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沖縄ベタニヤチャーチの山内牧師のブログです。毎週更新しています。

2019年05月05日 牧師 一口メモ

平成から令和に変わる元号フィーバーがやっと納まった。何も考えない国民が多い不思議な国。商売人やマスコミに踊らされる不思議な国民。令和が天皇が自分をあなたを幸せにすると思っている不思議な国民。いったいこの国は何処に向っていくのやら・・・。

先日、家内と素晴らしい映画「グリーン・ブック」を観た。お勧めなので是非見て欲しい。内容を詳細に語るとネタバレになるので簡単に記すことにする。一番目に1950~60年代のアメリカでの実話であること。二番目に人種差別の激しい中での黒人と白人の物語りであること。三番目に幸せの行方が描かれていること。この三つのことを強烈に感じさせられた。

天才黒人ピアニストが、人種差別の激しい南部の州を二カ月に渡って旅をしながら演奏会を開く。その為、運転手兼マネージャー(黒人嫌いの白人)が雇われる。二人の激しい葛藤の二カ月間の物語りである。この映画で強烈に感じたことは、白人達の恐ろしいまでの高慢さである。彼らはピアノ演奏(音楽)は認めて素晴らしい音色に酔おうとするが、弾き手の黒人ピアニストには関心を示さず尊敬もしない。金持ち白人の感覚には辟易する。

人間の高慢は天よりも高いと聖書は教える。イエス様が高慢を一番嫌う理由もよく分かる。マタイ23章でイエス様は、パリサイ人や祭司長、律法学者たちに向って激しく叫んだ。「わざわいだ!」と。つまり人を不幸にする災いの指導者達と言っている。そして「盲人が盲人を導くようなものだ」と。どこかの政権みたいだ。盲人の多い日本の国民が盲人に導かれていく。目が見えないから素直に従っていく哀れな国民だ。

天才黒人ピアニストと喧嘩好きなヤクザまがいのイタリー系の白人。この二人の二カ月間の旅は、お互いの性格と人格を見事に変えていく。天才は自分が見えない。白人の切れやすい男も自分が見えない。しかし、お互いに助けあって、かばい合っていく姿には感動を覚えた。切れやすく無学な男には素晴らしい奥さんと仲間達がいる。つまり暖かい小さな家庭があった。食事の時にいつも神の前に感謝の祈りを忘れない家庭。その家族の幸せの為にお金を稼がなければならない。それで嫌いな黒人に忍耐をもって仕える。そして一人ぼっちの高慢ちきな天才に本当の幸せの姿を見せる。平成が令和が天皇が幸せを与えるのではない。生きている神イエスが与えるのである。

ルカ11:27、28 イエスが、これらのことを話しておられると、群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」しかし、イエスは言われた。「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」アーメン。

2019年04月28日 牧師 一口メモ

今日は新役員の任命式がある。キリストの教会も組織である以上は肩書があるのは仕方ないだろう。どんな組織もピラミッド型である。教会のトップは牧師である。大きくても小さくても牧師がトップに座っている。その下に幾人かの役員が存在する。役員会あるいは理事会と呼んでいる。私達のグループの組織は牧師がいて、副牧師がいて、長老がいる。そして伝道師、執事となっていて、そして愛する聖徒の皆さんがいる。これが大体の組織の形態である。この組織の形がⅠテモテ3章に記されている。そこには役員の条件が書いてある。とくと読んでほしいところである。

しかし厳密にこの箇所を基準として役員を任命するなら、恐らくは誰一人として役員になれる人はいないだろう。特に厄介な箇所は「家庭をよく治め、十分な威厳を持って子供を従わせている人でなければならない」(Ⅰテモテ3:4)

家庭を治めることと子供を従わせることは無理難題なものだ。特に子供達を素直に従わせることなんかできっこない。牧師の子供達や執事の子供達が救われていなくて教会に来ない。そのようなことは世界中のキリストの世界ではよくあることである。それでも牧師だ!伝道師だ!執事だ!賛美リーダーだ!と言いながら喜んで奉仕に携わって神様を喜ばせている。新役員の皆さんは、「こんな私でも神様は用いて下さっている。牧師も認めて役員にして下さった。そして素晴らしい肩書を与えて下さった。」と自信と勇気をもって喜んでほしい。

