしての「こころ」である。基本的には私達(クリスチャン)が自分は何者か(アイデンティティ)を知っているか?ということが問われると言う。クリスチャンは何者か?あなたは何者か?そしてどのような信仰を持っているか?あなたの「こころ」はいつも肯定的か、それとも否定的な「こころ」が支配しているのか。私達は天地万物を創られた神を父とすることを信じ受け入れたのだから「こころ」は強くなっているはずだ。悩みに負けないはずだ。誰かに不満があっても、憎しみがあっても、納得がいかなくても、「こころ」は穏やかになるはずだ。またしばし落ち込んでもすぐに立ち直れるはずだ。これが神の子供達ではないだろうか。モヨ師の6回のメッセージすべてがそのことを語っていた。ただ、そのような「こころ」の状態になるための秘訣は、Ⅰテサロニケ5:16-18にある。①いつも喜んでいなさい。②絶えず祈りなさい。③すべてに感謝しなさい。この聖書のことばをいつも口から出すことによって、荒れたこころ、折れたこころ、怒りのこころを建てなおすことが出来る。

2番目に預言によって大きな慰めが与えられたことである。個人預言を始め教会に対する預言もあった。個々の預言は皆さんに勇気と励ましと慰めが与えられた。また何よりも将来に希望が与えられたことである。

この預言を大切にしてほしい。なぜなら聖書は次のように言う「預言を軽んじてはいけません。(Ⅰテサロニケ5:20)」ですから真剣に受け止めて実行することを願う。

また次のようにも言う。「しかし預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向って話します。(Ⅰコリント14:3)」今回の預言をしっかりと握って、夢と希望を持ってクリスチャン人生を歩もうではないか。天の父はあなたに素晴らしい計画を持っているのだ。信じる者は幸いだ。アーメン。

2019年08月04日 牧師 一口メモ

私達は「信じられない」と言う言葉をよく使う。クリスチャンになる前は当たり前に使っていた。自分の脳で理解出来ないことが身の回りに起こったりすると、そのように表現する。奇跡や不思議はすべて「信じられない」でかたづけてしまう。しかし、今は何でも出来るすばらしい神様を信じているから、そのような言葉は不信仰に当ると思うが如何なものだろうか。

聖書は「信じられない」ことのオンパレードである。神様は天地万物を言葉で創った。信じられない!アダムやエバは900年以上も生きた。信じられない!モーセによって紅海が割れて、その真ん中をイスラエルの人々は歩いた。信じられない!マリヤが処女なのに妊娠した。信じられない!イエスが中風の病気を癒した。信じられない!死んで4日にもなるラザロを生き返らせた。信じられない!イエスは3日目に墓から甦った。信じられない!等々。

しかし、何故にクリスチャンはそれらを平気で信じることが出来るのだろうか。洗脳されているのだろうか?「洗脳」という言葉を調べてみた。ある思想を改造し変換させることを「洗脳」と言うのだそうだ。ほとんどは権力者達や学者たちが嘘を教えたり広めたり、罪の意識(罪悪感)を植え付け、そして精神的な苦痛を与え、暴力で支配したりして考え(思想)を変えるのである。ならばほとんどの宗教は洗脳だ。しかし最大の「洗脳」は進化論であろう。これこそ「信じられない!!」と叫んでいいと思う。生物の源は何か分からないが、たぶん「アメ-バー」であろう。このアメ-バーから10億年の時を経て、次第に生き物の姿を形造ったそうだ。そして猿が登場し、その猿から人間の形に段々進化して変わっていったと教えている。進化しない猿もいるが(笑い)。しかも自然に誰の手も借りず、何の圧力もかからずに・・・。信じられない!このような教えこそが「洗脳」だ。しかも最悪の地獄の「洗脳」ではないか。

聖書の世界は「洗脳」ではなく「決断であり悟り」である。そして「信仰」へと発展していくのだ。「心で信じて義と認められ、口で告白して救われる(ローマ10:10)」そして、生きている神を体験して、聖書の中の出来事をすべて信じることが出来る。①私の罪の為に十字架に架かったイエスを信じ、②罪が許されたことを信じ、③人生を共に歩んで下さるイエスを信じ、無から有を生み出すことの出来る唯一の神様を信じたお蔭で、私の人生は最高の道へと導かれた。私は決断をした。「信じられない」から「信じる」へ変換したのだ。それによって信仰が生まれ、信仰によって「信じられない」がどこかに吹っ飛んで行った。アーメン。

2019年07月28日 牧師 一口メモ

幸福って、幸せって何だろう。一口で表せることが出来るだろうか。人それぞれに違うので、なかなか具体的に述べるのは難しいと思う。辞典を調べてみると「心が満ち足りている、運がいい、幸い」のことだそうだ。分かったようで分からないのが辞典の教えである。「心が満ち足りている」のは分かる。聖書の世界では「平安」と言っている。まさに「平安」に勝るものはないと信じる。特にクリスチャンになってからは、いつもそのことを祈っている。では、「平安な心」はどのような時に持てるのか。これが問題である。

1.7ケタ以上の通帳を眺めた時。2.褒められたり、感謝された時。3.良き理解者がそばにいる時。4.ショッピングの時。5.美味しい物を食べた時。6.趣味に没頭している時。等々だと思うのだが。しかし、良く考えて見ると、これらはいつでもガラガラと崩れそうなものばかりに見えるのだが、如何なものか・・・。甦りのイエス様が、弟子達に放った第一声の言葉は「平安があるように」だった。弟子達は希望の星を失って絶望の中にいた。またユダヤ人に捕まえられて、自分達も処刑されないかと恐れて隠れていた。将来が完全に閉ざされたときだった。その時に甦ったイエスは、突然、彼らのいる部屋に現れた。そして震えている弟子達に「平安」のことばを放ったのである。 今の日本は、恐ろしいくらいに事故事件と自然災害の多発時代になった。いつこのような事に巻き込まれるか分からない。子供からお年寄りまで生きづらい社会になった。「令和」になってから、とてもひどくなった。新元号に浮かれたのがほんの2か月前だが、新元号に託したすべての望みが失われたかのようだ。無知な政治家達に失望が続き、子供達も虐待に怯え、年金は減らされるばかり。認知症の方は増えるばかり。高齢者の運転事故も増え、うかうか道も歩けない。

このような不安いっぱいの社会で「幸せ」をどのようにつかめばいいのか。どのように平安を保てばいいのか。何にすがれば幸せ、平安が保てるのか。世の中の基準と教えは私達を幸せに導くのか。お金や物があればいいのか。良き隣人が居ればいいのか。クリスチャンにとって日常的に使われる「平安」の言葉は私達を「幸せ」に導くのか。イエス様は弟子達に教える。「拠り所が壊されたら正しい者に何が出来よう(詩篇11:3)」。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(へブル12:2)」と命じる。ダビデは「いつも目の前に主をおいた(詩篇16:8)」と感謝して祈った。イエスこそ生きている神である。そのイエスとの交わりを強めて行こう。その時あなたは幸せであろう。アーメン。

2019年07月14日 牧師 一口メモ

日本の国は参議院選挙たけなわである。貧富の格差が広がり、金持ちたちが更に金持ちになろうとする政権選択の選挙である。情け無用の金持ち達を助ける投票は止めよう。今回はお金の話をする。人が生きて行くために絶対的に必要な物であるので、当然お金は大切です。聖書はお金のことを沢山教えている。大事なものだから聖書は例えを用いたりして何度も取り扱う。その箇所を拾ってみる。

はじめに、お金持ちの偉人達を見よう。まずアブラハムである。彼は奥さんを利用して大金持ちになった。その子供のイサクも財産家であった。ヤコブは信仰と知恵を使って大財産家になった(創世記)。ルツの夫ボアズも大金持ちであった(ルツ記)。ソロモン王は世界一の大金持ちになった(列王記)。ヨブはウツの地方で一番の財産もちだった(ヨブ記)。ユダヤの指導者のネヘミヤも金持ちだった(ネヘミヤ記)。これらの中でソロモン以外は正しくお金を使った方々である。

二番目にお金が大好きな方々をみる。ルカ16:14お金が好きなユダヤの指導者達はイエスの教えを嘲笑った。だからイエスに糾弾された。「わざわいだパリサイ人達よ」と。非常に強烈な言葉を掛けられた。また毎日きれいな着物を着て遊び暮らしていた金持ちは、死後何処に行ったのかを教える。ルカ16:19「火の中にいて苦しんでいた。」聖書は金の正しい使い方を教える。金持ちになるなとは言ってない。むしろ知恵を使って金持ちになって貧しい人達を助けよと教える。困っている人々を助けるにも、教会の建てあげにも、伝道するにもお金は必要である。子供を教育するにも、良き楽しき人生を歩むにも必要である。皆さんが大金持ちになって欲しいと切に願っている。

三番目は金持ちに「なりたがる人」は気をつけよと警告をする。Ⅰテモテ6:9「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。」お金は私達の心を惑わします。ですから正しい使い方が出来るように祈ることが求められる。そして究極的な使い方を教える。マタイ26:7では、一人の女性が300万円分の高価な香油をイエスの頭に注いだ。無駄にしたので弟子達は怒った。しかしイエスはこの女性を褒めたのだ。何故に?クリスチャンはイエスを人生の基礎にした。お金ではない。貯金通帳でもない。有名になる事でもない。イエスを喜ばすことが私達の人生である。その時に聖書の凄さに気付くのだ。満ち足りた心こそ最大の幸せであろう。(ピリピ4:12)アーメン。

2019年07月07日 牧師 一口メモ

政治の話しを記したい。参議院の選挙がスタートした。おそらく自民党が勝つはずだ。なぜなら相も変わらず日本人が政治音痴だから。安倍政権にここまでバカにされて嘘をつかれても支持している。また自民党の支持率が圧倒的に高い。今回も勝利するだろう。去年の西日本の災害で被害に遭った方々の1万人が避難生活を強いられている。8年前の東日本大震災の避難生活者はまだ3万5人もいる。災害に遭った方々にこそ手を差し伸べるのが政治なのにほったらかしにされている。それでも自民党を支持している。無能で冷徹な心を持っている自民党と官僚達を支持している。本当にどうしようもない。

「Ⅱコリント11:20 実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。」

しかし2つの希望が出てきた。1つは沖縄である。ここ直近の出来事でも沖縄の誠実な県民性が示された。昨年の知事選で玉城デニー氏を選び、県民投票では辺野古反対の意思を明確に示した。県民の為の選択を自分達でちゃんとしたのだ。今回も参議院選挙も高良氏が優位だと報じている。正しい選択が出来ている。皆が投票して必ず当選させよう。

2つ目が山本太郎率いる「れいわ新選組」の登場である。この党の立候補者達を見ると感動させられる。重度の障害を持っている方2人が立候補した。自分の身の世話を自分で出来ない方々である。車椅子どころではない。ベッドの上に寝ころびながら活動するのである。記者会見を見て涙が出た。自分達みたいな障害がある方々を助ける政治をしたいと言う。また他の立候補者にシングルマザーがいる。LGBTの方がいる。24時間働かされた方がいる。拉致被害者の兄がいる。辺野古の基地に反対する創価学会員がいる。つまり弱者の代表たちが集められている。元来、「政治は弱者の為になければならない」というのが私の政治信条だ。山本太郎の政治信条は大変素晴らしい。例えば消費税廃止、奨学金の無償化、原発即禁、辺野古基地反対、一次産業所得補償、水道の民営化反対、種子法の反対、TPPの反対等々は当然だと思う、何よりも分かり易いのがいい。国民目線に立っているのと同時に弱者への政策を取り入れている。本来は政治家が持たなければならない基本の政治理念だと思うが・・・。だから少しだけ期待がある。

聖書には「エペソ6:12 私達の戦いは血肉ではなく、この世の支配者悪霊達だ」と言う。確かに悪霊に取りつかれているのは分かる。八百万の神々を持っているし、その頂点には天照大見神がいる。だからこそ戦い方が明確に建てられる。祈ってサタン悪霊どもを縛り追い出しをしよう。

2019年06月22日 牧師 一口メモ

日本は75歳以上の運転死亡事故件数が、74歳以下の2.4倍になっているそうだ。

いよいよ70歳の大台に乗ろうとしている私にとって他人ごとではない。確かに連日高齢者による事故は増え続けている。また逆走運転もしかり。年を取ればすべてにおいて劣っていくのは至極当然であろう。物忘れも起こってくる。

もっと現実なことは、ほとんどの方々が、年を取っていくに従って怒りっぽくなるそうだ。これもまた超要注意だが、こんなことを並べ立てると将来に夢も希望も持てないし、年を取るのが怖くなる。

