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沖縄ベタニヤチャーチの山内牧師のブログです。毎週更新しています。

2018年12月23日 牧師 一口メモ

2018年の1年間もいろいろあった。
嬉しい事、辛い事、苦しいことが思い出される。1つ1つ思い出して振り返ってみた。苦しかった事は2月にゆがふぅ教会を閉じたことであった。この事についてはかなりの決断が必要だった。特にゆがふぅ教会の西銘牧師の気持ちを一番に汲む必要があって慎重に思いめぐらした。そして祈り続けた。西銘牧師夫妻も賛同してくれて閉じることが出来た。悲しかったが今は正解だったと思っている。あちこちに教会が出来たのは良いが、皆の力が分散されて、どの教会も良い働きが出来ず、正直困っていた。西銘牧師の決断に心から感謝している。悲しかった事はA姉妹の昇天、O兄弟の昇天である。もう少し地上に残って欲しかったのだが・・・。
しかし洗礼者が21名も与えられたことは言葉にできないほど嬉しいことであった。

嬉しいことは本当にたくさんあった。
吉田芳幸長老の聖会、万代英嗣牧師の聖会が持てたこと。
長尾伸也兄弟の牧師按手式が行われ、多くの兄弟姉妹達に祝福され、6人の牧師たちが按手に加わったこと。同時に彼がゆいまーる教会の牧師に赴任したこと。ハレルヤ!
また西原シオン教会の土地建物の明け渡しと実践神学校の移転が無事に解決したこと。何よりも嬉しいことは「ゴスペルアワー」のFMラジオによる毎日の伝道番組がスタート出来たことであろう。1人1人が5分で救いの証を話す。毎朝なので正直大変な伝道番組である。製作者の苦労は如何なものであったかスタートしてよく分かった。しかしいろいろな面でぶつかり合いながらも順調に推移し始めた。伝道は私達クリスチャンにとっては命とも言える奉仕である。先に選ばれた者として責任重大でもある。
またラジオ伝道番組は他にもあり、多くの兄弟姉妹が毎週力強く放送をしている。
「ユタはあなたを幸せにしますか」
「親分はイエス様」
「ハイサイ教会でーびる」
「エンジェルトーク」
今年も続けることが出来て感謝している。

政治の世界では新基地建設(辺野古)反対を掲げる玉城デニ-新知事が圧倒的な勝利を納めたことが嬉しかった。
また我らが愛する新垣博正執事が4期目の当選を果たし中城村議長に就任したこと。ハレルヤ!
社会のありとあらゆる方面にクリスチャンが進出することは天の父の御心である。

教会では今年も新たなる方がメンバーになった。しかし出て行く人もいた。寂しい事ではあるがいつものように来る者拒まず、去る者追わず、である。
来年も皆に大いなる祝福がありますように!アーメン。

2018年12月16日 牧師 一口メモ

今年が終わろうとしている。
日本社会と教会のことで1年の総括をしたい。

今日の沖縄の新聞2紙は、一面で大きく辺野古への埋め立てが始まったと報じている。東京の新聞も一面での報道らしい。さらにアメリカでも報道しているとの事である。これだけ見たら関心は深いと見てもいいだろう。ただ、日本政府の対応はあまりにも酷いものがある。これが政府かと思うくらいに、特に安倍政権になってからはエゴと嘘と強権と支配の構図であり、政権内部が腐敗に満ちていると言わざるを得ない。官僚の接待漬けと政権に対する平身低頭は醜い。森友学園から加計学園問題も嘘のオンパレードであった。

また大学の医学部入試において女性受験者への差別的な対応も問題になった。これが大学の学長たる教育者たちの姿とは実に情けない。大学教育崩壊の前兆であろう。

また韓国に対する「徴用工判決」に対する態度も酷い。特に河野太郎外務大臣の対応にはあきれる。安倍さん以上の高慢の態度だ。ガッカリの一言に尽きる。一方ではアメリカに尻尾を振る姿も見苦しい。これがアメリカ第51州目と言われるゆえんだろう。

普天間基地も2022年返還は無理と言い始めた。その理由が辺野古の新基地建設が進まないからと防衛大臣は言ってのける。自分達で約束したことを平気で沖縄の県民の反対運動のせいにしている。元から5年後の返還は口約束であって返す気などなかったのであろう。
1つ1つ上げればきりがないが、国民はこのような政権を来年も同じように選ぶのだろうか。

