ブログ

沖縄ベタニヤチャーチの山内牧師のブログです。毎週更新しています。

2020年02月02日 牧師 一口メモ

コロナウイルスが世界に拡大中だ。私達も気をつけたい。予防は大事だが具 体的にどのように予防しようか。まず、教会の入り口に消毒液を置いた。そし て外出の際にはマスクを勧めたい。出来るだけ良いマスクが良い。マスクはあ まり効目がないと言う専門家もいるが、どうだろうか。私自身、科学者、専門 家、有識者というのは信用しないことにしている。彼らのほとんどが、社会に 自分の説を認めさせて「有名になりたがり屋達」だからだ。専門家というのは一 番信用できない。一つの例を示そう。50年前に「中東の石油は30年後には枯渇 する」と言っていた人達がいた。地質学者の専門家達だ。しかし現在も枯渇ど ころか埋蔵量がいくらあるかも分からないくらいある。こういう類は世界中に 転がっている。何か事故事件が起こったらTVには必ず専門家達が登場するが、 何をもって「専門家」と言うのかがよく分からない。カルロス・ゴーンの時に もコメンテーター達を含めて皆が専門家になったようだった。法律、警備の果 ては楽器の専門家さえ登場した。楽器ケースに隠れて脱出したからだ。しかし なぜ彼が命がけで脱出したのか、その理由をちゃんと述べることのできる方は 一人もいなかった。浅はかな専門家達だった。
聖書にも専門家達が登場する。その筆頭がガマリエルである。しかし彼が本 当に聖書の専門家だっただろうか。救い主イエスがこの世に来たが、彼をメシ アとして見分けることが出来ただろうか。答えはノーだろう。律法学者、祭司 長、パリサイ人達はどうだろうか。イエスはきつい言葉を彼らに放つのだ。「 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々から天の御国を さえぎっているのです。自分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせませ ん。(マタイ23:13)」サンヘドリン(国会議員)の偉い方々はどうだったか。 ある夜、ニコデモ議員が密かにイエスを訪ね問答を交わした。「しかしイエス は彼に言われた。『あなたはイスラエルの教師なのに、これくらいも解らない のですか』(ヨハネ3:10)」
現代でも多くの聖書学者や、専門家、教師達はいるのだが…。イエスによる 癒し、悪霊追い出し、死人の甦り等々は今でも教会で起こっている。あなたは 聖書の全てを信じているか。聖書は神の霊感で書かれていることを信じている か。聖書は霊の命の糧であることを信じているか。聖書の言葉は生きていて力 があると信じているか。聖書はあなたの人生の導き手だと信じているか。なら ば、あなたは本物の聖書の専門家であろう。良き指導者になってほしいものだ 。
アーメン。

2020年01月19日 牧師 一口メモ

クリスチャンとしての人生を謳歌している方々はどれ位いるだろうか。聖書には『幸せ・幸い』と言う言葉が多く登場する。天の父なる神様は、私達が人生を豊かに過ごすことを切に望んでおられる。聖書を読めば天の父の気持ちは察するに余りあるはずだ。放蕩息子の物語(ルカ15:11~24)はその代表ではなかろうか。都会に旅立った息子のことを心配し続けている父の姿を描写している。親というものは、いつの時代も子供のことを心配し続けるのだ。私は19歳の時に東京に行った。両親は仕方なく了解した。東京では仕事をするわけでもなく、友人のアパートに転がり込んでその日暮らしをしていた。持ち金もなくなって日給のアルバイトをした。しかし、きつくて2~3日働いてはやめることの繰り返しであった。ついに母に電報を打った。『帰るから金送れ』と。母は直ぐに書留で送った。しかし私の手元に届かない。なぜなら大家さんが、そのような人いないと送り返していたからだ。それもそのはず、私は大家さんに内緒で、勝手に友人のアパートに居候していたのだから。両親は大変心配して右往左往したそうだ。やっとお金が届いたが、大家さんにばれて追い出されてしまった。両親は大変心配して夜も眠れない日が続いたそうだ。何しろ当時はまだ祖国復帰の前だったから。
天の父はいつも天から地を見下ろしてご覧になっている。(詩篇33:13)
子供達(クリスチャン達)が心配なのだ。この日本、沖縄の社会はとても住みづらくなっている。特に子供達や孫達のことが心配だ。イジメが無くならない。逆に増える一方だ。しかも自殺にまでも追い込む陰湿なイジメだ。そして学校(教員達)も輪を書くように隠ぺい体質のままで一向に改善されない。原因の究明に立ち上がろうとしない。本当に命が軽い日本の社会になっている。又、様々な犯罪が誕生している。特に老人が『いいカモ』になっている。オレオレ詐欺どころではなく、政府自体が年寄りイジメを続けているのだ。段々と年金の支給が遅れてきて、75歳からの支給を始めようとしているらしい。若くても辛い世の中、年を取っても辛い世の中。天の父が心配するのもよく分かる。
しかし、愛なる天の父なる神様は私達に呼びかける。「私を見上げよ」「私を頼れ」「私を呼べ」「私に近づけ」と。その時に私はちゃんと「アーメン!」と応える。
マタイ 28:20『また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』
聖書の御言葉通りに、イエス様がいつも共におられるから「ハレルヤ!ハレルヤ!」とクリスチャン人生を楽しもうではないか。