しかしクリスチャンは違うと叫びたい。確かに旧約聖書に登場する人物達をみると、年を取ってから神様に用いられている。アブラハム、モーセ、ヨシュア等々。彼等を見ると大きな希望が湧いてくる。モーセが死んだときは120歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。(申命記34:7)しかしがっかりするようなこともある。新約聖書では、なかなか年寄りの活躍は登場しない。ヨハネだけが長生きしている。彼は、パトモス島に島流しにあって囚人生活を送り、推定100歳まで生かされたようだ。そこで黙示録を書いている。しかし聖書は

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く」

とあるので、日々聖書を読めば(霊的には食べる)何とかなるかも。また、

「あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように新しくなる」ともある。(詩篇103:5)

生きている神様の約束だから、信じて若者に負けない力をいただこうではないか。ありがたいことに私達クリスチャンには定年がない。これは本当に素晴らしいことだと思う。定年がないということは、夢と希望を持ち続けていくことが出来ると言うことである。日本沖縄にリバイバルが起こる夢を見る。そしてその為に望みを持って人々に証しをし、伝道、奉仕に励むことが出来る。また礼拝も感謝を持って捧げることが出来る。年を取っても、共同体の教会で神の家族と交わりが持てる。これはクリスチャンのすばらしい特権だ。信じてない方々は、定年後に人生に区切りをつけ、夢と望みの終焉を宣言する。あとは、ただ終わりが来るのを待つのみである。やっと「働き蜂」を卒業したと思ったら終焉である。神が与えた人生はそんなものではないはずだ。ですから私達は、天に帰る直前まで夢と望みを抱くことが出来る最高のクリスチャン民族です。その為に証しをし、伝道と奉仕に励みましょう。ハレルヤ!!アーメン。

2019年06月16日 牧師 一口メモ

今日は父の日です。お祝いの日だと思うのだが・・・。日本は毎日が「何かの日」になっている。「今日は何の日?」と確かめて、その日に合わせて楽しく生きるのもいいかなーと思う。沖縄には「そばの日」がある。その日は美味しいそば屋を探してそばを食べることを楽しむことも良いと思う。また「いい夫婦の日」がある。11月22日である。今まで、忙しすぎて夫婦でその日を楽しむことがなかった。いやあまり考えたことがなかった。しかし今年からはその日を夫婦で何かをしたいと思う。

「父の日」はあまり人気がない。毎日が父の日みたいなものだから当たり前だろう。家の隣に居酒屋がある。毎日大賑わいだ。中年の男たちが食べて飲んでいる。不思議なことは夕の6時頃から宴会を開いている。何が不思議かと言うと、仕事を終えたら「家」に帰るのが普通だ。しかし、何故か家よりも先に居酒屋に行く。ほとんどが男同士だ。

昨日の新聞に面白い記事が載った。「育児休暇、出産休暇」を取らない日本男性。

日本は世界一有給の「育児休暇、出産休暇」が取れる制度を持っている国だそうだ。しかし男性がその権利を行使するのはまれだそうだ。いかに男性天国かが分かる。子供の育児はほとんど母親の役目である。これが「毎日が父の日」の証拠でもある。早く帰って良き父親、良き夫になってもらいたいものだ。

責任を放棄したような父親は昔から存在した。私の育った所は小さな集落だったので、子供の頃、よくそのような人達を目撃した。酒で父親の有らぬ姿をさらけ出して隣近所に迷惑をかけ、煙たがられている父親がいた。その子供達が苦しんでいたのを思い出す。

聖書は父親の役目をちゃんと教える。その教えは世(社会)の教えとは違う。聖書に接して初めて真の父親の姿を知ることになる。
イサクは子供のヤコブに騙されるが憎むことはしなかった。逆に心配をして、将来に希望を持たせて旅立たせた。(創世記28:1~5)放蕩息子は父親から財産を奪い取るようにして大都会に行き、そこで放蕩の三昧を尽くしたが、あげくのはて大失敗をして虐待に近い仕打ちを受けた。一方、父親は息子の心配をしながら、毎日毎日、家から続く道の遥か彼方を見つめていた。ある日、ヨボヨボと足元がおぼつかない息子を遠くに見つけた。父親はすかさず駆け寄って行って息子を抱きしめた。そして無一文になっておちぶれて帰って来た息子を叱るどころか、かえって大宴会を催して父親の深い愛情を示したのである。(ルカ15:11~20)ハレルヤ!

2019年06月02日 牧師 一口メモ

早くも6月に突入だ。令和ブームも段々収まってきたようだが、政府とマスコミに踊らされて新しい希望に満ちた時代の幕開けだと騒いでいたら、恐ろしい事故や事件ばかりが起こっている。何が平和な新時代だ!と言いたいのだが責任を取る人は誰もいない。川崎市での子供達への刃物による襲撃事件が起きた。小6の女生徒と大人の男性と犯人が死んだ。昨日は福岡で引きこもりの男が母親と妹をナイフで刺して重傷を負わして本人は自殺をした。原因は引きこもりになり、「毎日ぶらぶらしないで仕事を捜すように」と母に注意されたので刺したそうだ。現代は多くの方々が心の病に陥っている。うつや不眠症、引きこもり、不登校等々の病気である。現代病と言ってもおかしくない。心療内科は大忙しだそうだ。有名な心療内科は予約しても半年待ちとのこと。

何故か、いつの間にかそんな世の中になった。誰の責任だ。福岡の事件は母親のことばに対する過剰の反応が原因であろう。私達は社会の常識を常に持っている。家庭の常識、学校の常識、社会の常識、会社の常識等々で、仕事をすると言うのも常識である。母親にとっては仕事をしないで家でぶらぶらしている息子を常識で判断したのである。そこに悲劇が起こった。しかし「仕事が出来ない心」を持っている人がいる。これも今は常識であるはずだ。息子の病気を理解できなかった。身体は元気だから仕事をしない息子は怠け者にしか見えなかった。問題の多くのパターンがそれである。私はいろいろな方から相談を受ける。大体は心の悩みを持っている方々だ。

この間も男性の方と話をした。これまで仕事をまともにしたことがないそうだ。なぜ?引きこもりで、人ごみの中が苦手で外に出るのが怖いそうだ。だから仕事を見つけても三日坊主で終わる。そして親からは文句を言われる。体は健康そうに見えても心は病気である。しかし普通の人には分からない。だから周りはきつい言葉を投げる。それに耐えられなくて心が折れる。そして悪い考えが頭を行き来する。

イエス・キリストはいつも優しい言葉を掛けながら伝道していた。12年間病に苦しんでいる人に「あなたの信仰があなたを直したのです」と。自分が祈ったのであなたは癒されたとは一切口に出さない。イエスはいつも病人を慰めた。そして「健やかに暮らしなさい。(マルコ5:34)」と励ました。苦しんでいる人にはどんな時にも優しい言葉をかけた。ハレルヤ!私達もそうなりたいものだ。

聖書からイエスの言葉を学んだら、これらの悲劇は回避できたかも・・・。残念だ。だから伝道しよう。アーメン。

2019年05月26日 牧師 一口メモ

最近の世界と日本の世相報道にはあまり驚くことは無くなっている。いろいろなことが起こり過ぎて驚くに値しなくなった。家族の殺人や事故事件、人の行動や考え等々にはもう驚くのはないのかと思っていたら、衝撃的なニュースが来た。先日(5/24)の新聞の記事を見てびっくりした。「人間の遺体を肥料に」アメリカワシントン州議会で合法化したそうだ。人の遺体を肥料化して、植物などの肥料として使うことを認める法律が成立したと述べている。このニュースはクリスチャンとして見過ごすわけにいかない。ついにここまで来たかという感じだ。豚や牛の病気等々で死んだものを粉砕機にかけて、また彼等の飼料にしているのは聞いていた。このニュースを聞いた時にも正直驚いたのだが、今は当たり前になってニュースにもならない。今回はその時のことと比べることのできないくらい大きな衝撃である。どのように伝えればいいのか分からないが・・・。あくまでも私の考えである。良いか悪いかは別として、このことを聖書から見てみよう。三つのことを見ることにする。

一番目に「人は神に似せて創られた」(創世記)

その意味は姿、形、心、霊もすべて崇高に創られたと言う意味である。しかも創世記をよく読んで見ると天地万物はすべて神の声で創られた。「光りあれ!」と命じただけで光が出た。そのようにすべて神の声で創った。しかし人間だけは神の手で創ったのである。(ヨブ記10:9 33:6)(イザヤ64:8)には「粘土」で形づくられたと述べている。つまり粘土を手でこねて丁寧に創ったと言うのである。神が人間を非常に愛情をこめて懇切丁寧に創られたのが分かる。それは鏡で自分を見ればよく分かるはずだ。完璧ではないか。頭の大きさ、目の位置、鼻、口の形を見れば一目瞭然であろう。それくらい神にとって人間は大切なのである。

二番目に「動物や植物を支配させよう」(創世記)

つまり動物、植物は人間とは違うことを意味する。あくまでも動物は動物である。人間とは比べられない。

三番目に「人は死ぬと丁寧に埋葬されている」(マタイ27:59、60)

墓が造られて、包帯で巻かれ丁寧に墓に納められる。だから人間は死んでも丁寧に扱うべきであろう。それを植物等々の肥料にするとは信じ難いのである。いつの間にか死体が売買されるようになるかも。ああ!恐ろしや人間!「マラナ・タ、主よ早く来て!!」と叫ぶしかない。

2019年05月05日 牧師 一口メモ

平成から令和に変わる元号フィーバーがやっと納まった。何も考えない国民が多い不思議な国。商売人やマスコミに踊らされる不思議な国民。令和が天皇が自分をあなたを幸せにすると思っている不思議な国民。いったいこの国は何処に向っていくのやら・・・。

先日、家内と素晴らしい映画「グリーン・ブック」を観た。お勧めなので是非見て欲しい。内容を詳細に語るとネタバレになるので簡単に記すことにする。一番目に1950~60年代のアメリカでの実話であること。二番目に人種差別の激しい中での黒人と白人の物語りであること。三番目に幸せの行方が描かれていること。この三つのことを強烈に感じさせられた。

天才黒人ピアニストが、人種差別の激しい南部の州を二カ月に渡って旅をしながら演奏会を開く。その為、運転手兼マネージャー(黒人嫌いの白人)が雇われる。二人の激しい葛藤の二カ月間の物語りである。この映画で強烈に感じたことは、白人達の恐ろしいまでの高慢さである。彼らはピアノ演奏(音楽)は認めて素晴らしい音色に酔おうとするが、弾き手の黒人ピアニストには関心を示さず尊敬もしない。金持ち白人の感覚には辟易する。

人間の高慢は天よりも高いと聖書は教える。イエス様が高慢を一番嫌う理由もよく分かる。マタイ23章でイエス様は、パリサイ人や祭司長、律法学者たちに向って激しく叫んだ。「わざわいだ!」と。つまり人を不幸にする災いの指導者達と言っている。そして「盲人が盲人を導くようなものだ」と。どこかの政権みたいだ。盲人の多い日本の国民が盲人に導かれていく。目が見えないから素直に従っていく哀れな国民だ。

天才黒人ピアニストと喧嘩好きなヤクザまがいのイタリー系の白人。この二人の二カ月間の旅は、お互いの性格と人格を見事に変えていく。天才は自分が見えない。白人の切れやすい男も自分が見えない。しかし、お互いに助けあって、かばい合っていく姿には感動を覚えた。切れやすく無学な男には素晴らしい奥さんと仲間達がいる。つまり暖かい小さな家庭があった。食事の時にいつも神の前に感謝の祈りを忘れない家庭。その家族の幸せの為にお金を稼がなければならない。それで嫌いな黒人に忍耐をもって仕える。そして一人ぼっちの高慢ちきな天才に本当の幸せの姿を見せる。平成が令和が天皇が幸せを与えるのではない。生きている神イエスが与えるのである。

ルカ11:27、28 イエスが、これらのことを話しておられると、群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」しかし、イエスは言われた。「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」アーメン。

2019年04月28日 牧師 一口メモ

今日は新役員の任命式がある。キリストの教会も組織である以上は肩書があるのは仕方ないだろう。どんな組織もピラミッド型である。教会のトップは牧師である。大きくても小さくても牧師がトップに座っている。その下に幾人かの役員が存在する。役員会あるいは理事会と呼んでいる。私達のグループの組織は牧師がいて、副牧師がいて、長老がいる。そして伝道師、執事となっていて、そして愛する聖徒の皆さんがいる。これが大体の組織の形態である。この組織の形がⅠテモテ3章に記されている。そこには役員の条件が書いてある。とくと読んでほしいところである。