教会については祈りが最大の問題であったと思う。
今、当教会の祈り会は3つある。メインは毎週水曜日(夜7時30分~)である。次に第一、第三土曜日の礼拝準備祈祷会、そして毎日の早天祈祷会(月~土)がある。皆さんはいずれかの祈り会に参加しているだろうが、参加者がどんどん減ってきている。私は非常に危機感を抱いている。使徒の働きを読むと、当時の信徒たちはグループでよく祈っていた。
(使徒1章14~15節、2章1節、12章5節)。
そこに奇跡が起こったし、聖霊が降った。そして一気にリバイバルが起こり3000もの人が救われた。この箇所は非常に大切である。聖霊降誕にあずかる者になる1つの働きが集まった時の祈り会である。注意して奥義を悟ってほしい。

みなさんで、今年の自分を振り返って来年に向けて備えてくれたらと願う。1人の祈りも重要であるが、みんなで集まって祈るのはもっともっと重要である。なぜなら私達が1つになるのが天の父の喜びだからである。
「わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。
わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。 」
(ヨハネ17章22、23節)。

ですから来年はみなさんそれぞれ、ひと踏ん張りして祈り会を重要視して欲しいと願っている。アーメン。

2018年12月09日 牧師 一口メモ

家族4人で兵庫県、京都を巡ってきた。

目的は息子の新居探しであった。来年は大学生として一人で生活を始める。そのために早めに住居を決める必要があった。行ってすぐに祈りが聞かれ、最高に良い場所の素敵なアパートが見つかった。ハレルヤ!!

京都には大学合格の褒美として紅葉を見に行った。本人の希望も強かったし、私も紅葉は初めてだったので期待に胸をふくらませていた。まず最初は嵐山でトロッコに揺られながら紅葉を見た。山全体が紅葉し赤や黄色に染まっていた。とてもきれいで心が癒される思いだった。続いては2時間ほどの保津川下りに挑戦した。30名乗りの小さな船に乗って美しい紅葉を見ながらゆったりと川を下るのは、とてもすばらしい体験だった。続いて、嵯峨嵐山の竹林の道を散歩した。背の高い竹が織りなす林は大変美しい光景であった。竹の香りにも癒された。

最後に有名な清水寺の紅葉を見に行った。人が多いのにはびっくりした。そして何より驚いたのは寺の本堂の入り口に掲げられた言葉であった。案内の看板に「胎内めぐりの順路→」と示してあったのだ。つまりサタンの胎内に入り、そしてサタンの子供になる契約の入り口なのである。これが日本の子供達の悲劇の原因だと悟った。年間で一番多くの修学旅行生が来るそうだ。数は分からないが何百万単位の子供達が清水寺にくる。そして「胎内めぐり」でサタンと親子の契約をするのである。本当に恐ろしい。だからイジメはなくならないし、逆に増え続けている。親からの虐待もひどいものがある。これが霊的な攻撃であることがよく分かる。

当然私達は本堂には入らなかったが、周りの紅葉の美しさを見て回って帰って来た。すこし気分が滅入ってしまったが、サタンとの戦いはわかる人しか出来ないことである。気を引き締めて祈りを武器に日本の子供達を守る戦略を考えなければと思った。

夜にはクリスマスのとても素敵なイルミネーションとクリスマスツリ-の数々も見ることが出来た。新しい教会ではもっと世の人々の気を惹くような飾りつけを考えなければと思った。3泊4日の楽しい旅を与えてくださり、すべての祈りを叶えてくださった天の父に心から感謝した。

クリスマスのこの時期、私達を先に選んで救ってくださった天の父の期待に応えるためにも、大胆な信仰を持って伝道しようではないか。

世界で一番はじめにイエス様を礼拝したのは当時イスラエルでは底辺な仕事として見られていた、貧しい羊飼い達であった。最高の栄誉だっただろうと思う。彼らは救い主イエス誕生のニュースを受け取ると、仕事を置いてすぐに天使の案内に応えたのだ。遠いベツレヘムまで。このような信仰こそが、イエス様が一番喜ばれる信仰ではないだろうか。