2020年01月12日 牧師 一口メモ

年末に世界的なニュースが飛び回った。日産自動車元会長のカルロス・ゴーン氏が日本を無断で不正脱出したのだ。半年近く拘留されて、保釈金15億円を積んで釈放された。しかし奥さんとは会えず、友人達ともそう簡単には会えなかった。様々な縛りがある釈放だった。人権なんか何もない生活を強いられていたそうだ。恐らくは不公平な日本の司法制度を、嫌というほど体験したのだと思う。だから日本ではまともな裁判は受けられないと強烈に感じて、脱出を図ったのだ。私は正しい判断だったと思う。なぜなら彼はインタビューに次のように答えている。「釈放後、『妻と何とか会えるようにしてほしい!』と何度も裁判所に陳情した。そして裁判官と面談が出来た。その時に、『何で奥さんに会いたいのか?』と聞かれた。とても信じ難い質問だった。自分の妻に会うにも日本では理由がいるのか?だから命がけで脱出を決意したのだ」と。又、日本のTVコメンテーター達も、裁判官と同じ様なことを言っている。「奥さんに会うのがそんなに大事なことか?」と。気違いだらけなTV出演者達には開いた口がふさがらない。奥さんを大事に思わない君達の方がよっぽどおかしい人間だ。その日は腹が立って「日本のマスコミは滅びろ!」と思わず叫んでしまった。母の日に『母に優しい国』のランキングが発表されたが、日本は32位だった。まさに後進国のたぐいだ。産んで育ててくれた母親を大事に出来ない国民。自分の奥さんにも同じような感覚ではないか。女性蔑視は至る所で起こっている。一昨年は大相撲で『女性は土俵に上がれない』という騒動が起こった。まともな国ではない。『誰がこんな国にした!!』女性達は今こそ怒るべきではないか。聖書は私達に教えている。「創世記2:24 それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」結婚したら夫婦は一心同体だと言うのだ。動物並みの日本人には、聖書を読んでまともな人間になって欲しい。妻は自分と同じくらい大事な方であると知って感謝しよう。「エペソ5:28 そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。」イスラム教・仏教・ヒンズー教は女性を物として扱っている面が所々出てくる。日本も仏教の教えが基礎だから、そのような感覚が今も社会にはびこっている。だからこそ、キリストの教えを、社会に学校に家庭に取り入れるべきだ。今年はクリスチャンが増えて少しはまともな国に変わって欲しいと思う。だから私達は、今年も伝道や証に大胆に挑戦したいものだ。アーメン。

2019年12月29日 牧師 一口メモ

今年最後の一口メモとなった。色々な世相と聖書を照らし合わせて記してきた。今年は天皇の引退によって元号が新しくなり「令和」となった。マスコミが騒いで多くの国民は目をくらまされた。良くても悪くてもマスコミは商売主義だとはっきりわかった。いや、悪の根源だと確信した。金儲けの為には正義なんか吹っ飛んでいく。又、商売主義はうまく権力者に利用される。そしていつも踊らされるのは国民である。しかし残念だが多くの国民はそれに気づいていない。いつの時代も社会に必要な物は「正義」である。つまり「神の義」なのだ。キリストの社会もその「義」を失っていた時期があった。パリサイ人や祭司長達が権力を握っていた時代だ。彼らは神の義よりも先祖からの言い伝えや自分たちの聖書理解を優先させた。そして権力を最大限に行使してユダヤの国民を支配した。そのような時に希望の星イエス様が天から来られた。その時期はまさにローマに支配され、搾取され、それに同調するユダヤの指導者達はやりたい放題だった。そして国は疲弊していた。そのような中で、国民の一部はメシヤを待ち望んでいた。メシヤに希望を託していた。
今の日本、沖縄を見事に表している。この国は年々貧富の格差が広がっている。権力者たちは嘘と欲にまみれて「正義」を捨てている。三権分立(司法・立法・行政)も完全に死んでいる。又、国民も目を閉ざされている。「令和」を発表する時にそう強く感じた。国民はこの令和に大きな期待を持った。しかし現実はどうだ。自然災害は列島を何度も襲い、甚大な被害をもたらした。子供への虐待やいじめは増え続け、死までも招いている。あおり運転は日常的に起こり、年配者による逆走、暴走は後を絶たない。老人施設での虐待も年々増え続けている。特養(特別養護老人施設)の待機者は32万人余に上った。そして少子化はついに悲劇的な数字(80万人台)になった。子供の誕生が年々少なくなっている。いつか、いや近いうち本当に「うばすて山」が来るだろう。
沖縄はどうか。辺野古への基地建設予算が約一兆円近くになったそうだ。当初の3倍に増えた。一番の無駄使いだ。引きこもりは758人いて、その内50代が18%いる。貧困者は増えるばかりなのに消費税も10%になった。ますます生活負担は大きくなった。これらはすべて「令和(今年)」の事だ。国民の皆が夢遊病者に陥っているとしか思えない。しかしキリストの世界は希望でいっぱいだ。日本、沖縄でキリスト者はわずか1%しかいない。だからこそリバイバルが期待できる。「今年こそ、今年こそ…」とすべてに期待して活動している。ある2人の人がアフリカに靴を売りに行ったそうだ。1人は皆が裸足だったので「希望はない」と本社に連絡した。もう1人の人は裸足の人たちを見て、「ヤッター!!みんなが靴を買うようになる」と思った。そして本社に「靴を送れ」と連絡した。今年もリバイバルの夢はかなわなかったが、しかしクリスチャンが1%しかいないからこそ伝道がしやすいのだ。刈り取りは大きいのだ。私には来年も大きな希望がある。魂の刈り取りという素晴らしい希望だ。アーメン。