聖徒の皆さんは私達役員の人格は見ない方が良い。もしあなたが役員の人格に目を向けるなら、あなたはいろいろと苦労することになる。つまずいて、信仰も落ちこんで、しまいには教会を移ることになるであろう。そして損だけが残ることになる。もし、あなたの嫌いな人や、こんな人が・・・と思って怒りが満ちているなら、任命した神様や牧師に文句を言った方がいい。「なぜ、こんな人を任命するのですか?」と。そしたらきっと「では、あなたが役員になってください」と勧めてくるだろうから。

ルカ6:41(新共同訳)あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。

良い教えではないか。しかし、ではどうすればいいのか?となる。どうすれば役員たちを認めることが出来るようになるのか。答えは簡単である。人格を見るのではなく、働きを見たらいい。奉仕する役員の姿を見つめたらいい。きっとあなたは感動するであろう。アーメン。

2019年04月21日 牧師 一口メモ

聖書には旧約聖書と新約聖書がある。字のごとくに古い(旧)約束と新しい(新)約束と言う意味である。なんの約束かと言うと神様と人との約束(契約)である。もっと正確に言えば神様が一方的に「すべての人を幸せにする」と約束した契約の書である。またあなたの一生を保証すると言う契約である。しかしこの契約を結ぶ為に一つだけ条件がある。イエスキリストを救い主として信じることである。たった一つを口から出すだけだ。「イエス様あなたを救い主と信じます。どうぞ私の心に来て下さい。アーメン」(ローマ書10章10節)これだけ告白すればあなたの人生は幸せが保証されるのである。そして私達クリスチャンは最高の人生を歩むことになる。アーメン。

今日はそのイエス様が甦った日である。約2030年前に私の(あなたの)罪の赦しの為に十字架に架かり死んで墓に葬られた。しかし三日後の日曜日の朝に墓から生きて出てきたのである。この日が、全世界の人に最高の救いの日となり、世界中でイースターと呼んでお祝いする日となった。(私達の教会ではなるべく復活と呼ぶようにしている)この甦りによって私達に約束したことが成就したのである。イエスの最大の弟子であるパウロはコリント15章3~5で最も大切なものとして教えている。

今、日本の社会は非常に危険な状態に置かれていると思っている。天皇の退任決定によってマスコミが過熱し過ぎるくらい報道していることである。天皇のニュースがない日はない状態だ。しかも改元によって「令和」が新元号になった。何がしかの命令によって平和がもたらされる社会になると信じ込まされる日がまた来るようになる。これが「令和」を選んだ目的である。しかも天皇が伊勢神宮に退任のあいさつに行った。そのことをマスコミは次のように報道している。「天照大御神」に退任の報告をしたと。日本の国は天照大神によって造られたと言っているのである。天照大神が天皇の父である。だから天皇がまた神に祭あげられ、その天皇を国民は拝まなければならない。そして一丸となって平和な国を造る。これは上からの命令であるから絶対に守るようにと言われる。これが「令和」の正体なのである。

天地万物を創った父なる神様の一人子イエスが十字架に架かった。そして甦った。世界中の人が救われる為に。そしてイエスを信じた人は永遠のいのちを頂いて天の国に凱旋する。これがクリスチャンの人生である。アーメン。今日はこの復活の日を特別にお祝いしたいものだ。そして天の父とイエス様に感謝したい。またその奥義を悟らせて下さった聖霊様に。アーメン。

2019年04月14日 牧師 一口メモ

「神の慮り(おもんばかり)」と言う不思議な詩がある。アメリカニューヨークの病院の壁に、ある患者が書いたものだそうだ。一つの章だけ紹介しよう。

「大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと願ったのに、謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。」

「より偉大なことできるようにと健康を求めたのに、より良きことができるようにと病弱を与えられた」

神様のみ心を見事にあらわしていると思う。神様が人間の望むことは一つである。「へりくだり」である。つまり謙遜である。なぜなら謙遜こそ愛の塊りだからである。クリスチャンはみんなが神様に用いられたいと願っていると思う。もしそうでなければ信仰は無いとも言える。私達は神様を喜ばす為に役にたちたいと願って、何がしかの賜物を求めているはずだ。これが信仰である。