みんなで良いクリスマスを迎えましょう。アーメン。

2018年12月02日 牧師 一口メモ

12月に突入した。
歳を取ると日々が過ぎるのが早く感じられる。
今年もあっという間に師走を迎えた。考える間もないくらいに過ぎ去っていくようだ。
だからボヤボヤしていられないと思うのだが、今の生活パターンをどのように変えるのか、となると正直思いつかない。
とにかく牧師としての働きをなすしかない。祈り、聖書を読み、信徒の皆さんの相談にのり、聖書勉強会やリーダー育成会等々を続けるしかない。
ただNPOの働きも大きいので様々な方との面会もある。朝日のあたる家の移転のことで設計士や銀行の方とのやり取りも頻繁だ。ステーキハウスエルシャダイの復活の準備も忙しい。

今のところFMのラジオ伝道だけは何とかこなしているが、伝道にもっと多くの時間を割きたい。なるべくは特化できればと思うのだが、なかなかそれだけに打ち込むことができない。そこだけが不足しているのでイライラする時が多くなった。だから頭を冷やさなければ、と祈りの時間を多くとって引きこもり状態になっている。また伝道のことを考えると、時の過ぎるのが非常に早いと感じるし、多くの先輩牧師たちと同じように沖縄のリバイバルを見ないまま天に帰るのかもしれない、と思うと怒りが沸き、己の力不足を嘆くのである。

そのような時に最悪のニュースが飛び込んできた。
宮古島のパーントゥが無形文化遺産に登録されたというニュースだ。ただでさえ悪魔が沖縄を押さえ込み、リバイバルを妨げているというのに、ますます嘲笑うかのように宮古市民を「文化」という名のもとに利用している。恐ろしい形相で恐怖に泣き叫び母親に抱かれている子供たちを追いかけ、泥を塗りたくる祭りである。小さな時の恐怖心は将来に大きな影響を与え、精神的な病を引き起こす。これが霊を汚す霊的な行事であることをクリスチャンだけは知っている。だからなおさら伝道に燃えなければならないのだが…。サタンはこれでもか、というくらいに私たちの祈りと伝道を馬鹿にした働きをしている。

今年も残り少なくなってきたが何とかイエス様に喜ばれる働きをして有終の美を飾りたいものだ。そのためには近付くクリスマスに焦点を当て、家族や同僚や友人知人を教会に招こうではないか。伝道こそがイエス様に喜ばれる最善の道であることを覚えておこう。
天使たちから良き知らせを受けた羊飼いたちは、すぐに羊を野原に残して赤子のイエス様を捜しにベツレヘムに向かった。
「御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは『さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか』と、互に語り合った。 」(ルカの福音書2章15節)
イエス様が12弟子を招いた時も、彼らは同じようにすべてを捨ててすぎに従った。
「そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。」(ルカの福音書5章11節)

彼らの名は聖書に記され、世界中の人々に知られている。永遠に、だ。アーメン。

2018年11月25日 牧師 一口メモ

【嘘】と言う言葉がある。聖書の十戒には「偽証してはならない」がある。似たようなものであるが、当然人は【嘘】はついてはならないと大昔から教えられ、言われてきたことである。私の父の教育は二つだけで、「嘘はつくな」、「人に迷惑をかけるな」だった。特に嘘には厳しかった。嘘つきは信用されないし人に迷惑をかけることになる。
今年も嘘つき達が多く登場した。

日本大学のアメフトの監督とコーチが嘘をつき通して恥をかき、社会と学校と生徒たちから信用を失った。
安倍内閣の大臣達が嘘をつき通している。ひどいのは片山さつき地方創生大臣だ。政治収支決算報告書を三度ならず四度も訂正している。そして自身の顔入りの大きな看板を無許可(条例違反)で掲げていた。これらの釈明に国会で嘘をつき通している。大臣の前に、人間として資質の問題がある。だがもっとひどいのは選挙区の国民である。そのような人に投票したことを恥じていない。その前は稲田朋美元防衛大臣が自衛隊の南スーダンの日報の隠ぺいで嘘をつき通した。

女性の社会における活躍が期待されて久しい。女性の進出が国を変えるであろうと大いに期待したが、国のトップに立った方々がそのような嘘つきでは国が良くなるばかりか、よけいひどくなりつつある。また女性国会議員の不倫騒動はあまりにも目を覆いたくなる。沖縄出身の今井絵里子議員もその一人だ。

30、40年前の首相や大臣たちがこぞって嘘をつき、秘書のせいにした。宮沢喜一元首相に至っては奥さんのせいにした。安倍首相は、かつての盟友、森友学園の籠池夫婦から嘘つき呼ばわりされても釈明もなく今日に至っている。大臣や側近を嘘つきで固めている安倍さん。尻拭いを強いられている秘書や側近の方々は大変であろう。
実業界もひどすぎる。一流企業のトップ達が、データ改ざん発覚の際に平気で嘘をつくし、更にそれを部下のせいにする。