2019年12月14日 牧師 一口メモ

新聞の気になる記事を切り抜いて、分野別に約12項目分けて保管している。政治、戦争武器、宗教、教育、子供、LGBT等々。特にコラム欄には面白い記事が載っている。毎日切り抜いているから、かなりの量が溜まっている。(タイムス「大弦小弦」、新報「金口木舌」)なぜ切り抜いているのか?理由は、メッセージやラジオ伝道の話題に使えるからである。又、皆さんに正確な情報の提供が出来る。もう一つの理由は、将来、子供達や後輩達に時代の流れを正確に伝え、教えることが出来る。昔はどんな時代だったかがよく分かり、良くても悪くても今の時代と比べることが出来る。そして、これから先はどんな社会になっていくのかが正確に予測や判断ができるためである。50年、60年前よりも今の社会がどれほど恐ろしい社会に変節しているか、新聞の社会面や政治面を読めば一目瞭然である。(人間の記憶は全然あてにならない)
今月はクリスマスの月である。ひと昔前のクリスマスは、社会挙げてイルミネーションが町中に溢れていた。クリスマス商戦も華やかに行われていた。クリスマスにはデート出来る彼女がいないと馬鹿にされたものだ。それくらいクリスマスはロマンチックで夢があった。そう感じていたのは私だけではないだろう。しかし、今はスマホやらネットやらで、外に出て星空を見上げる者はいない。今夜はほぼ満月である。天気もいいから丸い月がとてもきれいに見える。興味ある方は、今夜は空を眺めてみるのもいいと思う。イエス様の誕生を聖書から見て、羊飼い達の心になって天使達の御告げを想像するのもいいと思う。月や星が輝いている時に、ルカ2:9-10(すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそキリストです。」)何だか2000年前にタイムスリップしたようになるかもね。
今の世界情勢や日本、沖縄を見てみると、迎え(再臨)が近いと思わざるを得ない。イエス様はこの世に誕生して新しい社会を作り上げた。しかし世界はなかなか神様の思う通りには変わらない。人間にとって最高の住み家である地球が与えられた。海や山々、自然の木々や花々も感動を与えるものばかりだ。動物だって可愛いものが沢山いる。犬や猫は身近にいて人間を喜ばせるし、心を癒してくれる。しかし人間は、海を埋め立てたり山を削ったりして自然を壊してばかりいる。そのつけが異常気象につながり、台風や豪雨となって人間に襲いかかってきている。来年はもっと大きな災害が来るかもしれない。又、世話がめんどうになり、犬や猫を平気で捨てて行く。救い主の御誕生をお祝いするこのクリスマスの時に、自然や動物のことも考える必要があると思う。