しかし厳密にこの箇所を基準として役員を任命するなら、恐らくは誰一人として役員になれる人はいないだろう。特に厄介な箇所は「家庭をよく治め、十分な威厳を持って子供を従わせている人でなければならない」(Ⅰテモテ3:4)

家庭を治めることと子供を従わせることは無理難題なものだ。特に子供達を素直に従わせることなんかできっこない。牧師の子供達や執事の子供達が救われていなくて教会に来ない。そのようなことは世界中のキリストの世界ではよくあることである。それでも牧師だ!伝道師だ!執事だ!賛美リーダーだ!と言いながら喜んで奉仕に携わって神様を喜ばせている。新役員の皆さんは、「こんな私でも神様は用いて下さっている。牧師も認めて役員にして下さった。そして素晴らしい肩書を与えて下さった。」と自信と勇気をもって喜んでほしい。

聖徒の皆さんは私達役員の人格は見ない方が良い。もしあなたが役員の人格に目を向けるなら、あなたはいろいろと苦労することになる。つまずいて、信仰も落ちこんで、しまいには教会を移ることになるであろう。そして損だけが残ることになる。もし、あなたの嫌いな人や、こんな人が・・・と思って怒りが満ちているなら、任命した神様や牧師に文句を言った方がいい。「なぜ、こんな人を任命するのですか?」と。そしたらきっと「では、あなたが役員になってください」と勧めてくるだろうから。

ルカ6:41(新共同訳)あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。

良い教えではないか。しかし、ではどうすればいいのか?となる。どうすれば役員たちを認めることが出来るようになるのか。答えは簡単である。人格を見るのではなく、働きを見たらいい。奉仕する役員の姿を見つめたらいい。きっとあなたは感動するであろう。アーメン。

2019年04月21日 牧師 一口メモ

聖書には旧約聖書と新約聖書がある。字のごとくに古い(旧)約束と新しい(新)約束と言う意味である。なんの約束かと言うと神様と人との約束(契約)である。もっと正確に言えば神様が一方的に「すべての人を幸せにする」と約束した契約の書である。またあなたの一生を保証すると言う契約である。しかしこの契約を結ぶ為に一つだけ条件がある。イエスキリストを救い主として信じることである。たった一つを口から出すだけだ。「イエス様あなたを救い主と信じます。どうぞ私の心に来て下さい。アーメン」(ローマ書10章10節)これだけ告白すればあなたの人生は幸せが保証されるのである。そして私達クリスチャンは最高の人生を歩むことになる。アーメン。

今日はそのイエス様が甦った日である。約2030年前に私の(あなたの)罪の赦しの為に十字架に架かり死んで墓に葬られた。しかし三日後の日曜日の朝に墓から生きて出てきたのである。この日が、全世界の人に最高の救いの日となり、世界中でイースターと呼んでお祝いする日となった。(私達の教会ではなるべく復活と呼ぶようにしている)この甦りによって私達に約束したことが成就したのである。イエスの最大の弟子であるパウロはコリント15章3~5で最も大切なものとして教えている。

今、日本の社会は非常に危険な状態に置かれていると思っている。天皇の退任決定によってマスコミが過熱し過ぎるくらい報道していることである。天皇のニュースがない日はない状態だ。しかも改元によって「令和」が新元号になった。何がしかの命令によって平和がもたらされる社会になると信じ込まされる日がまた来るようになる。これが「令和」を選んだ目的である。しかも天皇が伊勢神宮に退任のあいさつに行った。そのことをマスコミは次のように報道している。「天照大御神」に退任の報告をしたと。日本の国は天照大神によって造られたと言っているのである。天照大神が天皇の父である。だから天皇がまた神に祭あげられ、その天皇を国民は拝まなければならない。そして一丸となって平和な国を造る。これは上からの命令であるから絶対に守るようにと言われる。これが「令和」の正体なのである。

天地万物を創った父なる神様の一人子イエスが十字架に架かった。そして甦った。世界中の人が救われる為に。そしてイエスを信じた人は永遠のいのちを頂いて天の国に凱旋する。これがクリスチャンの人生である。アーメン。今日はこの復活の日を特別にお祝いしたいものだ。そして天の父とイエス様に感謝したい。またその奥義を悟らせて下さった聖霊様に。アーメン。

2019年04月14日 牧師 一口メモ

「神の慮り(おもんばかり)」と言う不思議な詩がある。アメリカニューヨークの病院の壁に、ある患者が書いたものだそうだ。一つの章だけ紹介しよう。

「大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと願ったのに、謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。」

「より偉大なことできるようにと健康を求めたのに、より良きことができるようにと病弱を与えられた」

神様のみ心を見事にあらわしていると思う。神様が人間の望むことは一つである。「へりくだり」である。つまり謙遜である。なぜなら謙遜こそ愛の塊りだからである。クリスチャンはみんなが神様に用いられたいと願っていると思う。もしそうでなければ信仰は無いとも言える。私達は神様を喜ばす為に役にたちたいと願って、何がしかの賜物を求めているはずだ。これが信仰である。

そして兄弟姉妹から凄いねーと褒められたいと密かに願っていると思う。これはとても良いことである。高慢でもなんでもない。夢であり希望である。希望と夢がなければいい働きは出来ない。人にとってもクリスチャンにとっても夢はとても大事なものである。イエス様は漁師達を選んで夢を与えた。彼等には学問、学歴はなかった。ただの魚捕りだったのである。イエス様は彼等を選んで次のように言った。「人間を取る漁師にしよう」と。弟子達にはその意味は分からなかった。人間を取る漁師って聞いたことがなかった。こんな職業があるのかと疑問に思ったことだろう。しかし弟子達は用いられて賜物が与えられて段々と高慢になっていく。なにしろ癒しが出来るし悪霊も追い出せる。無学な人たちがいつの間にか周りから尊敬されていくから致しかたないと思う。私達も近いうちに弟子達のようなことが出来るようになるだろう。アーメン。だから今から気をつける必要がある。「高慢」はなかなか捨てることの出来ない非常に厄介なものだ。

高慢はイエス様が一番嫌いなものだった。「神の慮り」の作者は入院した時に高慢に気づかされたと思う。大きいことを成し遂げるために必要なことは「謙遜を学ぶ」ことである。何処の世界でも高慢が先立つ、政治の世界も、音楽の世界も、芸術の世界も、経営者の世界もそして教会も。お互い気をつけて戒め合っていくことが大事である。なぜなら高慢に神様は敵対する(ヤコブ4章6節)と言っておられるから。神の敵になりたくないのなら「高慢」から遠ざかろうではないか。私もよく心に刻もう。アーメン。

(「神の慮り」の詩が欲しい方は、私に声をかけてください。)

2019年03月31日 牧師 一口メモ

久しぶりに礼拝を休むことになった。
息子の大学の入学式に参加するためだ。3ヶ月前から飛行機のチケットを確保するために努力したが、日本中の様々な移動時期と入学時期にかち合って日曜日の朝にしか取れなかった。大学の入学式が2日である。その前にアパートに入居しなければならない。前に住んでいた方の退去日の関係も重なり、色々とギリギリになってしまった。
メッセージは池原明牧師にお願いした。もしかすると沖縄ベタニヤの朝礼拝でのメッセージは初めてじゃないかと思う。聖日の朝礼拝は出席率が高いので信徒のほとんどの皆さんに池原牧師のメッセージを聞いてもらえるので良かったと思っている。経験豊かでパワフルな池原牧師がダイナミックに語るだろうと信じている。

礼拝を休むことに罪悪感となにがしかの抵抗を感じるのは私だけではないだろう。キリスト者にとって週一回の礼拝は命と思うくらい大切なものである。
何しろイエスキリストは私のために十字架にかかり、死んで墓に葬られ、3日目によみがえられ、今も生きて天においてとりなして下さっている。この地上においても、いつも共にいて私の人生を守って下さっている。いつも見ておられる父なる神様、神子イエス様、日常生活の助け主である聖霊様の三位一体の神様を礼拝することは最高の喜びであり、感謝である。いかなる理由があっても、礼拝を休むことには抵抗がある。
しかし、クリスチャンにとっても長い人生は何かが起こるのは仕方のないことであろう。自分の思い通り、計画通りに事が進むとは限らない。結婚式があり葬式がある。病気になったり事故に遭ったりもする。会社の勤めも、学校行事もある。家族の上に良いことや悪いことも起こる。それらのことによって日曜日に教会へ行けないこともある。だから様々なことに対応できるようにと夕方にも礼拝を持つようにしている。牧師(メッセンジャーたち)や賛美チームや奉仕者たちが犠牲を払って働いている。

しかし注意して欲しいことは、律法主義に陥って礼拝を欠席する方を裁いてはならないということである。むしろ愛を持ってその人のために祈ることを勧める。
「すべての聖徒のために祈りなさい」(エペソ6章18節)
もうひとつ注意する。気ままに、簡単に礼拝を休まないで欲しいと願っている。アーメン

2019年03月24日 牧師 一口メモ

聖書は「拠りどころが壊されたら何になるか」(詩篇11章3節)と教えている。
今の日本は完全に拠りどころを失っている。
先週、天皇陛下が天照大御神に退位の報告の儀式を行った。この国の拠りどころは人間が創り上げた偶像である。何の力もない物がこの国の基礎となっている。それは国民のほとんどもそうだと言える。だから何が正しくて何が間違いなのか判らなくなってしまっているのだ。官僚、政治家、裁判官、検察、警察までもが正義を完全に見失っている。国民の安全(命)と将来に考えが及ばない。時の政権に媚を売って出世だけを目指している。いつの間にか恐ろしい国へと変わってしまっている。今この国に起きているひとつひとつのことを挙げてみればよく理解できる。

まず、教育。これが酷すぎるくらい壊れている。ほとんどの医療関係の大学が女性の入学者を減らすために点数を差別していた。また、大学が地震の論文を捏造していた。ある小学校は卒業式に「袴」で参加させている。学校側が生徒に袴を提供できればいいが、そうではない。袴を持っていない生徒の気持ちを考えない。国の30%の子供が貧困にあえいでいる中で、多くの子供達が差別を受けるだろう。惨めな気持ちで卒業式に出なくてはならない。
学校でのいじめも酷くなるばかりで、無くならない。先日も女子中学生がいじめによって自らの命を絶った。親も学校も教師も教育委員会も文科省も自分のことしか考えない。

法曹界では、国との争いでは100%国が勝訴するようになっている。民が勝つことは絶対に無い。長期勾留は当たり前で、自白するまで交流し続ける、人権など無い国だ。一人の人間の命は、彼らにとっては動物以下なのである。

政界では国会議員を始め地方議員の資質が言いようのないくらい「ていたらく」である。浮気、暴言、嘘は当たり前。特に自民党の議員は酷い。彼らにこの国が正しく導けるはずがない。

実業界では、レオパレスという会社が建築基準違法のアパートを作ってきた。原因は利益至上主義の政策にある。人の命、安全よりも利益が優先されてきたのだ。

イエス・キリストは人の命を救うために、暴力を受け、鞭打たれ、唾をかけられ十字架にかかった。そして自分の命を捨てた。人の命が何より大事で何よりも愛おしかった。それが天地万物、この世界を創られた唯一の神様の方針だった。その教えが全ての人の礎(いしずえ)になってほしいと願ったのである。人生の拠りどころがイエス様の行いであり、教えである。聖書の教えを人生の拠りどころとする人には最高の幸せがプレゼントされると約束されているのである。この確かで、安全で、愛に溢れた礎(いしずえ)を沖縄県民が、日本国民が、全世界の人が受け入れたら、この世界は言葉では言い表せないほど素晴らしい世界となるのである。アーメン

2019年03月17日 牧師 一口メモ

なぜ日本、沖縄にリバイバルが起こらないのか。
隣の韓国はリバイバルが起こり、クリスチャン人口が30%まで増えた。立派なクリスチャン国だ。韓国を実際に訪問したからよくわかる。町のいたる所に十字架がそびえ立っている。台湾も5、6%に増えているそうだ。数年前までは1%のクリスチャンしかいなかった。それが今では5倍となっている。1000人教会が30もあるそうだ。また共産国の中国はどうだ。推定1億人のクリスチャンがいる。日本の総人口に迫るくらいの数だ。さらにクリスチャンが増えすぎたために権力者たちが怯えて、迫害まで始まる事態だ。いくつも教会が閉鎖されている。