そして兄弟姉妹から凄いねーと褒められたいと密かに願っていると思う。これはとても良いことである。高慢でもなんでもない。夢であり希望である。希望と夢がなければいい働きは出来ない。人にとってもクリスチャンにとっても夢はとても大事なものである。イエス様は漁師達を選んで夢を与えた。彼等には学問、学歴はなかった。ただの魚捕りだったのである。イエス様は彼等を選んで次のように言った。「人間を取る漁師にしよう」と。弟子達にはその意味は分からなかった。人間を取る漁師って聞いたことがなかった。こんな職業があるのかと疑問に思ったことだろう。しかし弟子達は用いられて賜物が与えられて段々と高慢になっていく。なにしろ癒しが出来るし悪霊も追い出せる。無学な人たちがいつの間にか周りから尊敬されていくから致しかたないと思う。私達も近いうちに弟子達のようなことが出来るようになるだろう。アーメン。だから今から気をつける必要がある。「高慢」はなかなか捨てることの出来ない非常に厄介なものだ。

高慢はイエス様が一番嫌いなものだった。「神の慮り」の作者は入院した時に高慢に気づかされたと思う。大きいことを成し遂げるために必要なことは「謙遜を学ぶ」ことである。何処の世界でも高慢が先立つ、政治の世界も、音楽の世界も、芸術の世界も、経営者の世界もそして教会も。お互い気をつけて戒め合っていくことが大事である。なぜなら高慢に神様は敵対する(ヤコブ4章6節)と言っておられるから。神の敵になりたくないのなら「高慢」から遠ざかろうではないか。私もよく心に刻もう。アーメン。

(「神の慮り」の詩が欲しい方は、私に声をかけてください。)

2019年03月31日 牧師 一口メモ

久しぶりに礼拝を休むことになった。
息子の大学の入学式に参加するためだ。3ヶ月前から飛行機のチケットを確保するために努力したが、日本中の様々な移動時期と入学時期にかち合って日曜日の朝にしか取れなかった。大学の入学式が2日である。その前にアパートに入居しなければならない。前に住んでいた方の退去日の関係も重なり、色々とギリギリになってしまった。
メッセージは池原明牧師にお願いした。もしかすると沖縄ベタニヤの朝礼拝でのメッセージは初めてじゃないかと思う。聖日の朝礼拝は出席率が高いので信徒のほとんどの皆さんに池原牧師のメッセージを聞いてもらえるので良かったと思っている。経験豊かでパワフルな池原牧師がダイナミックに語るだろうと信じている。

礼拝を休むことに罪悪感となにがしかの抵抗を感じるのは私だけではないだろう。キリスト者にとって週一回の礼拝は命と思うくらい大切なものである。
何しろイエスキリストは私のために十字架にかかり、死んで墓に葬られ、3日目によみがえられ、今も生きて天においてとりなして下さっている。この地上においても、いつも共にいて私の人生を守って下さっている。いつも見ておられる父なる神様、神子イエス様、日常生活の助け主である聖霊様の三位一体の神様を礼拝することは最高の喜びであり、感謝である。いかなる理由があっても、礼拝を休むことには抵抗がある。
しかし、クリスチャンにとっても長い人生は何かが起こるのは仕方のないことであろう。自分の思い通り、計画通りに事が進むとは限らない。結婚式があり葬式がある。病気になったり事故に遭ったりもする。会社の勤めも、学校行事もある。家族の上に良いことや悪いことも起こる。それらのことによって日曜日に教会へ行けないこともある。だから様々なことに対応できるようにと夕方にも礼拝を持つようにしている。牧師(メッセンジャーたち)や賛美チームや奉仕者たちが犠牲を払って働いている。

しかし注意して欲しいことは、律法主義に陥って礼拝を欠席する方を裁いてはならないということである。むしろ愛を持ってその人のために祈ることを勧める。
「すべての聖徒のために祈りなさい」(エペソ6章18節)
もうひとつ注意する。気ままに、簡単に礼拝を休まないで欲しいと願っている。アーメン

2019年03月24日 牧師 一口メモ

聖書は「拠りどころが壊されたら何になるか」(詩篇11章3節)と教えている。
今の日本は完全に拠りどころを失っている。
先週、天皇陛下が天照大御神に退位の報告の儀式を行った。この国の拠りどころは人間が創り上げた偶像である。何の力もない物がこの国の基礎となっている。それは国民のほとんどもそうだと言える。だから何が正しくて何が間違いなのか判らなくなってしまっているのだ。官僚、政治家、裁判官、検察、警察までもが正義を完全に見失っている。国民の安全(命)と将来に考えが及ばない。時の政権に媚を売って出世だけを目指している。いつの間にか恐ろしい国へと変わってしまっている。今この国に起きているひとつひとつのことを挙げてみればよく理解できる。