2019年12月8日 牧師 一口メモ

「牧師一口メモ」を読むのが楽しいと言う方が多い。そのような声を聞くのはとても嬉しい。一段と気合が入る。今日から私達のグループはクリスマス会が始まる。今日は西原ベタニヤでのクリスマス礼拝と祝会がある。エデンハウスの皆さんに楽しんでほしいし、沖ベタ、ゆいまーるからも多くの方々が参加してほしい。西ベタの皆さんが一生懸命に教会を飾り、クリスマスの雰囲気を醸し出している。彼らは自分の教会を愛する心が強い。だから教会を盛り上げる為に、しっかり考え、心を込めて一生懸命に奉仕に携わる。何か物事をなす時に完全さを求めることはとても良いことである。どうせやるならしっかりやったほうがいい。自分を満足させ、人々に喜ばれ、褒められることを目指したら良い仕事が出来る。その為には一つ一つ真剣に考えてやることだ。主の祝福がありますように。アーメン。
「中曽根康弘」と言う政治家が亡くなった。101才だった。あだ名は「青年将校」、「風見鶏」だった。60年前の衆院本会議場で、若さにかまけて「われわれは新憲法の元、戦争を放棄した」と、当時の吉田茂首相の姿勢を正したそうだ。「自衛隊の前身の警察予備隊創設」に憲法違反だと批判した。背も高くてかっこいい青年政治家だった。しかし「風見鶏」のあだ名がつくように、変節は激しかった。段々と力がつくと自主憲法制定を掲げるようになった。首相の最高権力を得た後、「英霊が祀られている靖国神社」を参拝した初の首相になった。「風見鶏」の面目躍如の如くに長生きしたが、憲法改正に執念を燃やした「国粋主義」の人生だった。今の日本の社会の右翼化、天皇崇拝強化、ヘイトスピーチの環境の基礎を作った張本人である。今の安倍政権がそれを引き継いだ。そして、嘘とごまかしと忖度の政治家達を作り上げてしまった。そのお蔭で、一部の金持ちたちが支配する国へと変わった。完全に政治家や官僚や司法(裁判官、検事、警察)のトップ、教育やマスコミのトップ達までが狂ってしまった。「桜を見る会」のいい加減さは目に余って泣けてくる。子供に日本刀(刃物)を持たせたようなものだ。それを国民は気付く時に来ている。しかし他人事ではない。聖書にもそのようなリーダー達が登場する。「アモス2:8彼らはすべての祭壇のそばで、質に取った衣服の上に横たわり、罰金で取りたてたぶどう酒を自分達の宮で飲んでいる。」これがイスラエルの指導者達だった。貧しい者を顧みず、自分達のふところを増やし続けた。これが今の日本の姿である。クリスマスの中にあって私達クリスチャンは何を祈ればいいのか、何をなすべきかを祈ろうではないか。主の憐みを求めて。アーメン。

2019年12月1日 牧師 一口メモ

今年の最終月になった。いやはや月日の経つのが早すぎる。もう少し遅く、ゆっくりと地球は回転すればいいのにとつくづく思う。
今月はクリスマスのシーズンです。わずか一月をシーズンと言って良いのか分からないのだが…。とにかく日本のみならず、世界のクリスマスである。このクリスマスほど世界中の人々に愛されている祭りはないだろう。祭りと表した方が良いだろう。イエス様の誕生日を世界中の方々がお祝いしてくれる。クリスチャンはもちろんだが、クリスチャンでない方々も祝ってくれる。又、他の宗教を持っている方々も祝ってくれる。クリスチャンとしてこんな嬉しいことはない。感激する。ハレルヤ!
しかし、ちょっと寂しいものがある。ひと昔前よりも、クリスマス定番のイルミネーションの飾りが街中から減っていることである。以前は、ほとんどの会社やお店にはイルミネーションの飾りがあった。まだ所々で見受けることは有るのだが…。クリスマスはイエス・キリストの誕生日だ。それが、いつの間にか社会では「サンタさんが来る日」に変わってしまった。ほとんどの子供達が「サンタさんの日」と信じている。いや、大人達も本当の意味は分からないのかもしれない。このようなことになったのは、私達クリスチャンの大きな責任だと思う。何しろクリスチャンが少ない。だから残念だが、社会に何ら影響を与えることが出来ていない。きつい言葉で言えば「箸にも棒にもかからない」。ですから、ある面ではクリスマスには一番悔しい思いを抱く。そして、何も出来ない牧師の自分を責める。又、神様を責める。「なぜですか?なぜリバイバルを起こさないのですか?」と文句を言うのである。イエス様を人間の姿にして、一人のユダヤ人の若い女性のお腹を借りて、この世に誕生させた。このことを信じきれるクリスチャンは偉いと思う。考えて見れば、まるで不思議な幻想の世界のように描き出した神様のご計画は、そう簡単に信じきれることではない。だから私は、自分の所に伝道に来た女性を馬鹿にしていた。しかし、伝道されて2年たった頃から教会に行くようになり、いつの間にか私も信じられるようになった。その秘訣は聖書をよく読んだからである。読んでいくうちに聖霊が働き、聖書の言葉が理解できるようになったのである。又、聖霊の存在を知って、聖霊の働きまでも体験するようになった。学校で教える学問の知識がいかに愚かな教えなのかを知った。聖書こそ人間に最も必要な書物だと心から分かったのだ。クリスマスは「我らの救い主の到来だ」これほどの最高の喜びはないと思う。天の父に感謝しよう。