沖縄はどうだろうか?
相変わらず1%にも満たない悲惨な状態だ。なぜそんなに違うのか。なぜクリスチャンが増えないのか。何年も牧師や神学者たちが議論を重ねたが答えは出ずじまいだ。
先日、南部牧師会に出席した。久しぶりの出席であった。メッセンジャーの牧師が台湾の話をしていた。何度も台湾へ出向いて、クリスチャンが増えた理由を調査したそうだ。結論はわからずじまいだったと言う。台湾も日本と同じように牧会をしてきた。ただそれだけで、特別なことはしていなかった。礼拝をし、祈りを捧げて、弟子訓練をし、時々伝道してきた。そしてある時からクリスチャンが増えた。神様がリバイバルを起こした。ただそれだけ。それが答えだそうだ。
しかし1つだけ違いがあると言っていた。それは民族性だ。熱心さが違うのである。それは的を射ていると思う。日本人はおとなしく、真面目すぎる。祈る時も賛美をする時も静かにやり過ぎていないだろうか。これは大きな問題ではないだろうか。詩篇では叫びの祈りと踊りを基本としている。ダビデは実際に叫びながら祈っていた。賛美をする時は力強い踊りを加えているし、尚且つ角笛やタンバリンを用いている。

私は実業家時代、台湾とカラオケのビジネスをしていた。クリスチャンになってからは中国にもカラオケのビジネスを広げた。そしてクリスチャン達と付き合いをした。また韓国にもよく行ってクリスチャン達を見てきた。この3つの国に共通する者は「人目を気にしない信仰」である。大声で賛美し、手拍子の音は強い。喜んで踊っていた。果たして日本人にそれが出来るだろうか。民族性が大きな信仰の弊害をもたらしていないか。私達は日本人のクリスチャンではなく、クリスチャンの日本人にならなければならない。つまり聖書のクリスチャンである。聖書に従って変えられたクリスチャンという意味である。勇気を持って歩もう。アーメン。
「踊りをもって、主の御名をほめたたえよ。タンバリンと竪琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。」(詩篇149篇1−9節)

2019年03月10日 牧師 一口メモ

この世界には偉人と呼ばれる方々は多い。
偉人とはどのような人を指すのか。
人のために生涯を尽くした方を言うと思う。
今ラジオ番組「ゴスペルアワー」において、日本の偉人のなかでクリスチャンとして人生を歩んだ方々の人生を紹介している。毎朝聴いているが、日本人クリスチャンには本当に凄い働きをした方々が多く、驚き、感激している。近年NHKにおいても彼らを主人公としたドラマが立て続けに放送されているので、知っている人も多いと思う。
江戸、明治時代から筆舌に表せないほどの困難、試練のなかにありながらも、彼らは困窮している人々を助け、尽くす人生を送っている。人生をイエス・キリストの教えに捧げた人こそ、本当の偉人であると思う。
特に印象に残ったのは女性の方々である。石井筆子、新島八重など。女性差別が激しい明治時代に敢然と戦いを挑み、女性たちの地位向上に人生を捧げた。苦難のなか、何度もくじけながらも、降参することはなかった。主イエスにすがることが出来たからである。これこそクリスチャンの特権である。アーメン!

私の毎朝の日課は早天の祈り会を終えた後、「ゴスペルアワー」を聴くことである。毎日とても楽しみにしている。この2つを逃しては、その日が良い日になることはないと言ってもいいぐらいである。みなさんにもオススメしたい。fm那覇(78.0MHz)で聴くことができるし、YouTubeでは過去の放送も聴くことができる。
https://youtu.be/NkZKByKMemo

聖書のなかにも偉人は多く登場する。彼らは信仰の偉人でもある。私たちクリスチャンへ大きなインパクトと影響力を与えてくれる。
有名なのは「ノアの箱舟」のノアである。
ノアは神様から「洪水を起こすから箱舟を造りなさい」と命令を受けた。ノアは箱舟を造り始めるが、それを見た親戚や友人、周りの人々は彼を馬鹿にしていた。それもそうであろう。突然山の上でバカでかい船を造り始め、洪水が来るからだと言い出したら、気が狂ったのではないかと思われる可能性は大いにある。しかしノアは周りの声に耳を傾けず、神様の命令に従い通した。それゆえに彼と彼の家族は生き延び、救われたのである。ハレルヤ!

次にモーセという人がいる。彼も海を二つに割った人として有名である。
モーセはユダヤ人でありながらも、赤子の時にエジプトの王妃に拾われ、王の子として育てられる。良い教育を受け、何不自由ない暮らしをしていた。しかし彼はその地位を捨てなければならなくなり、エジプトから出ていく。数十年後、神はモーセをエジプトへ戻し、そこで奴隷として働かされていたユダヤの民を救う使命を与える。奴隷根性を植え付けられ、頑固な民250万人をエジプトから連れ出し、40年、砂漠の中を歩んだ。民は不平不満だらけで、言うことを聞かず、モーセは計り知れない苦労を被った。神様に怒られることもしばしばあった。戦も度々経験した。しかし彼が挫折することはなかった。神から離れることもなかった。

次にパウロという人がいる。彼は新約聖書に登場する。
彼は律法の専門家であった。クリスチャンを迫害し、次々と牢獄へと入れていた。しかし神は彼を選び、彼は悔い改め、彼自身がクリスチャンとなった。彼のクリスチャン人生も苦労の連続であった。しかし彼もくじけることはなかった。

先に挙げた日本人クリスチャンにも、聖書の人物にも、共通点がある。
1. 神に選ばれた
2. 死ぬほど苦労した
3. 挫折しなかった
4. いつも神様が共にいた

「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ、わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます。」
(マタイの福音書28章20節)

2019年02月03日 牧師 一口メモ

この日本はどうなってしまうのか。
政府があまりにも腐れすぎてないか。国の基幹の統計資料のほとんどが嘘だったようだ。私達国民は何を信じればいいのだろうか。もう信じられるものはないのではないか。正月から統計資料がおかしいとの報道があったのだが、ついには安倍政権の屋台骨の毎月の勤労統計が実質0・5%のマイナスで今までの勤労統計は「賃金偽装」だったと言われている。つまり国民の労働者の賃金はアベノミクスによって上昇していると言われていたが、本当は嘘だったと言うわけだ。恐ろしいインチキである。もうこの嘘つきの安倍政権と官僚達を一掃しない限りこの国は滅びへ一直線に向かうことになる。官僚達を始め裁判所も検察もすべてが安倍政権におもねりをしている。正義が完全に吹っ飛んだ。いつの日かこの人達の人生の上にこのことが跳ね返ってくるだろう。厚労省の全員が犯罪者である。何とかしないといけないはずだが・・・。まず、来年の参議院選で国民の目が覚めることだと願うのだが、残念ながらあんまり期待は出来そうにない。政治音痴の国民では期待を持てない。
二番目に外圧に頼るしかないが、日産自動車のカルロス・ゴ-ン氏の長期拘留が国際的に注目を浴びている。そして日本の裁判所と検察に正義の圧力が掛かることを期待したいのだが・・・。またロシアのプーチン大統領が北方の4島返還交渉において次のように発言した。「日本はアメリカの言いなりだ。沖縄の辺野古の新基地建設を見ればよく分かる。だから4島返還したらアメリカがすぐにこの4島に基地を作るだろう。なにしろ日本は主権がなくアメリカの属国だから」と。だから4島は返せないとハッキリと宣言している。堂々と一国の大統領が日本に目を覚ませと言っている。まことに恥ずかしい限りだ。これだけ馬鹿にされても本当の事だからコメントさえ出せない。右翼思想の桜井よし子さん、百田尚樹さんよ、今こそあなた方が安倍政権に物言うべきではないのか。アメリカの属国になっているのにあなた方の愛国心は嘘なのかと。

ハイ!日本、沖縄のキリストの教会はしっかりと聖書に基づいた宣教と礼拝を守っている。外国(アメリカ)かぶれではないと信じている。国民よ、少しはキリストの教会を見習ってほしいものだ。神様は日本人のリバイバリストを起こそうとしている。一日も早くと必死に祈っているし、またやがて来ると信じている。
待ち望め主を(詩編42:5)アーメン。

2019年01月06日 牧師 一口メモ

2019年度が始まった。
終わりがあれば必ず始まりもある。
伝道者の書にはすべての営みには時があると記されている。まさにその通りで、私達は時間に支配されている。と言うよりも時間と共に生きていると言ったほうが良いだろうか。

新しい年を迎えて、兄弟姉妹達がどのような夢と目標をイエス様に捧げたかに大きな興味がある。
教会の目標は、祈りの時間をもっと増やすことを第一番に挙げた。しかも多くの方々が心一つにして、尚且つ、一つ所に集まって祈ることを。私達は先に選ばれた者として責任がある。だから祈ろうではないか。魂の救いの為に。
二番目には伝道の充実を目標とした。伝道についてパウロはこのように言っている。
「私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。」ローマ1章14節
私達には返さなければならない借金がある。つまり魂の救いのことである。返す行為を伝道に例えている。たくさん伝道して借金を返したいものだ。
三番目に聖書をよく読むことを目標に掲げた。聖書をたくさん読み、真理に立った、大人のクリスチャンになる。それは魂の救いのためである。アーメン。

正月から3日間、完全休養日になることは初めてではないかと思う。最近は、なるべく家と教会で主との交わりに多くの時間を割いている。それで気が付いたことがある。外にあまり出ない証拠に、車のガソリン代が急激に減った。なんとなく嬉しい気分だ。ああ!主との交わりが確実に増えたな-と感謝している。
今までの通常の過ごし方と違うので、楽しみが多くなった。聖書を読み解説書を開く。三種類の聖書を読み比べる。すると聖書の深みを一段と知ることが出来るようになり、益々聖書が面白くなってくる。これは今までになかったことである。これが本来の牧師の有り方なのではないかと思うのである。
今年は霊的にも知識においても一層の深みに入れそうな気がしている。リバイバルのためにそのような時間を天の父が与えたのかもしれない。イエス様と一つになれるように祈っている。そして一番大切な家内と一つになれるように。また兄弟姉妹達みんなと一つになれるように。今年こそ主に喜ばれる教会になれるような気がしている。
新年の夢で終わることがないことを祈っている。アーメン。

2018年12月23日 牧師 一口メモ

2018年の1年間もいろいろあった。
嬉しい事、辛い事、苦しいことが思い出される。1つ1つ思い出して振り返ってみた。苦しかった事は2月にゆがふぅ教会を閉じたことであった。この事についてはかなりの決断が必要だった。特にゆがふぅ教会の西銘牧師の気持ちを一番に汲む必要があって慎重に思いめぐらした。そして祈り続けた。西銘牧師夫妻も賛同してくれて閉じることが出来た。悲しかったが今は正解だったと思っている。あちこちに教会が出来たのは良いが、皆の力が分散されて、どの教会も良い働きが出来ず、正直困っていた。西銘牧師の決断に心から感謝している。悲しかった事はA姉妹の昇天、O兄弟の昇天である。もう少し地上に残って欲しかったのだが・・・。
しかし洗礼者が21名も与えられたことは言葉にできないほど嬉しいことであった。

嬉しいことは本当にたくさんあった。
吉田芳幸長老の聖会、万代英嗣牧師の聖会が持てたこと。
長尾伸也兄弟の牧師按手式が行われ、多くの兄弟姉妹達に祝福され、6人の牧師たちが按手に加わったこと。同時に彼がゆいまーる教会の牧師に赴任したこと。ハレルヤ!
また西原シオン教会の土地建物の明け渡しと実践神学校の移転が無事に解決したこと。何よりも嬉しいことは「ゴスペルアワー」のFMラジオによる毎日の伝道番組がスタート出来たことであろう。1人1人が5分で救いの証を話す。毎朝なので正直大変な伝道番組である。製作者の苦労は如何なものであったかスタートしてよく分かった。しかしいろいろな面でぶつかり合いながらも順調に推移し始めた。伝道は私達クリスチャンにとっては命とも言える奉仕である。先に選ばれた者として責任重大でもある。
またラジオ伝道番組は他にもあり、多くの兄弟姉妹が毎週力強く放送をしている。
「ユタはあなたを幸せにしますか」
「親分はイエス様」
「ハイサイ教会でーびる」
「エンジェルトーク」
今年も続けることが出来て感謝している。

政治の世界では新基地建設(辺野古)反対を掲げる玉城デニ-新知事が圧倒的な勝利を納めたことが嬉しかった。
また我らが愛する新垣博正執事が4期目の当選を果たし中城村議長に就任したこと。ハレルヤ!
社会のありとあらゆる方面にクリスチャンが進出することは天の父の御心である。

教会では今年も新たなる方がメンバーになった。しかし出て行く人もいた。寂しい事ではあるがいつものように来る者拒まず、去る者追わず、である。
来年も皆に大いなる祝福がありますように!アーメン。