まず、教育。これが酷すぎるくらい壊れている。ほとんどの医療関係の大学が女性の入学者を減らすために点数を差別していた。また、大学が地震の論文を捏造していた。ある小学校は卒業式に「袴」で参加させている。学校側が生徒に袴を提供できればいいが、そうではない。袴を持っていない生徒の気持ちを考えない。国の30%の子供が貧困にあえいでいる中で、多くの子供達が差別を受けるだろう。惨めな気持ちで卒業式に出なくてはならない。
学校でのいじめも酷くなるばかりで、無くならない。先日も女子中学生がいじめによって自らの命を絶った。親も学校も教師も教育委員会も文科省も自分のことしか考えない。

法曹界では、国との争いでは100%国が勝訴するようになっている。民が勝つことは絶対に無い。長期勾留は当たり前で、自白するまで交流し続ける、人権など無い国だ。一人の人間の命は、彼らにとっては動物以下なのである。

政界では国会議員を始め地方議員の資質が言いようのないくらい「ていたらく」である。浮気、暴言、嘘は当たり前。特に自民党の議員は酷い。彼らにこの国が正しく導けるはずがない。

実業界では、レオパレスという会社が建築基準違法のアパートを作ってきた。原因は利益至上主義の政策にある。人の命、安全よりも利益が優先されてきたのだ。

イエス・キリストは人の命を救うために、暴力を受け、鞭打たれ、唾をかけられ十字架にかかった。そして自分の命を捨てた。人の命が何より大事で何よりも愛おしかった。それが天地万物、この世界を創られた唯一の神様の方針だった。その教えが全ての人の礎(いしずえ)になってほしいと願ったのである。人生の拠りどころがイエス様の行いであり、教えである。聖書の教えを人生の拠りどころとする人には最高の幸せがプレゼントされると約束されているのである。この確かで、安全で、愛に溢れた礎(いしずえ)を沖縄県民が、日本国民が、全世界の人が受け入れたら、この世界は言葉では言い表せないほど素晴らしい世界となるのである。アーメン

2019年03月17日 牧師 一口メモ

なぜ日本、沖縄にリバイバルが起こらないのか。
隣の韓国はリバイバルが起こり、クリスチャン人口が30%まで増えた。立派なクリスチャン国だ。韓国を実際に訪問したからよくわかる。町のいたる所に十字架がそびえ立っている。台湾も5、6%に増えているそうだ。数年前までは1%のクリスチャンしかいなかった。それが今では5倍となっている。1000人教会が30もあるそうだ。また共産国の中国はどうだ。推定1億人のクリスチャンがいる。日本の総人口に迫るくらいの数だ。さらにクリスチャンが増えすぎたために権力者たちが怯えて、迫害まで始まる事態だ。いくつも教会が閉鎖されている。

沖縄はどうだろうか?
相変わらず1%にも満たない悲惨な状態だ。なぜそんなに違うのか。なぜクリスチャンが増えないのか。何年も牧師や神学者たちが議論を重ねたが答えは出ずじまいだ。
先日、南部牧師会に出席した。久しぶりの出席であった。メッセンジャーの牧師が台湾の話をしていた。何度も台湾へ出向いて、クリスチャンが増えた理由を調査したそうだ。結論はわからずじまいだったと言う。台湾も日本と同じように牧会をしてきた。ただそれだけで、特別なことはしていなかった。礼拝をし、祈りを捧げて、弟子訓練をし、時々伝道してきた。そしてある時からクリスチャンが増えた。神様がリバイバルを起こした。ただそれだけ。それが答えだそうだ。
しかし1つだけ違いがあると言っていた。それは民族性だ。熱心さが違うのである。それは的を射ていると思う。日本人はおとなしく、真面目すぎる。祈る時も賛美をする時も静かにやり過ぎていないだろうか。これは大きな問題ではないだろうか。詩篇では叫びの祈りと踊りを基本としている。ダビデは実際に叫びながら祈っていた。賛美をする時は力強い踊りを加えているし、尚且つ角笛やタンバリンを用いている。