2019年11月9日 牧師 一口メモ

今は首里城の焼けたニュースがマスコミの一番の報道になっている。再建に躍起になる県庁。政府もいつもなら腰が重いのに、珍しいぐらいに早く支援を約束した。しかし再建はそう容易ではない。再建費用が約120億円必要らしい。又、木の材料がない。宮大工がいない。瓦も難しい。マイナスだらけの状況ばかりだ。もっと考えなくてはならないものがある。再建は賛成であるが、消極的な賛成だ。一つ目は龍の神話がまた登場することである。既に龍柱は大丈夫だったと写真付きで報道している。二番目が大きな理由だ。それは沖縄の幾つかの企業がいとも簡単に1000万円単位で寄付をしている。ある企業は5年間で5億円を寄付するそうだ。既に一般の寄付が4億円を超えたらしい。良い事のように思えるが、深く考えてみると手放しで喜ぶことが出来ない。なぜなら貧困の子供達への寄付金は雀の涙ほどである。沖縄は子供の貧困が30%弱で、3人に1人が貧困の家庭だ。残念ながら命よりも朽ちる物への未練が強いようだ。命への取り組みには腰が重く、個人の責任を追及するのが常だ。又、今年も自然災害で多くの国民が被災に遭った。しかし政府の動きは遅く、「国民の命と財産を守る」と公言しながら、いざとなると腰を上げない。自然災害は個人責任には当てはまらないはずだ。このような時こそ政府が被災の個人を助ける時ではないのか。しかし、千葉県では未だ停電の所があるそうだ。避難生活を余儀なくされている方々も多い。何故に政府の動きは遅いのか。もっと分からないのが被災者の方々の考えであり国民の考えである。このような非情で無策な自民党政府を選ぶのである。本当に分からない国民だ。

聖書はどのように私達に教えているのか。国民はどうあるべきか。政府はどうあるべきか。権力者たちはどうあるべきか。一つ考えて見ようではないか。イスラエルの歴史は面白いことを教える。良い王と権力者たちが登場すると、国は栄えるし国民も平安に満たされる。しかし悪い王とその側近者達が権力を握ると社会は悪くなる。そして国民は主に叫ぶ、「助けてくれー!」と。主はなさけ深いから助ける。しかし社会が安定すると、国民は自己中に陥って悪い考えを持つ。そして他国に支配され奴隷になる。又主に叫ぶと主が介入する。これの繰り返しである。私達の信仰がまさにそうではないかと思う。問題が起こると祈る。そして主との交わりに入る。しかし祈りが聞かれるとすぐに祈らなくなる。聖書も読まなくなり、主を悲しませる。エレベター信仰は主を喜ばせることは出来ない。いつでも主が共にいることを確信して(マタイ28:20)、日々主と豊かなる交わりをなし、恵みの信仰を持とう。アーメン。

2019年11月03日 牧師 一口メモ

首里城が燃えた。しかも本殿,南殿、北殿とあわせて6つの建物が全焼した。信じがい難いことが起こった。私は「梨恵姉妹」の解放の祈りで前夜から教会に泊まっていた。早朝5時に電話のベルが鳴ったので何事かと思ったら、「首里城が燃えています」との緊急の知らせだった。まさかと思い「朝日のあたる家」の屋上に上がって東方の首里城あたりを見ようとしたが、ビル群に阻まれて何も見えない。それで、急いで下りて行って車のTVでニュースを見たら、何と首里城が真っ赤な炎に包まれているではないか。しばらく呆然と見ていた。何しろ首里城は沖縄のシンボルだ。この3日間、首里城炎上のニュースで一杯だ。本土でも大きなニュースになっている。今朝の新聞に「体が削られた気分」と市民の声として載っている。また昨日は「心の支え失った」と大きな見出しで掲載されていた。本当にそのように心から感じているのだろうかと少し疑った。首里城はあなたの何だったのかと聞かれたら心からそのように答えるだろうか。確かに450年の長きに渡って沖縄のシンボルで、王府であり政治の中心だっただろう。しかし、県民を心から支えて来たのかと考えると複雑な思いがある。
城を造るのにどれだけ重税が県民に課せられただろうか。貧民からも搾り取っただろう。いつの世もそうだが、はたして国が国民や県民の命や財産を守るだろうか。この「城」が「心の支え」になるのだろうか…。聖書サムエル記に、「王を下さい」と民衆が神に願った箇所がある。神は預言者サムエルを通して、「王は私だけで充分」と答えられた。しかし民衆は引かなかった。「私達には先立つ王が必要です」と。仕方なく神様は答えたが、戒めもした。「願いどおり王を与えるが、あなた方の子孫は苦役に服することになる」と。それがイスラエルの最初の王の誕生の経緯だ。3代目のソロモン王は贅沢の限りを尽くして重税を課して民衆を苦しめた。沖縄戦で日本軍は首里城を本営として兵隊を配置した。そのお蔭でアメリカ軍の空襲を受けて、首里城は歴史上3回目の炎上となった。その後、復帰20周年を記念として復元され、昔の王朝が現代に出現した。私は3回ばかり行ったが、竜の偶像が建てられているのには参った。かつてはイスラエルにも大きな神殿があり、それはイスラエルの誇りでありシンボルでもあった。弟子達はそれを自慢したが、イエスは言った。
(マルコ13:1~2) イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
目に見えるものは何時までも残るものはない。目に見えないが「イエス」こそあなたの人生のシンボルです。アーメン。