2018年12月16日 牧師 一口メモ

今年が終わろうとしている。
日本社会と教会のことで1年の総括をしたい。

今日の沖縄の新聞2紙は、一面で大きく辺野古への埋め立てが始まったと報じている。東京の新聞も一面での報道らしい。さらにアメリカでも報道しているとの事である。これだけ見たら関心は深いと見てもいいだろう。ただ、日本政府の対応はあまりにも酷いものがある。これが政府かと思うくらいに、特に安倍政権になってからはエゴと嘘と強権と支配の構図であり、政権内部が腐敗に満ちていると言わざるを得ない。官僚の接待漬けと政権に対する平身低頭は醜い。森友学園から加計学園問題も嘘のオンパレードであった。

また大学の医学部入試において女性受験者への差別的な対応も問題になった。これが大学の学長たる教育者たちの姿とは実に情けない。大学教育崩壊の前兆であろう。

また韓国に対する「徴用工判決」に対する態度も酷い。特に河野太郎外務大臣の対応にはあきれる。安倍さん以上の高慢の態度だ。ガッカリの一言に尽きる。一方ではアメリカに尻尾を振る姿も見苦しい。これがアメリカ第51州目と言われるゆえんだろう。

普天間基地も2022年返還は無理と言い始めた。その理由が辺野古の新基地建設が進まないからと防衛大臣は言ってのける。自分達で約束したことを平気で沖縄の県民の反対運動のせいにしている。元から5年後の返還は口約束であって返す気などなかったのであろう。
1つ1つ上げればきりがないが、国民はこのような政権を来年も同じように選ぶのだろうか。

教会については祈りが最大の問題であったと思う。
今、当教会の祈り会は3つある。メインは毎週水曜日(夜7時30分~)である。次に第一、第三土曜日の礼拝準備祈祷会、そして毎日の早天祈祷会(月~土)がある。皆さんはいずれかの祈り会に参加しているだろうが、参加者がどんどん減ってきている。私は非常に危機感を抱いている。使徒の働きを読むと、当時の信徒たちはグループでよく祈っていた。
(使徒1章14~15節、2章1節、12章5節)。
そこに奇跡が起こったし、聖霊が降った。そして一気にリバイバルが起こり3000もの人が救われた。この箇所は非常に大切である。聖霊降誕にあずかる者になる1つの働きが集まった時の祈り会である。注意して奥義を悟ってほしい。

みなさんで、今年の自分を振り返って来年に向けて備えてくれたらと願う。1人の祈りも重要であるが、みんなで集まって祈るのはもっともっと重要である。なぜなら私達が1つになるのが天の父の喜びだからである。
「わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。
わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。 」
(ヨハネ17章22、23節)。

ですから来年はみなさんそれぞれ、ひと踏ん張りして祈り会を重要視して欲しいと願っている。アーメン。

2018年12月09日 牧師 一口メモ

家族4人で兵庫県、京都を巡ってきた。

目的は息子の新居探しであった。来年は大学生として一人で生活を始める。そのために早めに住居を決める必要があった。行ってすぐに祈りが聞かれ、最高に良い場所の素敵なアパートが見つかった。ハレルヤ!!

京都には大学合格の褒美として紅葉を見に行った。本人の希望も強かったし、私も紅葉は初めてだったので期待に胸をふくらませていた。まず最初は嵐山でトロッコに揺られながら紅葉を見た。山全体が紅葉し赤や黄色に染まっていた。とてもきれいで心が癒される思いだった。続いては2時間ほどの保津川下りに挑戦した。30名乗りの小さな船に乗って美しい紅葉を見ながらゆったりと川を下るのは、とてもすばらしい体験だった。続いて、嵯峨嵐山の竹林の道を散歩した。背の高い竹が織りなす林は大変美しい光景であった。竹の香りにも癒された。

最後に有名な清水寺の紅葉を見に行った。人が多いのにはびっくりした。そして何より驚いたのは寺の本堂の入り口に掲げられた言葉であった。案内の看板に「胎内めぐりの順路→」と示してあったのだ。つまりサタンの胎内に入り、そしてサタンの子供になる契約の入り口なのである。これが日本の子供達の悲劇の原因だと悟った。年間で一番多くの修学旅行生が来るそうだ。数は分からないが何百万単位の子供達が清水寺にくる。そして「胎内めぐり」でサタンと親子の契約をするのである。本当に恐ろしい。だからイジメはなくならないし、逆に増え続けている。親からの虐待もひどいものがある。これが霊的な攻撃であることがよく分かる。

当然私達は本堂には入らなかったが、周りの紅葉の美しさを見て回って帰って来た。すこし気分が滅入ってしまったが、サタンとの戦いはわかる人しか出来ないことである。気を引き締めて祈りを武器に日本の子供達を守る戦略を考えなければと思った。

夜にはクリスマスのとても素敵なイルミネーションとクリスマスツリ-の数々も見ることが出来た。新しい教会ではもっと世の人々の気を惹くような飾りつけを考えなければと思った。3泊4日の楽しい旅を与えてくださり、すべての祈りを叶えてくださった天の父に心から感謝した。

クリスマスのこの時期、私達を先に選んで救ってくださった天の父の期待に応えるためにも、大胆な信仰を持って伝道しようではないか。

世界で一番はじめにイエス様を礼拝したのは当時イスラエルでは底辺な仕事として見られていた、貧しい羊飼い達であった。最高の栄誉だっただろうと思う。彼らは救い主イエス誕生のニュースを受け取ると、仕事を置いてすぐに天使の案内に応えたのだ。遠いベツレヘムまで。このような信仰こそが、イエス様が一番喜ばれる信仰ではないだろうか。

みんなで良いクリスマスを迎えましょう。アーメン。

2018年12月02日 牧師 一口メモ

12月に突入した。
歳を取ると日々が過ぎるのが早く感じられる。
今年もあっという間に師走を迎えた。考える間もないくらいに過ぎ去っていくようだ。
だからボヤボヤしていられないと思うのだが、今の生活パターンをどのように変えるのか、となると正直思いつかない。
とにかく牧師としての働きをなすしかない。祈り、聖書を読み、信徒の皆さんの相談にのり、聖書勉強会やリーダー育成会等々を続けるしかない。
ただNPOの働きも大きいので様々な方との面会もある。朝日のあたる家の移転のことで設計士や銀行の方とのやり取りも頻繁だ。ステーキハウスエルシャダイの復活の準備も忙しい。

今のところFMのラジオ伝道だけは何とかこなしているが、伝道にもっと多くの時間を割きたい。なるべくは特化できればと思うのだが、なかなかそれだけに打ち込むことができない。そこだけが不足しているのでイライラする時が多くなった。だから頭を冷やさなければ、と祈りの時間を多くとって引きこもり状態になっている。また伝道のことを考えると、時の過ぎるのが非常に早いと感じるし、多くの先輩牧師たちと同じように沖縄のリバイバルを見ないまま天に帰るのかもしれない、と思うと怒りが沸き、己の力不足を嘆くのである。

そのような時に最悪のニュースが飛び込んできた。
宮古島のパーントゥが無形文化遺産に登録されたというニュースだ。ただでさえ悪魔が沖縄を押さえ込み、リバイバルを妨げているというのに、ますます嘲笑うかのように宮古市民を「文化」という名のもとに利用している。恐ろしい形相で恐怖に泣き叫び母親に抱かれている子供たちを追いかけ、泥を塗りたくる祭りである。小さな時の恐怖心は将来に大きな影響を与え、精神的な病を引き起こす。これが霊を汚す霊的な行事であることをクリスチャンだけは知っている。だからなおさら伝道に燃えなければならないのだが…。サタンはこれでもか、というくらいに私たちの祈りと伝道を馬鹿にした働きをしている。

今年も残り少なくなってきたが何とかイエス様に喜ばれる働きをして有終の美を飾りたいものだ。そのためには近付くクリスマスに焦点を当て、家族や同僚や友人知人を教会に招こうではないか。伝道こそがイエス様に喜ばれる最善の道であることを覚えておこう。
天使たちから良き知らせを受けた羊飼いたちは、すぐに羊を野原に残して赤子のイエス様を捜しにベツレヘムに向かった。
「御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは『さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか』と、互に語り合った。 」(ルカの福音書2章15節)
イエス様が12弟子を招いた時も、彼らは同じようにすべてを捨ててすぎに従った。
「そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。」(ルカの福音書5章11節)

彼らの名は聖書に記され、世界中の人々に知られている。永遠に、だ。アーメン。

2018年11月25日 牧師 一口メモ

【嘘】と言う言葉がある。聖書の十戒には「偽証してはならない」がある。似たようなものであるが、当然人は【嘘】はついてはならないと大昔から教えられ、言われてきたことである。私の父の教育は二つだけで、「嘘はつくな」、「人に迷惑をかけるな」だった。特に嘘には厳しかった。嘘つきは信用されないし人に迷惑をかけることになる。
今年も嘘つき達が多く登場した。

日本大学のアメフトの監督とコーチが嘘をつき通して恥をかき、社会と学校と生徒たちから信用を失った。
安倍内閣の大臣達が嘘をつき通している。ひどいのは片山さつき地方創生大臣だ。政治収支決算報告書を三度ならず四度も訂正している。そして自身の顔入りの大きな看板を無許可(条例違反)で掲げていた。これらの釈明に国会で嘘をつき通している。大臣の前に、人間として資質の問題がある。だがもっとひどいのは選挙区の国民である。そのような人に投票したことを恥じていない。その前は稲田朋美元防衛大臣が自衛隊の南スーダンの日報の隠ぺいで嘘をつき通した。

女性の社会における活躍が期待されて久しい。女性の進出が国を変えるであろうと大いに期待したが、国のトップに立った方々がそのような嘘つきでは国が良くなるばかりか、よけいひどくなりつつある。また女性国会議員の不倫騒動はあまりにも目を覆いたくなる。沖縄出身の今井絵里子議員もその一人だ。

30、40年前の首相や大臣たちがこぞって嘘をつき、秘書のせいにした。宮沢喜一元首相に至っては奥さんのせいにした。安倍首相は、かつての盟友、森友学園の籠池夫婦から嘘つき呼ばわりされても釈明もなく今日に至っている。大臣や側近を嘘つきで固めている安倍さん。尻拭いを強いられている秘書や側近の方々は大変であろう。
実業界もひどすぎる。一流企業のトップ達が、データ改ざん発覚の際に平気で嘘をつくし、更にそれを部下のせいにする。

私は刑務所や警察の留置所、拘置所によく面会に行くが、彼らにかける言葉は「嘘つきを卒業しなさい」です。嘘と言い訳、そして他人のせいにすることが彼らのほとんどの態度です。このような態度から脱却しなければまた再犯に進むのです。聖書は強く命じます。「偽証するな」と。アーメン。
イエス・キリストの誕生をお祝いするクリスマスが近づいています。イエスは義を教えます。
「その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの町は、『主は私たちの正義』と名づけられる。」エレミヤ書33章16節

クリスチャンが増えない限りこの社会から【嘘】は尽きない。
伝道をして義の人々を増やそうではないか。アーメン。

2018年11月18日 牧師 一口メモ

映画「パウロ」を観た。
劇場はほぼ満席だった。
結論から言うと、最高の信仰迫害の映画であった。パウロの真骨頂を見事に表していたし、ルカの活躍も良かった。二人の信仰の友情が感動を与えてくれた。どちらが主役なのかわからないくらい、ルカが用いられていた。またアクラとプリスキラ夫婦の信仰も見応えがあった。
とにかく聖書通りに表現されていて、わかりやすかったので良かったと思う。内容には触れないが、ぜひ全員に見てほしいと願っている。

☆迫害に遭ったときの対処法が描かれており、私たちに教えてくれている。
1.迫害に遭うとき、武力に頼ってはならない
2.迫害には祈ることこそが最大の武器である。
3.迫害に遭うとき、神の家族が必要である。
4.迫害に遭うとき、信仰が揺るぐことがないように。
5.迫害に遭うとき、天国のことを覚える。

最後には迫害と困難に立ち向かったパウロがどのように信仰を維持したかを教えている。
聖書に登場する先輩方、偉人たちの中でも、パウロほど迫害と困難の道を歩んだ信仰者はいない。
「マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、様々な苦しみに遭って、外には戦い、内には恐れがありました。」(Ⅱコリント7章5節)

外(社会)にも問題があり、内(教会)にも大きな恐れがあったとパウロは述べている。パウロの信仰の人生がいかに問題だらけで迫害との戦いがあったかがよくわかる。
いつの日か私たちも大きな迫害に遭うかもしれない。その時がいつ来るかはわからない。しかし分からないからこそ、常日頃から備えるべきである。その備えの一つとしてこの映画「パウロ」を観ておくべきだと思う。いかなる時にも常に堂々としているパウロの姿勢に感動を覚える。信仰の情熱とイエスに対する恩義(罪が赦された)はパウロの信仰を天に向けさせる。使徒の働きや手紙書簡を読むと、パウロの魂への責任感がひしひしと伝わってくる。
「私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。」(ローマ1章14節)