私は実業家時代、台湾とカラオケのビジネスをしていた。クリスチャンになってからは中国にもカラオケのビジネスを広げた。そしてクリスチャン達と付き合いをした。また韓国にもよく行ってクリスチャン達を見てきた。この3つの国に共通する者は「人目を気にしない信仰」である。大声で賛美し、手拍子の音は強い。喜んで踊っていた。果たして日本人にそれが出来るだろうか。民族性が大きな信仰の弊害をもたらしていないか。私達は日本人のクリスチャンではなく、クリスチャンの日本人にならなければならない。つまり聖書のクリスチャンである。聖書に従って変えられたクリスチャンという意味である。勇気を持って歩もう。アーメン。
「踊りをもって、主の御名をほめたたえよ。タンバリンと竪琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。」(詩篇149篇1−9節)

2019年03月10日 牧師 一口メモ

この世界には偉人と呼ばれる方々は多い。
偉人とはどのような人を指すのか。
人のために生涯を尽くした方を言うと思う。
今ラジオ番組「ゴスペルアワー」において、日本の偉人のなかでクリスチャンとして人生を歩んだ方々の人生を紹介している。毎朝聴いているが、日本人クリスチャンには本当に凄い働きをした方々が多く、驚き、感激している。近年NHKにおいても彼らを主人公としたドラマが立て続けに放送されているので、知っている人も多いと思う。
江戸、明治時代から筆舌に表せないほどの困難、試練のなかにありながらも、彼らは困窮している人々を助け、尽くす人生を送っている。人生をイエス・キリストの教えに捧げた人こそ、本当の偉人であると思う。
特に印象に残ったのは女性の方々である。石井筆子、新島八重など。女性差別が激しい明治時代に敢然と戦いを挑み、女性たちの地位向上に人生を捧げた。苦難のなか、何度もくじけながらも、降参することはなかった。主イエスにすがることが出来たからである。これこそクリスチャンの特権である。アーメン!

私の毎朝の日課は早天の祈り会を終えた後、「ゴスペルアワー」を聴くことである。毎日とても楽しみにしている。この2つを逃しては、その日が良い日になることはないと言ってもいいぐらいである。みなさんにもオススメしたい。fm那覇(78.0MHz)で聴くことができるし、YouTubeでは過去の放送も聴くことができる。
https://youtu.be/NkZKByKMemo

聖書のなかにも偉人は多く登場する。彼らは信仰の偉人でもある。私たちクリスチャンへ大きなインパクトと影響力を与えてくれる。
有名なのは「ノアの箱舟」のノアである。
ノアは神様から「洪水を起こすから箱舟を造りなさい」と命令を受けた。ノアは箱舟を造り始めるが、それを見た親戚や友人、周りの人々は彼を馬鹿にしていた。それもそうであろう。突然山の上でバカでかい船を造り始め、洪水が来るからだと言い出したら、気が狂ったのではないかと思われる可能性は大いにある。しかしノアは周りの声に耳を傾けず、神様の命令に従い通した。それゆえに彼と彼の家族は生き延び、救われたのである。ハレルヤ!

次にモーセという人がいる。彼も海を二つに割った人として有名である。
モーセはユダヤ人でありながらも、赤子の時にエジプトの王妃に拾われ、王の子として育てられる。良い教育を受け、何不自由ない暮らしをしていた。しかし彼はその地位を捨てなければならなくなり、エジプトから出ていく。数十年後、神はモーセをエジプトへ戻し、そこで奴隷として働かされていたユダヤの民を救う使命を与える。奴隷根性を植え付けられ、頑固な民250万人をエジプトから連れ出し、40年、砂漠の中を歩んだ。民は不平不満だらけで、言うことを聞かず、モーセは計り知れない苦労を被った。神様に怒られることもしばしばあった。戦も度々経験した。しかし彼が挫折することはなかった。神から離れることもなかった。

次にパウロという人がいる。彼は新約聖書に登場する。
彼は律法の専門家であった。クリスチャンを迫害し、次々と牢獄へと入れていた。しかし神は彼を選び、彼は悔い改め、彼自身がクリスチャンとなった。彼のクリスチャン人生も苦労の連続であった。しかし彼もくじけることはなかった。

先に挙げた日本人クリスチャンにも、聖書の人物にも、共通点がある。
1. 神に選ばれた
2. 死ぬほど苦労した
3. 挫折しなかった
4. いつも神様が共にいた

「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ、わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます。」
(マタイの福音書28章20節)