2019年10月05日 牧師 一口メモ

政治の話をしょう。今、日本で一番注目を集めている政治家は「れいわ新選組の山本太郎」であろう。なぜ注目を集める様になったのか。彼は参議院の時代から小沢一郎と組んで活躍した異端児であった。国会での質問が歯に衣を着せぬ質問を平気で繰り返して政権を追及していた。その質問も国民の身近なことが中心で非常に解りやすかった。そして、先の参議院選挙で国民の生活に直結する「消費税」を取り上げて、「山本太郎」旋風を巻き起こした。また社会の異端児達を10人集めて戦った。そして2議席を獲得した。当選した2人は、重度の障害を持った方々であったので国会を慌てさせたし、異端児の面目躍如で、社会の目を覚まさせることに成功した。今までの政治家達と非常に異なる考えを持っている。正に庶民の為に登場した政治家である。そして非常に理にかなった政策を挙げて、財務省の役人たちの嘘を暴いている。また政府を始め議員達の無能さを浮かび上がらせた。常に権力に立ち向かい、弱者の為の政治を掲げている。今までこの日本に出現したことのない本物の政治家であろう。日本にやっと期待が見えてきた。そして「光」になろうとしている。今の日本の社会は、勝ち組と負け組に分かれている。勝ち組は政府につく少数の方々と大企業である。彼らはその政府の庇護下にあって、弱者を守るどころか多くの弱者を生み出し続けている。その筆頭が「消費税の10%」政策である。国民の無知ぶりを幸いに、なりふり構わぬ政治を行っている。この国のすべてが正常に機能していないことは明白である。政治家や官僚達を始め、裁判所や検察警察は正義をかなぐり捨てて、政権政治に忖度(そんたく)をするばかりで、国民の命と財産のことは少しも頭にはない。あるのは名誉欲と金銭欲と自己中の生き方である。それに加えて、毎年毎年災害のオンパレードである。神様が何かを示しているようだが・・・誰も気づかない。
日本のキリスト教会はどうだろうか。聖書は私達に平安と将来と希望を約束している。そして日本のクリスチャンの目を覚まそうとしているのだが・・・。牧師か伝道師の異端児の登場を待つしかないと思っている。ユダヤの社会で安穏としていた指導者達やユダヤ教の国民の中に、突如登場したバプテスマのヨハネ、マリヤから生まれたイエス、そして12弟子達やとげの付いた棒を蹴って足を痛めたパウロ(使徒26:14.)。何の代わり映えもしない日本のキリストの教会の世界。それでも安穏としているクリスチャン達。まさにイエスが登場する前のユダヤの世界と一緒ではないか。この異端児たちは強烈な個性を持っていた。いや持たされて変えられたと言った方が良い。彼等はユダヤの世界を変えた。あなたも日本沖縄の異端児になろうではないか。アーメン。