救われて終わりではなく、これからが始まりなのだということがよくわかる。
クリスマスを控えたこの時期に、イエス様が地上に降りて来られた恵みを今一度実感したいものである。また伝道がしやすい時期でもある。まず、家族から始めてみようではないか。この時こそチャンスである。勇気を振り絞って行動してみよう。
アーメン。

2018年11月11日 牧師 一口メモ

一週間を振り返ってみる。
月曜日から土曜日まで丹念にスケジュール帳を開いた。
FMラジオへの出演が2回あった。伝道には特別の思いがあるので出来るだけ優先している。
リーダー勉強会、聖書を聞く会話す会、祈り会等々をこなしながら、何とか牧師の責任を果たしていると思ってはいる。スケジュールの管理が上手くなくて他の勉強会では知芽伝道師や荒木兄弟に助けを求めた。
この一週間、面談(相談含む)をした人はかなりの数に上る。教会及びNPO関係者は1日平均5件で延べ人数は約30人だった。こども食堂の件で荒木さんと外国人教会の牧師も訪ねた。
個人的には歯科に行き、整形外科に行き、足の裏の件で自家製(手作り)の靴屋さんに行った。そのうえ電話は鳴りっぱなし、掛けっぱなしである。
いやはや忙し過ぎてもよく頭が回っているなぁと思ったのはこの一週間を振り返ってみての感想である。

牧師業だけをやっていれば楽なのだろうけど、性格的になかなかそうは出来ない。なんとかしたいとは常に思っているのだが実行に移せない。今年は家族と休養を取ろうと色々な計画を立てていたのだが1つとして実現出来なかった。
ひと月程のアメリカ旅行、北海道旅行、紅葉を見に行くこと、どれか1つは出来るだろうと思っていたのだが・・・。本当に申し訳なく思っている。

ユナイテッド教会(400人メンバー)のカー牧師と久しぶりに会って話をした。
彼に引退後の夢の話を聞いた。彼は大学の講師をやるつもりだと言っていた。今51歳だから15年後には実現するだろうと言う。私は言った。
「牧師に引退はないよ。沖縄には80歳を超えた現役牧師が5人もいるよ。」
彼はまたしみじみと言った。
「牧会の労苦は65歳までで充分だ。信徒の皆さんに気を遣うのはもうたくさんだ。大学の教授ならその必要はない。生徒は授業料を払っているし、卒業するという目標があるから叱ってもついて来る。しかし教会のメンバーはそうではなく気ままに教会生活を送っているし、来たい時に来ればいいと思っている。だから大学の教授になって心を癒したい。」

私は心の中で「アーメン(然り、確かに)」と強く賛同した。
先週は私の80歳の夢をここで記したが、そのあとカー牧師から引退後の夢の話を聞くとは思っていなかった。牧師は苦労しているのだと思った。彼の夢が実現しますように。アーメン。

2018年11月4日 牧師 一口メモ

天の神様は、何故日本・沖縄にリバイバルを起こさないのだろうか。

日本人や沖縄のクリスチャン達は非常に悩み苦しんでいる。

私はクリスチャンになって28年になる。その時から牧師や伝道師や宣教師たちは沖縄からリバイバルは起こると叫んでいた。もうやがてそれは来ると祈り合っていた。その当時は多くの集会、聖会が持たれていた。海外や本土からも多くの有名な先生方が来た。そして口々にこの沖縄からリバイバルが起こると宣言して帰った。いや、もう起っていると語る先生たちもいた。あれから28年。今は牧師になって牧会活動している。そしてリバイバルのために祈っているのだが・・・。

隣国の韓国はリバイバルが起こって人口の28%のクリスチャンがいる。国に大きな影響を与えるまでになった。台湾も5~8%のクリスチャンがいて、ミニリバイバルが起こっているそうだ。また1000人規模の教会が30以上あるそうだ。中国に至ってはクリスチャンの数が約一億人にいるそうだ。

先月の世界のニュースにもなったが、中国では政府による教会の迫害がある。地下教会が弾圧を受けて牧師たちが逮捕される事態になっている。クリスチャンが増えて政府が危機感を抱いて弾圧に走った。1億2000万人くらい(ほぼ日本の人口である)のクリスチャン達が中国にはいるのである。うらやましい。

一方、日本はどうだろうか。クリスチャンの数は増えるどころか0.5%にも満たない。確かな情報ではないが一節にはクリスチャン人口が減りつつあって0.3%くらいだと言われている。1億2000万人×0.3%=36万人になる。日本の教会の数は約8000あると言う。36万人÷8千教会=45人。一つの教会員の平均数は約45人である。 沖縄はどうか。人口144万人×クリスチャン人口1%として1万4千人になる。約300の教会があるといわている。1万4400人÷300=48人。一つの教会員の数は48人となる。一教会員の数は日本本土とそう変わらないが、クリスチャン人口は本土の倍と言われている。だから1%で計算した。この数字は正確ではないがかなりの目当てにはなると思う。

隣国と比べてどう思うかである。天の父が意地悪なのか、クリスチャンの私達が悪いのか、リーダ-である牧師達が悪いのか。中国では毛沢東が政権を取った時、外国の牧師や伝道師を追い出し、中国人の牧師たちを皆逮捕してしまった。リ-ダ-達がいなくなったので信徒たちが一生懸命に祈り地下伝道した。そして1億人のクリスチャンを産んだそうだ。ヒントになりそうではないか。いよいよ牧師の引退が早まるか。(笑)

2018年10月28日 牧師 一口メモ

今年もあと2ヶ月です。時が経つのは早いものだ。いや早すぎる。なんとかしなきゃ-と思うのだが。時間をもっと大切にしないといけないとか聖書をもっと読むとか伝道にもっと励まなければ…等々。

いろいろなことを考えたのだが結論は出せなかったので、もうジタバタしても始まらないから考えるのをやめた。とにかく時間が経つのが早すぎるのを強烈に身体でも心でも感じている。これが神の経綸(けいりん)なのだろう。しかし恐ろしいくらいに心に焦りが湧いてくる。年をとるのが早すぎることに恐怖さえ覚える。このことは若い皆さんに感じることは無いかもしれない。これがすべての人の宿命の人生なのか。

なんやかんや言いながら人間の力ではどうしようもない事が幾つかある。時間は神様の摂理だからどうしようもない。年を取るのも時間の中での出来事であるからこれもどうしようもない。死ぬ時も神様の勝手だからこれもどうしようもない。だからジタバタするなと心に言い聞かせる。だからと言って夢や希望を失っているのでもない。これから先に大きな希望を持っているし、大きな夢も持っている。

「大きな」と言う言葉を使ったが規模が大きいということではない。確信と言う信仰のことである。80歳になったら引退をして、聞き屋的な気ままな喫茶店を持ちたいと思っている。その為にいろいろな構想を練っている。夢を実現させるために考えることはとても楽しい。まず、場所は何処にしようかと、あれこれ目をキョロキョロして神経を張っている。そして喫茶店の形や大きさの形態を考える。これは日々変わるが。いつも喫茶店やレストラン等々に行く時に目を凝らして見ている。そして無理しないでやれる方法もないかと考える。一つのアイディアが自動販売機を置くことである。コーヒーとサンドイッチ類の自動販売機である。そして出来るだけ24時間オープンにしたい。これの実現のために、真剣に考え続けている。11年後の夢だけど。夢見る爺さんのたわごととして聞いて欲しい。

ただ、クリスチャンは死ぬ時までイエス様に期待して希望を持つことが出来る。また、クリスチャンの人生には引退は無い。イエス様を人々に証しなければならない。その為に夢を抱いている。アーメン。

もう一つ、2人の80代のクリスチャンの方々が伝道の夢を持っていた。これがいよいよ実現する。近いうちに平和通りや国際通りに彼らがトラクトを手にして立つことであろう。サンドイッチマン(ちんどん屋)みたいにやるそうだ。昨日お2人とその実現のための話し合いをした。楽しかった。やはりクリスチャンは心の年は取らないものだ。ハレルヤ!

ヨエル2:28「老人は夢を見、青年は幻を見る」

2018年10月21日 牧師 一口メモ

皆さんのお祈りのおかげで息子が無事に関西学院大学に合格出来ました。心から感謝します。

先週、面接を終えてから合格発表まで、わずか一週間だがとても長く感じた。信じてはいたが、発表を見るまではなかなか落ち着けない。いよいよ発表の金曜日が来た。朝早くから家内に「パソコンを開いて確認してよ」と言ったが、9時にならないと見られないと言う。仕方ないのでイライラしながら待つことにした。ちょうど9時に息子と3人でパソコンを開いた。息子はびっくりするくらい妙に落ち着いている。そして淡々とパソコン開いて「あった!」と家内と番号を確認して叫んだ。何度も確認して3人で喜び合った。自然と涙が流れた。とても嬉しかった。息子を褒めて抱き合った。すぐに家内が神様に感謝をしようと言った。手を取り合って3人で感謝の祈りを捧げた。また涙が溢れてきた。心から天の父に感謝した。ハレルヤ!

昨年からの一年半余、息子の受験の為に我が家は緊張の中にあった。何が何でも息子のことが一番の生活であった。息子は小禄にある塾に通い続けた。英語塾も行き続けて検定も2級まで取得した。教会の奉仕もつつがなくやってくれた。家内は厳しすぎるほどに一生懸命に息子を支えていた。時には誰が受験するのか勘違いするほどに熱心だった。

聖書では子供の教育に失敗した信仰の偉人たちが登場する。その筆頭がサムエルであろう。(Ⅰ)サムエル8:3「この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。」

何故サムエルみたいな方が子どもの教育が出来なかったのか不思議である。サムエルは三大偉人でもあるのだが。(エゼキエル14:14)

イサクもエサウとヤコブの教育に失敗した。ダビデもしかり。聖書で見ると子供の教育がいかに難しいかが分かる。この子供達の性質がある面で親の暴力を産むことにもなると思う。しかし、何と言おうと子どもに対する責任はすべて親にある。子どもへの虐待がいつも大きな話題になるが、聖書で教育をすれば苦労することは無いと思う。箴言は子どもの教育に欠かせない箇所である。子どもがいる方は箴言を活用する(読む)ことを勧める。いやすべての人間にも必要であるのだが・・・。

箴言23:13~14「子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。」アーメン。

2018年9月23日 牧師 一口メモ

先週の3泊4日の韓国訪問の報告をする。

今回は5人での旅行となったが、おおむね目的は達成され大変良かったと思っている。
今回の旅行は、韓国のツイン教会(ヤン牧師)とゆいまーる教会(長尾牧師)の交流によって実現し、ツイン教会でのメッセージと刑務所伝道の奉仕が伴う旅行であった。
また、もう一つの大きな目的として、韓国料理を沖縄に取り入れるための調査もしたかったので、私と奈良蓮兄、ミスチーさんの3人は、2日間ソウルに滞在したのである。

滞在中、太田(デジュン・人口150万人)という大都市で、一つの教会を見学することが出来た。
ここは、大都市の一番の中心地に6000坪の土地を持っている大きな教会であった。
なんと、会員が約8000人所属しており、牧師が30人もおり、年間の総予算が13億円(ほとんどが献金!)。
沖縄で言うと、県庁前のパレット久茂地のような場所に教会があり、しかも規模はパレットの3倍に当たる敷地を所有しているという。
この敷地内には、小学校中学校があり、そのほかに体育館も2つあり、ここはコンサートホールとしても利用される事もあり、もちろん一般にも開放している。
また、素敵な喫茶店が2つあり、ここも一般に開放していた。
とにかく羨ましい限りであった。
一等地に大きな教会が建っていて、十字架が天に向かって大きくそびえ立っている。
この状況を羨ましいと思うのと同時に、腹がたった。
「神様、どうして沖縄・日本にも、韓国みたいなリバイバルを起さないのか」と、神様に文句を言うしかなかった…。

もう一つ、とても大事なことを報告する。
ヤン牧師の教会の会員で、看護士会の会長をしている方と食事をする機会があった。
チャンスとばかりに「太田(デジュン)には精神病院はいくつありますか」と質問した。
なんと、その答えは「2つの病院で患者数は約500人です」。
とても驚いた。
太田(テジュン)は、沖縄の人口(約144万人)とおなじ位の規模であるが、それだけの人口を擁しながらたった2つの精神病院しかないとは…。
改めて、クリスチャン人口約1800万人といわれている韓国・クリスチャン国の凄さを見せられた。
つまり、この国は霊が守られていて、きれいなのである。
それに比べて、沖縄はと言うと…。
患者を200人以上収容できる大きな病院が約30以上あり、入院している患者の数は約1万人程度といわれている。
この落差に唖然とした。
これが、仏壇や拝所の偶像ばかり拝んでいる国と、イエス・キリストを神としている国との大きな違いである。