2019年02月03日 牧師 一口メモ

この日本はどうなってしまうのか。
政府があまりにも腐れすぎてないか。国の基幹の統計資料のほとんどが嘘だったようだ。私達国民は何を信じればいいのだろうか。もう信じられるものはないのではないか。正月から統計資料がおかしいとの報道があったのだが、ついには安倍政権の屋台骨の毎月の勤労統計が実質0・5%のマイナスで今までの勤労統計は「賃金偽装」だったと言われている。つまり国民の労働者の賃金はアベノミクスによって上昇していると言われていたが、本当は嘘だったと言うわけだ。恐ろしいインチキである。もうこの嘘つきの安倍政権と官僚達を一掃しない限りこの国は滅びへ一直線に向かうことになる。官僚達を始め裁判所も検察もすべてが安倍政権におもねりをしている。正義が完全に吹っ飛んだ。いつの日かこの人達の人生の上にこのことが跳ね返ってくるだろう。厚労省の全員が犯罪者である。何とかしないといけないはずだが・・・。まず、来年の参議院選で国民の目が覚めることだと願うのだが、残念ながらあんまり期待は出来そうにない。政治音痴の国民では期待を持てない。
二番目に外圧に頼るしかないが、日産自動車のカルロス・ゴ-ン氏の長期拘留が国際的に注目を浴びている。そして日本の裁判所と検察に正義の圧力が掛かることを期待したいのだが・・・。またロシアのプーチン大統領が北方の4島返還交渉において次のように発言した。「日本はアメリカの言いなりだ。沖縄の辺野古の新基地建設を見ればよく分かる。だから4島返還したらアメリカがすぐにこの4島に基地を作るだろう。なにしろ日本は主権がなくアメリカの属国だから」と。だから4島は返せないとハッキリと宣言している。堂々と一国の大統領が日本に目を覚ませと言っている。まことに恥ずかしい限りだ。これだけ馬鹿にされても本当の事だからコメントさえ出せない。右翼思想の桜井よし子さん、百田尚樹さんよ、今こそあなた方が安倍政権に物言うべきではないのか。アメリカの属国になっているのにあなた方の愛国心は嘘なのかと。

ハイ!日本、沖縄のキリストの教会はしっかりと聖書に基づいた宣教と礼拝を守っている。外国(アメリカ)かぶれではないと信じている。国民よ、少しはキリストの教会を見習ってほしいものだ。神様は日本人のリバイバリストを起こそうとしている。一日も早くと必死に祈っているし、またやがて来ると信じている。
待ち望め主を(詩編42:5)アーメン。

2019年01月06日 牧師 一口メモ

2019年度が始まった。
終わりがあれば必ず始まりもある。
伝道者の書にはすべての営みには時があると記されている。まさにその通りで、私達は時間に支配されている。と言うよりも時間と共に生きていると言ったほうが良いだろうか。

新しい年を迎えて、兄弟姉妹達がどのような夢と目標をイエス様に捧げたかに大きな興味がある。
教会の目標は、祈りの時間をもっと増やすことを第一番に挙げた。しかも多くの方々が心一つにして、尚且つ、一つ所に集まって祈ることを。私達は先に選ばれた者として責任がある。だから祈ろうではないか。魂の救いの為に。
二番目には伝道の充実を目標とした。伝道についてパウロはこのように言っている。
「私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。」ローマ1章14節
私達には返さなければならない借金がある。つまり魂の救いのことである。返す行為を伝道に例えている。たくさん伝道して借金を返したいものだ。
三番目に聖書をよく読むことを目標に掲げた。聖書をたくさん読み、真理に立った、大人のクリスチャンになる。それは魂の救いのためである。アーメン。

正月から3日間、完全休養日になることは初めてではないかと思う。最近は、なるべく家と教会で主との交わりに多くの時間を割いている。それで気が付いたことがある。外にあまり出ない証拠に、車のガソリン代が急激に減った。なんとなく嬉しい気分だ。ああ!主との交わりが確実に増えたな-と感謝している。
今までの通常の過ごし方と違うので、楽しみが多くなった。聖書を読み解説書を開く。三種類の聖書を読み比べる。すると聖書の深みを一段と知ることが出来るようになり、益々聖書が面白くなってくる。これは今までになかったことである。これが本来の牧師の有り方なのではないかと思うのである。
今年は霊的にも知識においても一層の深みに入れそうな気がしている。リバイバルのためにそのような時間を天の父が与えたのかもしれない。イエス様と一つになれるように祈っている。そして一番大切な家内と一つになれるように。また兄弟姉妹達みんなと一つになれるように。今年こそ主に喜ばれる教会になれるような気がしている。
新年の夢で終わることがないことを祈っている。アーメン。