2019年09月29日 牧師 一口メモ

カナダのトロントブレッシングに行ってきた。皆さんのとりなしの祈りに感謝する。お蔭さまで、無事に聖霊の油注ぎを受け、聖霊の火をキャッチしてきた。この聖会のタイトルが「キャッチ・ザ・ファイヤ―」であった。参加者全員が、素晴らしい聖霊体験をしたい!と強い思いを持って参加していたと思う。この聖霊の油注ぎと聖霊の火を皆さんに注ぎたいと願っている。
聖会の前に少し観光もした。世界3大滝の一つ「ナイアガラの滝」を見て来た。スケールの大きさに度肝をぬかさんばかりだった。とにかく大きくて迫力満点で非常に美しい滝だった。巡りながら神様の愛に感謝した。このような美しい滝も人間を喜ばす為に造られたのだと思うと感謝せずにはいられなかった。神様が人間を本当に心から愛しておられるということを強く感じた。是非一度は皆さんも行かれてみたらいいと思う。(旅費は約20万円)
今回の旅行は大きな学びが出来た。まず1つ目は、聖霊の働きの凄さを目の当たりにして、聖霊の働きがいかに大事かを学んだ。2つ目に聖霊の働きを妨げてはならないことを学んだ。人間がする事には限界がある。しかし聖霊の働きは無限である。聖霊が働くと人間はどうしようもなく、一切が聖霊任せになってしまう。立つことも座ることも伏すこともすべて聖霊任せになる。笑いが突然起こる。この笑いも自分で制御できなくなり、止めようにも止まらない。声や奇声を発することも聖霊によるものになる。感情までも支配するお方なのである。又、聖霊との楽しみかたを教えられた。私は自分勝手にこのようなことを「聖霊との遊び」と名付けた。使徒の働きには聖霊の働きがたくさん載っている。(使徒2:1~4)とにかく聖霊なしでは私達は何も良き働きはできないと断言できる。これからは礼拝スタイルや服装も変わることになるだろう。外側だけでなく内側をもっと大切にして行きたい。神様は常に私達礼拝者の内側を見ておられるのだから。(Ⅰサムエル16:7)
神は十字架で人間に対する愛を示したと思っていた。しかし、十字架の愛だけではなく、地球上の大自然や動植物を用いて人間に対して愛を示された。美しい花々、可愛い犬や猫も…。その愛のゆえにすべてを人間の為に造られたのだ。人間が喜ぶ姿を見ることが神の喜びとなったのだ。神様の愛の深さを改めて感じ、只々感謝するのみである。ですから私達もお互いに愛し合うではないか。愛されているのだから。アーメン。

2019年09月15日 牧師 一口メモ

全てのクリスチャンには何らかの使命がある。神様のご計画は私達には分からないが、しかし素晴らしいものであることは間違いない。最高の人生を送る約束である。その準備を怠ってはならいと思っている。それはまず、神様を喜ばすことである。それが私達にとって幸せなことである。
何を準備するか。1番目に聖書を読み勉強することである。聖書を読むことは力をつけることになる。力がないと良いキリストの兵士にはなれない。「キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。(Ⅱテモテ2:3)」
何故に強くならなければいけないか。問題に打ち勝つ為である。「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。(Ⅱテモテ3:1)」困難な時代を迎えることになるという。今はその聖書の言葉の通りだと思う。国際的に多くの国々が争いを起こしている。例えば、仲が良かった隣国の韓国との喧嘩である。しばらくは静まりそうでない。沖縄にもその影響が起こり始めている。韓国からの観光客が減った。武力の衝突にもなれば、戦前の天皇中心の暗黒国家になる恐れが十分にある。また、「不法がはびこり人々の愛は冷えて行く。(マタイ24:12)」これは個人的な問題をも指している。つまり問題、悩み、批判、中傷が増えてくることをも示している。それらに負けてはならない。また生活の窮乏にも打ち勝たなくてはならない。聖書の言葉には力がある。聖書を読んむことは心、魂が強くなることである。「神の言葉には力があり、両刃の剣よりも鋭い」アーメン。だから聖書を読むのである。日々の日課として何よりも聖書を優先してほしい。2番目は祈りである。祈りは2つの方法がある。「個人的な交わりの祈り」と「グループによる祈り」である。イエス様はよく1人で祈っておられた。天の父との交わりをしていた。「朝に夕に…。(マルコ1:35 ルカ6:12)」とても大切なことである。なぜなら天の父との一対一の会話であるからだ。ダビデも詩篇の中で、よく1人で祈っている。(詩篇16:8)叫びながら、怒りながら、絶望の中にありながらも希望を捨てずに。最後は心を注ぎ出して感謝の祈りでいつも締めくくっている。次にグループによる祈りである。使徒の働きではペテロや母マリヤを中心に一カ所に集まって祈っている。(使徒1:14)このグループでの祈りによってリバイバルと数々の奇跡を起こしている。(使徒2:1。12:4~5)水曜日はグループの祈りをする時である。リバイバルの為に集まろうではないか。「主の御言葉は、ますます盛んになり、広まって行った。(使徒12:24)」これが私達の備えである。牧師、伝道師、教師、教会の役員、預言者、執り成しの祈り手、癒し解放の役目、教会の管理者等々様座な役目がある。もうやがて来るであろう。アーメン。