韓国は空気も霊的にも澄んでいて、そこに住んでみたいと思ったほどである。
しかし、同時に「私達教職者には、大きな責任がある」とも思った。
もっと霊的な働きを推し進めることが大事なことであると、改めて感じた。
アーメン。  ~この続きは、また来週へ ~

2018年9月16日 牧師 一口メモ

先週の中城村議会議員選挙で、新垣博正執事が見事に4期目の当選を果たした。
皆さんの応援に心から感謝する。
特に、ウグイス嬢として連日連夜ご協力して下さった女性群に、心から敬意を表する。

沖縄では、知事選が告示された。
保守系から佐喜眞淳氏が、革新系から玉城デニー氏が立候補している。
佐喜眞氏は基地賛成派であり、政府に直結の方である。
つまり、政府の言うことにすべて従う方である。
当然予算は多く貰えるであろうが、お金をもらうと政府から都合のいいように扱われることになる。
おそらくだが、政府は目的が達成されると、徐々にお金も締め付けてくるだろう。
今までの政府のやり方として考えると、新辺野古基地に対しても、(おそらく)30%程度工事が進むと「もうお金をあげなくてもいい」と都合よく判断されてしまい、予算は当然厳しくなってくるのではないか…。

本来、政治家は短期・中期・長期に渡って政策を考えるべきであろうが、残念ながら、目先のことだけにとらわれているのが、現在の沖縄における保守系の政治家達である。
また、国の予算をあてにする政治は誰にも出来る。
そうではなく、いかに自己財源の捻出に力と知恵を絞り、無駄なものを取り除く勇気を持てるのか。
そして、弱い者に対してどのような支援をすべきかを考えるのが、良き政治家であろう。
昔の日本には、そのようなモデルになる政治家がいたのだが…(上杉鷹山 等々)

対して、玉城デニー氏の場合はどうか。
彼とは、長い付き合いがあるので、かなり詳しく述べることが出来るのだが、人柄はとても信用できる。
また、筋を通す人である。
なぜなら、超悪党と言われてきた自由党の党首:小沢一郎にずっとついてきたからである。
小沢氏には色々な問題があり、多くの側近が逃げていく中、彼は最後まで残り続けている唯一の人なのである。
私は、ある政治パーティーでその事をデニー氏に直接問うたことがある。
彼は「政治家になってから、いろいろな面で小沢一郎に教えられてきた。だから、自分の都合で離れるわけにはいかないのだ」と答えてくれた。
その時に私は、彼は損得で判断する政治家ではないと確信をした。
私は政治に興味があるから、日本の政治は良く知っているつもりだ。
デニー氏のような、義理堅い政治家は今の日本・沖縄には少ない。
だからこそ、今まで彼を応援してきたのである。
彼は、期待できる政治家であり、県民に尽くす人になるであろう。
チームをまとめるリーダーの人間性は、もの凄く大事である。

では、この事をイエス・キリストの立場から見たらどうなるであろう。
私たちクリスチャンにとって最も大切なことは、「イエス様ならどうしたか」と考える事である。
誰に投票すべきか 、又、何を持って判断する事になるのか…。

人間が絶対にしてはならないのは「戦争」である。
戦争はすべてを破壊する。
人間の命も、動物の命も、自然も完璧に破壊し尽くす。
だから、「基地に反対する人が良い」と、私は断言する。

投票先を決めるには、これだけで充分であろう。
「平和を作る者は幸いである。
その人は神の子供と呼ばれるから」
(マタイ5:9)

アーメン。

2018年9月9日 牧師 一口メモ

恐ろしいまでの自然災害がこの日本に起こっている。
台風が発生するメカニズムが完全に狂って、日本近海で起こるようになった。
以前は、はるか南のフィリピンの近海で発生し、ゆっくりと沖縄や台湾に近づいて北上していた。
しかし、今は日本近海で起こり、ほとんどが日本本土への直撃になった。
先週は台風が大阪に上陸して甚大な被害をもたらし、関西空港が閉鎖に追い込まれた。
空港で働く方々や乗客合わせて1万人が足止めを食らった。
またここに来て、大阪の震度6以上の地震が6月に発生したばかりなのに、北海道で9月7日に震度7以上の大地震が起こった。
これらのことから、政府がいかに無能なのかが分かった。
今さらでもないが、やっぱり自然の災害よりもこの国は指導者達による人災が一番大きいと確信できた。理由は「想定内」を考えていないことだ。
人間が造ったものは何でも必ず故障し壊れると言うことは想定するべきである。
20年前に発生した神戸淡路地震から、残念ながら何も学んでいない。
6000人が死亡した大震災だったにも係わらず、教訓を生かしていない。
それから、2011年に東日本大震災が起こった。
未曾有の大震災で、想定外の被害をもたらした。
福島原発の放射能漏れである。
これらの大災害を経験し、指導者達や国民は何を学んだのだろうか。
一極集中していると、災害時の対応が遅れるなどダメージが大きく、いかにもろいのかという事は、ゲリラ豪雨や台風で何度も体験しているはずだが、残念ながら改善されていない。
今回の北海道の地震でも、停電が北海道全域に広がり、なかなか停電が解消されなかった。
それは、震度7以上といわれている厚真地区に、北海道の電力供給の約半分を賄う発電所があり、そこが故障したからだ。
それが影響し、北海道全域に長期の停電を引き起こしてしまい、道民の生活に甚大な影響を与えてしまった。
おそらく、発電所を分散していればそのようなことは起きなかっただろう…。

何はともあれ、自然の災害の規模がどんどん大きくなってきている。
いつか沖縄にも来るかもしれない。
政府や行政は頼れないから、自分で備えることが大事であろう。
聖書から今の現状を見ると、幾つかのことが分かってくる。
一つは完全に神様の裁きに入っていることである。
しかし、これでもクリスチャンが目を覚まさなければ、もっと大きな裁きが来ることが分かる。
だからこそ、私達は何をすべきかを祈って考えるべきであろう。
ヤコブの手紙5章9節には、こう書かれている。
「兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。」
隣人の為に祈る者になりたいものだ。
アーメン。

2018年9月2日 牧師 一口メモ

9月は選挙の月である。

日本では、総理大臣の椅子を争うであろう、自民党の総裁選挙がある。
また、沖縄では知事選があり、那覇市、宜野湾市、豊見城市等々の市長選に加え、地方の議員選もある。
我が沖縄ベタニヤチャーチからも、新垣博正執事が中城村の議員選挙に4期目の挑戦をしており、教会の女性群が一週間に渡って、選挙カーのウグイス嬢として運動することになっている。
是非、教会をあげて応援し、4回目の当選を果たしたいものだ。

皆さんには知り合いを捜して選挙の協力を願いたい。
しっかり考えれば必ず誰かがいると思う。
また、祈りもとても大事である。
是非とも、新垣執事をイエス・キリストの証人として、中城村議会に送ろうではないか。
アーメン。

「人の命は地球よりも重い」と言う言葉がある。
おそらく、金に変えられないほどの価値があるという事で、地球を持ち出したと思うのだが、この「重い」はお金に換算するとどの位になるのか…。

聖書には信じがたいお金の話が出てくる。
マタイの福音書では、6000デナリ(約六千億円相当)を赦された人が登場する。
このお金の単位は、大きすぎていまいちピンとこない。
※参考までに、本年度の沖縄県の総務省からの予算は三千百億円である

ベタニヤという村に、イエス様を慕っていた一人の女性がいた。
彼女は売春をして家計を助けていた。
そんな彼女は、多くの人々の前でコツコツと貯めて買ったナルドの香油(香水)を、惜しみなく一滴も残さずイエス様の頭からかけた。
それは、彼女の全財産であった。
全財産をかけるほどの価値をイエス様に見出したのだ。

それと対照的なのが、12弟子の一人 ユダと言う男である。
イエス様から信頼されて会計を任されていたが、彼はイエス様に絶望して銀貨30枚(約120万円)で売ることにした。
彼がイエス様を計った価値は、たった銀貨30枚だったのである。
彼は、祭司長たちのところに行き、「イエスをあなた方に売るとしたら幾らくれるか」と聞いた問いかけに対し、彼らは「銀貨30枚」と答えた。
祭司長たちも、イエス様を銀貨30枚の価値としか見てなかったのである。

あなたは、イエス様に幾らの価値をつけているのかを考えて見る必要がある。
また、天の父は私達に幾らの価値をつけたのか。
おそらくは、地球にある物では価値を見つけることが出来なかったと思う。
だから、ひとり子のイエス様の命を代わりとしたのである。
ハレルヤ!

あなたに、天の父は大きな計画を持っている。
「すべてを捨てて従いまつらん」という、素晴らしい聖歌がある。
天にある全てを捨てて、私達の為に十字架にかかってくださったイエス様を、もう少し真剣に考えてみたいものだ。
アーメン。

2018年8月26日 牧師 一口メモ

自分で言うのもなんだが、牧師一口メモのファンは多いと聞いている。
また、直接私に「大変恵まれています」と話してくださる人もいる。
嬉しい限りである。
また、ある時には素直に意見を言ってくださる方もいる。
厳しい意見の時もあるが、たいていは一口メモに賛同してくれる。
ハレルヤ!

教会の週報は様々なスタイルがある。
どちらがいい・悪いとかの問題ではなく、教会ごとのカラーがあって興味深いという事である。
先月、久しぶりに母教会のベタニヤチャーチを訪問した。
その際に週報を手にしてみたが、昔から変わらないスタイルだったので、ちょっと意外でもあった。
このスタイルは、牧師があまり関係しないから悩む必要がない。
しかし、私が書いている一口メモのスタイルはかなり悩むことになる。
正直、一口メモの題材を捜すのが大変なのだが、信徒の皆さんの信仰の成長を願って、毎週必死に一口メモの題材を探している。
この内容は、信仰に繫がらなければ役に立たないし、御言葉が伴っていなければそれこそ意味がない…。
なので、苦労をしながら題材を集め、文章を作成している。

今回は、沖縄の政治について話をしたい。
昔から、政治に興味を失っている人や、最初から興味がなかった人もいるのであろう。
特に、若者と女性が政治に弱い傾向が見受けられるのだが、地方の首長選挙の投票率が40%を切り、平均は37~38%といわれている。
これは非常に危険なことであるが、この事に気が付かない人が多い。

歴史を紐解くと、昔から悪い政治家が登場すると、国民は苦労することになっている。
聖書の歴史を見てもわかるように、良い王が登場すると国が良くなり、国民も安心して暮らしてきた。
しかし、悪い王が登場すると、国は疲弊し、国民は高い税金を負わされ、戦に夫や子供を駆り出され、そこで多くの命が失われ、人生の最大の悲劇を体験することになる。
聖書には多くの王が登場しているが、イエス様がほめた王様はホンの数人しかいない。
ほとんどの王は悪い事ばかり行って、神様の怒りを引き起こしてきた。
その度に、国民は辛い思いをしてきている。

今の日本・沖縄は、政治に興味がない人達が大幅に増えてきた。
この事は、今の政権を執る者達にとって、大変都合がいい状況といえるであろう。
なぜなら、悪いことや嘘をついても、多くの国民には「関係のない事」としてかたずけられるからだ。
しかし、いくら様々な形で語っても、聞いた人々の考えにインパクトを与えるのは難しい。
マラキ書は、幸いと呪いを明確に示している。

今度、沖縄では知事選挙が行われる。
私達は聖書に基づいた正しい判断力を持って、しっかりと良い政治家を選ぶようにしたいものだ。
なぜならば、クリスチャンは平和を作る国民だからである。
アーメン。

2018年8月19日 牧師 一口メモ

聖書のなかでは、賜物(たまもの)について大きく取り扱っている個所がある。
この「賜物」という言葉は、クリスチャンになって初めて知った言葉で、クリスチャンがよく使う表現・用語と言っても差しつかえないと思うが、賜物には様々なものがある。
本来、イエス様は信じる者みんなに賜物を与えておられるのだが、「この賜物はあなたには与えられているが私には与えられていません」という言い訳にも使われる事があるので、気をつけなければならない。

先週は、ある姉妹の問題の解決の為に東京に行った。
一人の姉妹の為に奉仕を振り切って行くのはどうかと思う・・・との意見も当然あるだろう。
しかし、苦しむ羊の為に良き牧者は行かねばならないと、私は考えている。 

また、こういう場合、「イエス様だったらどうしただろうか?」という事を基準として考える。 苦しんでいる羊のもとに行かず、奉仕を優先しただろうか…。
それとも…。

答えは見つからないが、実はこのようなことは初めてではなく、これまでも常に起こってきたことである。
ある時は、家族の要望によって、福島の会津若松まで三度ほど問題児を迎えに行った。
ある時はとても寒い2月、体験したことがない寒さに震えながら連れ帰って来た。
別件で、島根刑務所に迎えに行ったこともある。
この時もみぞれ交じりの雨が降って、とても寒い時だった。
又、ある兄弟は、自立すると東京に帰ったのだが、仕事をクビになり、アパートの家賃が払えなくなって追い出されたので、
家賃の滞納分と清掃費用を持って迎えに行った。
もちろん彼の飛行機のチケットも持って…。

ある時は、他の教会の女性から息子の助けを頼まれた。
彼女にはヤクザになった息子がおり、ヘタをうってしまい組に迷惑をかけたので、大阪に逃げたそうだ。
しかし、逃亡資金が底をつき、ホームレスになっているので助けに行ってほしいとの事だった。

今までに、このような出張レスキュ-を数多くこなしてきた。
いや、これは過去の事ではなく、現在進行形として今も続いている。
多くの場合、本人も家族も資金が乏しいので、ほとんどが自費で行くことになり、「自費のレスキュ-は当たり前」という状況であった。
しかし、イエス様はこのようなことに使う資金も常に満たしてくれた。
ハレルヤ!