私は刑務所や警察の留置所、拘置所によく面会に行くが、彼らにかける言葉は「嘘つきを卒業しなさい」です。嘘と言い訳、そして他人のせいにすることが彼らのほとんどの態度です。このような態度から脱却しなければまた再犯に進むのです。聖書は強く命じます。「偽証するな」と。アーメン。
イエス・キリストの誕生をお祝いするクリスマスが近づいています。イエスは義を教えます。
「その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの町は、『主は私たちの正義』と名づけられる。」エレミヤ書33章16節

クリスチャンが増えない限りこの社会から【嘘】は尽きない。
伝道をして義の人々を増やそうではないか。アーメン。

2018年11月18日 牧師 一口メモ

映画「パウロ」を観た。
劇場はほぼ満席だった。
結論から言うと、最高の信仰迫害の映画であった。パウロの真骨頂を見事に表していたし、ルカの活躍も良かった。二人の信仰の友情が感動を与えてくれた。どちらが主役なのかわからないくらい、ルカが用いられていた。またアクラとプリスキラ夫婦の信仰も見応えがあった。
とにかく聖書通りに表現されていて、わかりやすかったので良かったと思う。内容には触れないが、ぜひ全員に見てほしいと願っている。

☆迫害に遭ったときの対処法が描かれており、私たちに教えてくれている。
1.迫害に遭うとき、武力に頼ってはならない
2.迫害には祈ることこそが最大の武器である。
3.迫害に遭うとき、神の家族が必要である。
4.迫害に遭うとき、信仰が揺るぐことがないように。
5.迫害に遭うとき、天国のことを覚える。

最後には迫害と困難に立ち向かったパウロがどのように信仰を維持したかを教えている。
聖書に登場する先輩方、偉人たちの中でも、パウロほど迫害と困難の道を歩んだ信仰者はいない。
「マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、様々な苦しみに遭って、外には戦い、内には恐れがありました。」(Ⅱコリント7章5節)

外(社会)にも問題があり、内(教会)にも大きな恐れがあったとパウロは述べている。パウロの信仰の人生がいかに問題だらけで迫害との戦いがあったかがよくわかる。
いつの日か私たちも大きな迫害に遭うかもしれない。その時がいつ来るかはわからない。しかし分からないからこそ、常日頃から備えるべきである。その備えの一つとしてこの映画「パウロ」を観ておくべきだと思う。いかなる時にも常に堂々としているパウロの姿勢に感動を覚える。信仰の情熱とイエスに対する恩義(罪が赦された)はパウロの信仰を天に向けさせる。使徒の働きや手紙書簡を読むと、パウロの魂への責任感がひしひしと伝わってくる。
「私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。」(ローマ1章14節)

救われて終わりではなく、これからが始まりなのだということがよくわかる。
クリスマスを控えたこの時期に、イエス様が地上に降りて来られた恵みを今一度実感したいものである。また伝道がしやすい時期でもある。まず、家族から始めてみようではないか。この時こそチャンスである。勇気を振り絞って行動してみよう。
アーメン。

2018年11月11日 牧師 一口メモ

一週間を振り返ってみる。
月曜日から土曜日まで丹念にスケジュール帳を開いた。
FMラジオへの出演が2回あった。伝道には特別の思いがあるので出来るだけ優先している。
リーダー勉強会、聖書を聞く会話す会、祈り会等々をこなしながら、何とか牧師の責任を果たしていると思ってはいる。スケジュールの管理が上手くなくて他の勉強会では知芽伝道師や荒木兄弟に助けを求めた。
この一週間、面談(相談含む)をした人はかなりの数に上る。教会及びNPO関係者は1日平均5件で延べ人数は約30人だった。こども食堂の件で荒木さんと外国人教会の牧師も訪ねた。
個人的には歯科に行き、整形外科に行き、足の裏の件で自家製(手作り)の靴屋さんに行った。そのうえ電話は鳴りっぱなし、掛けっぱなしである。
いやはや忙し過ぎてもよく頭が回っているなぁと思ったのはこの一週間を振り返ってみての感想である。

牧師業だけをやっていれば楽なのだろうけど、性格的になかなかそうは出来ない。なんとかしたいとは常に思っているのだが実行に移せない。今年は家族と休養を取ろうと色々な計画を立てていたのだが1つとして実現出来なかった。
ひと月程のアメリカ旅行、北海道旅行、紅葉を見に行くこと、どれか1つは出来るだろうと思っていたのだが・・・。本当に申し訳なく思っている。