2019年09月01日 牧師 一口メモ

この社会には心理学を始めとして様々な教えがある。しかし、それらの基本はすべて統計学に基づいている。つまり人間を様々な角度から研究し分類して行くのである。例えば企業の社員は4つのタイプに分かれると言う教えがある。①一生懸命に働き会社に貢献するタイプ(30%) ②普通に働いている方々(30%) ③自分の給与の分さえも稼がない人(30%) ④安全に足を引っ張っている方(10%)。このような統計で分類する。又、社会には3つのタイプの人間がいるそうだ。①肯定派 ②否定派 ③どうでもいい無関心派。あなたはどのタイプと思うか? 少し考えてみてもいいと思うが…
聖書は恐ろしいことに、すべてにおいて超肯定的(ポジティブ)な教えに満ちている。神はノアと言う人に舟を作れと命じた。しかも100m級の大型船である。5000年前の話しである。御存知のようにノアは出来ると信じて造った。アブラハムは何処に行くのか分かないが神が命じたとおりに出かけた。そして子供も財産も与えられて最高の人生を送った。ヨシュアとカレブは、神の約束の土地を巡った時に、素晴らしい土地だと知り、実際にはまだ目にしていなかったが、ここはまさに「乳と蜜が流れている」と信じた。他にも多くの先輩の偉人達がそのような超肯定的な信仰を持って生きた。では、私達はどうだろうか。どのような信仰を持っているか。私は天地万物を創られた神、今も生きておられる神、そして何でも出来る神を信じている。だからクリスチャンになってからは、ものすごく愉快な人生を歩んでいる。もしクリスチャンでなければ、そのような楽しくて希望ある人生は送れなかったはずだ。又、将来だけでなく死んだ後にも最大の希望を持つことが出来ている。そう言うとそれこそ気違いと言われるだろうし、ただの口先だけと片づけられるだろう。それでもいい。私の信仰なんだから誰に何と言われようと構わないし、全然気にしない。パウロは信じ難いことを言っている。「私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。(Ⅱコリント5:8)」これこそ気違い信仰だ。死後の世界に希望を持つ大馬鹿がいた。パウロも超ポジティブな信仰を持っていたのだ。問題、悩みを誰よりも多く抱えていたパウロ。しかし彼は天国信仰を持っていたのである。
あなたは何でも出来る神があなたの中に住んでいることを信じるか。ならばもうあなたの辞書には「でも…」「しかし…」はないはずだ。何でも出来る神は、あなたに預言者(モヨ師)を通して未来を示した。信じて素晴らしい人生を送ろうではないか。

2019年08月25日 牧師 一口メモ

北海道にて一口メモを書いています。雄大な大自然に感動している。また、天の父の御業の素晴らしさと日本人をどれだけ愛しているかを知らされている。そして2000年の忍耐をもって今日迄こられている。また赦しの父さんであることを、この自然を見て感じている。松林の中に建てられている三浦綾子記念館を訪問して父の愛の凄さをも知った。今回の伝道旅行は初日から奇跡の連続で神の愛を体験し続けている。ただ感謝のみである。

4日目になるが十字架を見ることが出来ないのが辛く、残念である。お寺は数えきれないくらい見た。いつ日本人は本物の神の愛を知るのだろうか。又、愛は赦し続けることだと知った。なぜなら四季の彩りを通して常に人の心に感動を与えている。これが証拠であろう。

キリスト教のテーマは愛である。しかしイエスの愛は一時的なものでなく、感情的なものでもなく自己中心でもない。2000年にわたってキリストは愛し続け赦し続けてきた。北海道の大自然を見ながら心に強く感じた。そして人の愛と自分の愛を考えてみた。いや考えさせられたと言った方が正確だ。自分の愛は十字架の愛だろうか。感情的な愛を十字架の愛と勘違いしていないか。人に教えながら聖書を説きながら自分の思う通りの人になってほしいと願いながら愛していないだろうか…。

人間は弱いものである。ある人はとても弱い。だから人に甘える。人の目を自分に向けさせようとする。そして人の目から見て悪いことをする。その心の深層は愛されたい、愛してほしいと叫んでいるはず。幼い時から親の愛を知らずに生きてきた。いや逆に叱られ、罵声を浴びせ続けられ、言葉でズタズタに切り裂かれてきた。このような方をどのように受け入れ愛すればいいのか。教会の大きなテーマではないだろうか。そして牧師の一番の役目ではないだろうか。素直でいい子、いい人は愛し易い。誰でも問題を起こさずにいたい。人から嫌われたくない。これは大人も子供も変わらない。だから人の目を気にする。当然なことであると思う。私だって皆さんから好かれたいし、愛されたい。いい牧師と言われたい。これが本音だ。中毒(依存症)の方がいる。人はある程度強弱の差はあれど何かしらの依存性を持っている。その依存している物を奪われたらどうなるだろうか。もちろん悪い依存症は直さないといけない。しかしその依存を何で埋めるか、簡単ではないと思うが。

北海道の大自然の摂理をプログラミングした父の愛を体験しながら…とにかく愛の人になりたい。イエスの十字架の愛を実践できる人になりたい、言いようのない変な感傷を持ちながら書いている。

イザヤ書65章18節「だから、わたしが創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。」
人生を楽しめていることをイエス様に感謝したい。アーメン