一人一人を大事に出来なくては、働きも賜物も意味がないと思う。
そのような素敵な働きの賜物が、私に与えられているので喜びに絶えない。

私の牧会の信条の基本は聖書にある。
それはクリスチャンとして当然であるが、常に具体的にこのことを言葉に出してきた。
つまり「貧しい人、苦しんでいる人、悩んでる人、虐げられている人の為に働きます」と。
しかし、そのことは私を長い間苦しめてもきた。
何よりも恐れたのが、この働きに自分は向いていないのではないかと言う囁きだった。

だが、主イエスに不可能なことはひとつも無い。
だから今がある。
アーメン。

2018年8月12日 牧師 一口メモ

翁長知事が膵臓がんで逝去した。
非常に残念である。
沖縄の長い歴史のなかで、県民の立場で政府と対峙した政治家であった。
今までの沖縄県の政治家批評では、このように政府と対峙した政治家は瀬長亀次郎と二人だけであるといわれている。
瀬長亀次郎は、アメリカ軍との土地の強制収容の戦いに命を懸けて、ブルドーザーの前に立ちはだかった。
県民の土地を守る為に東奔西走し、那覇市長時代にはアメリカ軍政府とアメリカに頭を下げる県民の政治家達と対等に戦って、県民の意識を改革した。
一方、翁長知事も保守の政治家でありながら、県民の命と財産を守る為に日本政府と戦った。
特に、辺野古の新基地反対においては、壮絶な戦いとなった。
巡り巡って左派勢力と言われる社民党、社大党、共産党の政治勢力との協力関係に入り、さながら左派の政治家か?!と思うほどに、多くの方々から支持を得た。

その翁長氏と、8年前に遺骨収集で面会をした事がある。
時間にして30分くらいだったが、当時、選挙に落選した国場幸之助さん(現衆議員)を通して面会の段取りができたので、彼にも同行してもらった。
その時、国場幸之助さんに対し、翁長市長(当時)
は「何で君がいるの?」「落選したらただの人だよ」と言い放ったのだ。
その言葉を聞き、小さくなっている国場さんへ「次回は頑張れよ」と言葉をかけている姿を思い出した。
市長の貫録と凄みをみた瞬間だった。

巨大な怪物の現政府(安倍政権)と戦い続けてきた3年半もの間、私達県民に大きな勇気を与えた立派な政治家であった。
イデオロギー思想よりも、県民を守ることを優先した政治信条は、最後まで揺るぐことは無かった。
願わくば、翁長知事の死を通して、政府にしか顔を向けない県民の政治家達の目が覚めることを願う。

神の経綸は非常に早くなっているように思う。
やがて日本にリバイバルが起こるのであろうが、私達クリスチャンも、翁長知事に倣って信仰が揺るぐことなく神様に喜ばれる働きをしたいものである。
聖書にも書かれているように、いつの日か大迫害と大災害が見舞うことになるだろう。
その時に、私達の信仰は成長して大きな働きをしていると信じたい。
そして、どんなことがあっても一歩たりとも退くことなく、揺るがない信仰を持っていたい。
とにかく、天の父に願うことは、この沖縄にリバイバルを起こして、基地の島から福音の島に変わるように…
と、毎日必死に祈っている。
ベタニヤチャーチは、二度とこの島で戦争の悲劇が起こらないよう、祈りと伝道に励むことを信条にしている。

絶対にリバイバルは起こる。
その為にも、皆で備えをしたいものだ。
アーメン。

2018年8月5日 牧師 一口メモ

日本の国の中で、キリストの教会はとても正常である。
教会は女性が中心であり、非常に珍しい組織形態であるといってもいいだろう。
女性無くして教会は成り立たない。
これは、とても聖書的でもある。

日本の社会は世界でも珍しいくらい男尊女卑である。
40~50年前から経済は一流、政治は三流と言われてきたが、残念ながら今日の社会を見ればまさにその通りである。
現代もそれは変わっていない。
先日、東京歯科医大学が長年に渡って女性受験者の点数を減点していた事が発覚した。よくもバカな教授達がそろっていたものだ。
この事について、誰も何も意見をしていないのがこの組織の恐ろしさを物語っている。
言葉は荒いが、今の日本のすべての組織の指導者達はバカぞろいと言っても良いだろう。
政治家達が嘘つきの集団であり、官僚達は権力者におもねる集団になり、裁判所の裁判官たちは善悪の判断を失って人の命を屁とも思ってない。
検察と警察は正義を捨てて、メンツを重んじる最低の集団になり下がった。
経営者達はひたすら儲けることばかりを考え、人の命なんかくそくらえの集団になっている。
スポーツ団体のリーダー達は、ゴッドファザー気取りの集団である。
もうこの国は、世界の笑いものに成り下がってしまった。

今回の女性受験者の点数減点事件は、もしかすると他の大学でもおこなわれているかもしれない。
この事を、女性たちは大いに怒ってほしいと願う。
何しろ、半数以上の国民が完全な盲目なので、今の政権と自民党を支持しているのである。
これは自浄能力が完全に喪失している証拠ともいえるであろう。
だから、生きている神が日本を裁かれる時が来るのは目に見えている。

しかし、このような乱れた世の中であっても、私達キリストの教会はまだしっかりと律法を守り、罪と必死に戦っている。
また、自浄能力もしっかり持っているので、聖書に出てくるコリントの教会(第Ⅰコリント5:5)とは少し違う(と思っている)。
聖書の「使徒の働き」という個所では、プリスキラとアクラという夫婦が登場する。
この二人は仲のいい夫婦であり、霊的な働きが出来た夫婦であった。
どちらかと言うとプリスキラ(奥さん)の方が主導権を握っている。(使徒18:2)。
また、タビタという女性も聖書にはでてくる。(使徒9:36)
彼女は「やもめ」であったが、女性達のリ-ダ-として、多くの女性達に服や下着やバッグを縫ってプレゼントしていた。
こういった働きは、教会の貴重な宝であった。

このように、聖書はすばらしい女性達の働きを描いている。
キリストの教会が何千年も生き続けているのは、女性達のたゆまぬ働きと祈りのおかげである。
今の日本の社会はキリストの教会に学ぶべきであろう。
教会の男性諸君よ、女性達に尊敬と感謝を忘れぬように。
アーメン。

2018年7月29日 牧師 一口メモ

この日本は、何時からおかしくなったのだろうか。

未曾有の災害は起り続けている。
また、人災も起り続けている。
しかも悲惨な事件である。
何もかも狂って来た。
何にもまして、倫理観が完全に狂っているとしか思えない…。

しかも、もっとも怖いのが、何をも恐れぬ国の指導者達である。
恐れぬ心は何を仕出かすか分からない。
彼らは、善悪の判断が欠如して完全に狂っている。
首相はカジノ法案の設立でギャンブル中毒の人を増やそうとするし、働き改革においては働く人を自由に扱えるようにして経営者を喜ばせる提唱をしている。
また、文科省のトップ達は、長年に渡って賄賂で行政を利用し、自分を喜ばしてきた。
裏口入学の賄賂をしていた官僚がいるという事だけでもあきれるが、東京歯科大学の学長がいとも簡単にその話に乗るのだから、恐ろしい。

私は、裏口入学をしたことになってしまった息子の事が心配だ。
おそらく、彼は父が権力と賄賂で「裏口」から入学させたとは、つゆほども思っていなかったであろう。
実力で合格したと思って、学園生活を謳歌していたはずだ…。

おそろしい事件は相次ぐ。
銀行員が妻を殺して実家の庭に埋めた。
しかも、母親が妻の遺体を埋めるのに協力している。
何をかいわんやである。
また、夫を殺してコンクリート詰めにして押し入れに隠していた事件や、両親が5歳の長女に虐待を繰りかえして殺した事件も記憶に新しい。

災害も続く。
今回の西日本一帯を襲った水害は、200人超の命を奪った。
人間の力と知恵をもってしても、防ぐことは出来なかった。
あれもこれも、すべて人間の欲望によって起こったことである。

ただひたすら、経済の発展だけに目を向けていく人間の心に歯止めはかからない。
その根底には競争原理が働いている。
一億総競争社会で勝ち組に入ることだけが人生の目標になった。
その為にはとにかく有名になり、財産を築き、指導者の一員になることだと思っている。

しかし聖書は言う。
テモテ(Ⅰ)6:10金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。
本当の成功者は誰か、本当の幸いな人は誰か、キリストに来る人ではないか。
罪赦されて自由になり、主と共に歩む人ではないか。
そして永遠のいのちを得た人ではないか。
隣人に目を向けて、貧しい人に手を開く人ではないか。
そのようなきっかけを与えられた人は幸いなり。
アーメン。

2018年7月11日 牧師 一口メモ

46年前のある日、父の具合がおかしくなったので、直ぐに病院に連れて行った。
医者は父を診察した後に、淡々と「がんです。余命は約3か月です。」と私たちに向かって言い放った。

それから父は入院し、8時間に及ぶ大手術をしたのだが、幸いなことにその手術は成功した。
手術後、しばらくして入院中の父のところに母が来た。
そこで、私の人生最大と言っても良い位、衝撃的な出来事が起こったのだ。
私は父の側にいて看病していたのだが、母が病室に入るや否や、父は母に向かって「直ぐに病室から出て行け、おまえに看病されたくない」と怒鳴り、母を拒否したのである。
戸惑う母と私。
しかし、父は頑強に母を拒否した。

  しかし、何故だ…
  何故、父は母を拒否するのだ。
  長年、辛苦をなめ合って連れ添った仲ではないか。
  これは、長時間に及ぶ手術による後遺症なのか…

私は非常に大きなショックを受けた。
結局、原因は分からず、もやもやした思いのなかで、2年後に父は死んでしまった。
それから、私が一人暮らしの母を訪ねるたびに、がっかりしてけげんそうな様子で病室を後にした母の顔を思い出していた。
とうとう、母の悲しみを知る由もなく、また聞けないまま、4年前に母も天国に行ってしまった。

父に拒否されてから40年間、母は父のことをどのように思っていたのだろうか…。
毎年のお盆の時期に、父の位牌にどんな気持ちで手を合わせていたのだろうか…。
夫婦って何なのか…。
人間の幸せって何なのか…。

一人一人大きく違うとは思うが、結婚ははたして人を幸せにすることが出来るのだろうか…
家庭を持つと幸せになれるのだろうか…
そして、「幸せ」とはどんなものなのだろうか…。

聖書に登場する夫婦は幸せだったのだろうか。
 アブラハムとサラは?
 イサクとリベカは?
 ヤコブとラケルは?
 そして、マリヤとヨセフは?

現代でも、夫婦は喧嘩を繰り返しながら共に生きて行く。
人間の心は本当にまか不思議である。

聖書はおかしなことを言う。
  ①創世記6:6では、神様が人を創ったことを後悔する。
  ②エレミヤ書17:9では、「人の心は何よりも陰険で、それは直らない」。
  ③へブル3:8「いつまで、お前たちはこころをかたくなにするのか」

これらの箇所を読むと、まさに人間の心・感情を神様でさえ持て余しているのが分かる。
しかし、聖書を読み始めてからそのような神様の心と気持ちがよく分かるようになった。
なぜなら、自分自身の心の底を見れるようになったからである。

人の心は最近の天気のようにいつでも変わる。
いや!すぐにも変わる。それも、激しく、ころころと。
 …それが、私であることを知っているから。