ユナイテッド教会(400人メンバー)のカー牧師と久しぶりに会って話をした。
彼に引退後の夢の話を聞いた。彼は大学の講師をやるつもりだと言っていた。今51歳だから15年後には実現するだろうと言う。私は言った。
「牧師に引退はないよ。沖縄には80歳を超えた現役牧師が5人もいるよ。」
彼はまたしみじみと言った。
「牧会の労苦は65歳までで充分だ。信徒の皆さんに気を遣うのはもうたくさんだ。大学の教授ならその必要はない。生徒は授業料を払っているし、卒業するという目標があるから叱ってもついて来る。しかし教会のメンバーはそうではなく気ままに教会生活を送っているし、来たい時に来ればいいと思っている。だから大学の教授になって心を癒したい。」

私は心の中で「アーメン(然り、確かに)」と強く賛同した。
先週は私の80歳の夢をここで記したが、そのあとカー牧師から引退後の夢の話を聞くとは思っていなかった。牧師は苦労しているのだと思った。彼の夢が実現しますように。アーメン。

2018年11月4日 牧師 一口メモ

天の神様は、何故日本・沖縄にリバイバルを起こさないのだろうか。

日本人や沖縄のクリスチャン達は非常に悩み苦しんでいる。

私はクリスチャンになって28年になる。その時から牧師や伝道師や宣教師たちは沖縄からリバイバルは起こると叫んでいた。もうやがてそれは来ると祈り合っていた。その当時は多くの集会、聖会が持たれていた。海外や本土からも多くの有名な先生方が来た。そして口々にこの沖縄からリバイバルが起こると宣言して帰った。いや、もう起っていると語る先生たちもいた。あれから28年。今は牧師になって牧会活動している。そしてリバイバルのために祈っているのだが・・・。

隣国の韓国はリバイバルが起こって人口の28%のクリスチャンがいる。国に大きな影響を与えるまでになった。台湾も5~8%のクリスチャンがいて、ミニリバイバルが起こっているそうだ。また1000人規模の教会が30以上あるそうだ。中国に至ってはクリスチャンの数が約一億人にいるそうだ。

先月の世界のニュースにもなったが、中国では政府による教会の迫害がある。地下教会が弾圧を受けて牧師たちが逮捕される事態になっている。クリスチャンが増えて政府が危機感を抱いて弾圧に走った。1億2000万人くらい(ほぼ日本の人口である)のクリスチャン達が中国にはいるのである。うらやましい。

一方、日本はどうだろうか。クリスチャンの数は増えるどころか0.5%にも満たない。確かな情報ではないが一節にはクリスチャン人口が減りつつあって0.3%くらいだと言われている。1億2000万人×0.3%=36万人になる。日本の教会の数は約8000あると言う。36万人÷8千教会=45人。一つの教会員の平均数は約45人である。 沖縄はどうか。人口144万人×クリスチャン人口1%として1万4千人になる。約300の教会があるといわている。1万4400人÷300=48人。一つの教会員の数は48人となる。一教会員の数は日本本土とそう変わらないが、クリスチャン人口は本土の倍と言われている。だから1%で計算した。この数字は正確ではないがかなりの目当てにはなると思う。

隣国と比べてどう思うかである。天の父が意地悪なのか、クリスチャンの私達が悪いのか、リーダ-である牧師達が悪いのか。中国では毛沢東が政権を取った時、外国の牧師や伝道師を追い出し、中国人の牧師たちを皆逮捕してしまった。リ-ダ-達がいなくなったので信徒たちが一生懸命に祈り地下伝道した。そして1億人のクリスチャンを産んだそうだ。ヒントになりそうではないか。いよいよ牧師の引退が早まるか。(笑)

2018年10月28日 牧師 一口メモ

今年もあと2ヶ月です。時が経つのは早いものだ。いや早すぎる。なんとかしなきゃ-と思うのだが。時間をもっと大切にしないといけないとか聖書をもっと読むとか伝道にもっと励まなければ…等々。

いろいろなことを考えたのだが結論は出せなかったので、もうジタバタしても始まらないから考えるのをやめた。とにかく時間が経つのが早すぎるのを強烈に身体でも心でも感じている。これが神の経綸(けいりん)なのだろう。しかし恐ろしいくらいに心に焦りが湧いてくる。年をとるのが早すぎることに恐怖さえ覚える。このことは若い皆さんに感じることは無いかもしれない。これがすべての人の宿命の人生なのか。

なんやかんや言いながら人間の力ではどうしようもない事が幾つかある。時間は神様の摂理だからどうしようもない。年を取るのも時間の中での出来事であるからこれもどうしようもない。死ぬ時も神様の勝手だからこれもどうしようもない。だからジタバタするなと心に言い聞かせる。だからと言って夢や希望を失っているのでもない。これから先に大きな希望を持っているし、大きな夢も持っている。

「大きな」と言う言葉を使ったが規模が大きいということではない。確信と言う信仰のことである。80歳になったら引退をして、聞き屋的な気ままな喫茶店を持ちたいと思っている。その為にいろいろな構想を練っている。夢を実現させるために考えることはとても楽しい。まず、場所は何処にしようかと、あれこれ目をキョロキョロして神経を張っている。そして喫茶店の形や大きさの形態を考える。これは日々変わるが。いつも喫茶店やレストラン等々に行く時に目を凝らして見ている。そして無理しないでやれる方法もないかと考える。一つのアイディアが自動販売機を置くことである。コーヒーとサンドイッチ類の自動販売機である。そして出来るだけ24時間オープンにしたい。これの実現のために、真剣に考え続けている。11年後の夢だけど。夢見る爺さんのたわごととして聞いて欲しい。

ただ、クリスチャンは死ぬ時までイエス様に期待して希望を持つことが出来る。また、クリスチャンの人生には引退は無い。イエス様を人々に証しなければならない。その為に夢を抱いている。アーメン。

もう一つ、2人の80代のクリスチャンの方々が伝道の夢を持っていた。これがいよいよ実現する。近いうちに平和通りや国際通りに彼らがトラクトを手にして立つことであろう。サンドイッチマン(ちんどん屋)みたいにやるそうだ。昨日お2人とその実現のための話し合いをした。楽しかった。やはりクリスチャンは心の年は取らないものだ。ハレルヤ!

ヨエル2:28「老人は夢を見、青年は幻を見る」

2018年10月21日 牧師 一口メモ

皆さんのお祈りのおかげで息子が無事に関西学院大学に合格出来ました。心から感謝します。

先週、面接を終えてから合格発表まで、わずか一週間だがとても長く感じた。信じてはいたが、発表を見るまではなかなか落ち着けない。いよいよ発表の金曜日が来た。朝早くから家内に「パソコンを開いて確認してよ」と言ったが、9時にならないと見られないと言う。仕方ないのでイライラしながら待つことにした。ちょうど9時に息子と3人でパソコンを開いた。息子はびっくりするくらい妙に落ち着いている。そして淡々とパソコン開いて「あった!」と家内と番号を確認して叫んだ。何度も確認して3人で喜び合った。自然と涙が流れた。とても嬉しかった。息子を褒めて抱き合った。すぐに家内が神様に感謝をしようと言った。手を取り合って3人で感謝の祈りを捧げた。また涙が溢れてきた。心から天の父に感謝した。ハレルヤ!

昨年からの一年半余、息子の受験の為に我が家は緊張の中にあった。何が何でも息子のことが一番の生活であった。息子は小禄にある塾に通い続けた。英語塾も行き続けて検定も2級まで取得した。教会の奉仕もつつがなくやってくれた。家内は厳しすぎるほどに一生懸命に息子を支えていた。時には誰が受験するのか勘違いするほどに熱心だった。

聖書では子供の教育に失敗した信仰の偉人たちが登場する。その筆頭がサムエルであろう。(Ⅰ)サムエル8:3「この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。」

何故サムエルみたいな方が子どもの教育が出来なかったのか不思議である。サムエルは三大偉人でもあるのだが。(エゼキエル14:14)

イサクもエサウとヤコブの教育に失敗した。ダビデもしかり。聖書で見ると子供の教育がいかに難しいかが分かる。この子供達の性質がある面で親の暴力を産むことにもなると思う。しかし、何と言おうと子どもに対する責任はすべて親にある。子どもへの虐待がいつも大きな話題になるが、聖書で教育をすれば苦労することは無いと思う。箴言は子どもの教育に欠かせない箇所である。子どもがいる方は箴言を活用する(読む)ことを勧める。いやすべての人間にも必要であるのだが・・・。

箴言23:13~14「子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。」アーメン。